今日も楽しくクッキング

雑務

第1話

【目覚まし時計、食卓塩、エレベータ】


 「本日のキラキラ星座占い♪本日の2位は〜??」

 占いのコーナーをやっているということは、いつもなら既に家を出る時間だ。

 慌てて洗面所に行き、歯ブラシを口に放り込む。同時に、朝顔のツルのように絡まった髪を、片手で整える。ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟を読んだまま寝落ちしてしまい、目覚まし時計をセットするのを忘れていたのだ。

「本日のベストラッキーさんは乙女座のあなた!」

 洗面所の水音と競うように、大音量のテレビの音が聞こえてくる。

 残念ながら、僕は双子座だ。しかし僕の片思い相手は9月13日生まれ、乙女座である。なんだか嬉しい気持ちだ。教室で、おめでとう、と一言伝えたいがなんのことか分からず戸惑うだけだろう。

「ごめんなさ〜い! 最下位は双子座のあなた!」

 どうやら今日はおとなしく過ごした方が良さそうだ。だが、このアナウンサーが順位づけしたわけじゃないし、全く非がないことは分かっている。しかしここまで気持ちのこもっていない「ごめんなさ〜い!」も珍しい。カーナビの音声アナウンスの方がよっぽど気持ちがこもっている。

「そんな双子座のあなたのラッキーアイテムはー?? ・・・・・・食卓塩!」

 僕は、台所から食卓塩を持ち出し、ポッケに入れた。そしてそのことを忘れようと努めた。占いごときに左右される自分が情けないのだ。

 あたかも最初からポケットに入っていたというふりをして、僕は定期券とスマホとリュックサックを持った。母親が困るかもしれないが、塩くらいなんとかなるだろう。玄関まで早足で向かう。

 ふと思い立って、リビングに向かいリモコンの逆三角形を4回押した。朝から、原宿の女子に人気のパンケーキ屋の情報を部屋に響かせる必要はないのだ。


 腕時計をチラッと見る。7時26分。信号に捕まらなければ、なんとか7時37分の電車に乗れる。

 エレベータはちょうど僕の階で待っていた。しかし、僕は階段を選択した。昔から狭いところが極端に苦手なのだ。1階に着くまでの短い時間でも、息が苦しくなってしまう。

 階段を降りきった僕は、ビーフジャーキーをお預けにされた大型犬のように、息を切らしていた。僕は、駅へと急いだ。



【紙ヒコーキ、ベッド、はちみつ】


 高校の教室に着くと同時に、チャイムが鳴った。僕の片思い相手は、現在隣の席だ。彼の栗色の髪が、カーテンのように彼の片目を隠している。ふっくらとした頰に、時折くぼみができるのが愛おしい。

 実は、昨日の放課後、彼の机に手紙を入れておいたのだ。デートのお誘いだが、もう既に読んでくれているのだろうか。虚ろに窓の外を見つめる彼の表情からは、何も読み取れない。

 そして、ふと彼と目が合った。

 子犬のように微笑む彼。

 そして、彼の左手に握られたピンク色の紙ヒコーキ。僕が入れておいた手紙だ。それを彼がこちらに投げると、僕の膝と膝の間に着地した。

 震える指でそれを開いていく。そこにはOKの返事が書いてあった。

 舞い上がった僕は、授業もそっちのけでチラチラと、彼の方を盗み見る。右手で耳に髪をかける仕草で、僕の心は跳ね上がる。

 体中の血が集まってきてる。みなし児のハチは、僕のボクサーパンツの中から逃げ出そうと、必死にもがく。彼と見つめ合っていた僕は、それを察されないように足を組んだ。


 その日下校すると僕は、彼の家に上がり込んだ。


「ねえ、本当に付き合ってくれるの......?」

「本当だよ、俺もお前に告白されて嬉しい」

「いつから好きだったの......?」

「............ずっとずっと前から」


 窮屈なベッドで交わされるピロートークは、僕たちを妖しい世界へと誘っていく。気づくと、僕は彼のズボンに手をかけていた。ベルトを緩め、ゆっくりと下げていく。力加減がわからず、太ももを少し引っ掻いてしまった。だが彼は、嫌な顔一つせずに受け入れている。僕は、彼のものを口に含むと、口内がほんのり熱くなる感覚を覚えた。自分もパンツを脱ぐと、みなし児のハチの蜜が滲み出ていた。僕たちは、抱き合いながらお互いの身体を舌でくすぐり合うと、口腔にマロニエの味が染みていた。



【フォアグラ、ライバル、チョコエッグ】


 僕たちは、あの後、週末にバイキングを食べにいく約束をした。


 待ち合わせ場所に着くと、彼は既に待っていた。

 しかし、その横には......知った顔がある。


 いつも彼と仲良くしてるアイツ。一緒に彼と下校していたアイツ。アイツは、バレー部の一個下の後輩だが、いつも馴れ馴れしく彼と接しているのだ。


「あ、先輩、なんでいるんですかー?」

「お前こそなんでいるんだよ!」

「僕、今からデートなんですよー」


 え?? 本気で言っているのか? いや、本気でいいわけがない。どういうことなんだ。


「なんでコイツ誘ったの......?」

「いいじゃん、いいじゃん、あとで話すからさ」


 僕は、納得のいかないまま店内に入る。二人きりで話せると思っていた僕は、肩を落とす。

「まあ、同じ日に二人から告白されたら、俺も困っちゃうよねー」

「え、もしかして先輩も......?」

 コイツもやっと、事態のおかしさに気づいたのか。

 そんなことも御構い無く、一人だけ違う世界に生きているかのように、話し続ける。

「すげー、ここフォアグラあるんだ! ねえ、ねえ?」

「なんですか? 先輩」

「さあ問題、フォアグラとはなんでしょう!」

「えっとー......サメの......は違いましたっけ......」

「ガチョウの肝臓でしょ?」

「正解!」


 よし勝った! アイツに負けるわけにはいかない。この場では、恋のライバルなんだ。


「ってことは、フォアグラの作り方も、知ってる?」

「うーん、作り方......?」

「あとで教えてあげる!」


 彼が急にこんなこと聞くなんて、おかしな奴だと思ったが、多分場を和ませようとしてくれたのだろう。


「二人ともー、遠慮してるの?たくさん食べなきゃ!」

 彼はボール皿に、唐揚げやたこ焼きやフライドポテトを、これでもかというほど盛り付けてきた。

「こんなに食べれないですよー」

「でも、ここ食べ残し厳禁だよ? 取っちゃったんだから、頑張って食べてね?」

 バイキングで舞い上がっているのだろうか? いつもの彼ならこんな子供っぽいことはしないのだが。まあ、そういうとこも可愛い。

「ほら、野菜もたくさん取ってきたから! たくさん食べて!」

「さすがにこんなに食べられないよ!」

「でも、ここの野菜美味しいよ? あ、そうだ野菜ってストレスを与えながら育てるほど、甘くて美味しくなるらしいよ」

「へー......そうなんだ」


 僕もアイツも、彼のおかげで、ハリセンボンのように、胃がはちきれそうだ。


「ちょっと、トイレ行ってくる!」

 テーブルには、僕とアイツだけが残された。夕べの海岸のような静けさが、しばらくの間二人を包む。


「いつ告白したんですか?」

 後輩が沈黙を破った。

「いつって......4日前くらいだけど」

「僕は1週間前ですよ?」

「だからなんだよ」

「てか、そんなに仲良くないですよね? 先輩の通ってた幼稚園の名前とか知ってます??」

「そこまでは知らないけど......」

「先輩が、週3回、家族に内緒でチョコエッグ買ってることとか」

「なんでお前が知ってるんだよ」

「てか、バレーの試合出たこと、ありますか?僕と先輩は毎回出てますけど」


 僕の頭の中で何かが切れた。絶対にコイツだけには勝ってやる。



【コーヒー、土管、産道】


「そうそう、俺、考えたんだけどさ......」

 バイキングの店から出た3人は、横1列に並び、公園の遊歩道を歩いていた。枯れ木の影が奇妙な網目模様を作り出している。

「2人に同じ時期に告白されたら困っちゃうわけじゃん......。だからさ、ゲームを考えたんだ」

「ゲーム?」

「二人とも怖いものってあるでしょ......?」

 僕の頭には、蜘蛛、タランチュラ、へび、トカゲ......。そしてなにより......

 幼い頃、エレベーターに乗っていたら突然停電して真っ暗になったことが、鮮明に浮かんでいた。

「君は閉所恐怖症、そして君が......」

「......高いところは苦手ですよ! でも、嫌な予感しかしない......」

「じゃあ、簡単にルール説明を」


 彼が提案したルールはこうだ。二人それぞれの恐怖症を、最大限に刺激する場所に連れて行く。僕は土管の中。後輩はビルの屋上。そこでいかに長時間耐えられるか、我慢勝負をするというのだ。気は乗らないが、後輩に勝って彼を手に入れるためには、挑戦するしかない。


「どう、やる?」

「......やるよ」

「うーん......安全なんですよね!?」

「それは分からないな」

「うー......でも不平等じゃないですか!? 僕はあんな高いビルなのに、こんな公園にありそうな土管って」

「そっちだってただビル登るだけじゃねーか!」

「まあまあ、で、やるの?」

「......やりますよぉ......」


 そして、僕と後輩の勝負地点へ向かう。

 目の前には長時間監禁されるであろう土管がある。長さは2メートルほどあるが、大人一人が体をねじ込んでやっと入れるくらいの広さだ。両端は、近くにあった金属板で封鎖するらしい。拳で軽く叩くと、世界の終わりを告げるアポカリプティックサウンドのように、低く不気味に唸った。

 後輩が、ビルの屋上に到着したのを見届けたら勝負スタートだ。彼が金属板を持って待機している。ビルの屋上を見上げる彼の目は、プラネタリウムを鑑賞する子供のように澄んでいる。そして、金属板にはアルファベットでc、o、f、f......

 コーヒー工場が廃棄したものなのだろうか? そんな文字、どうだっていいことではあるのだが、鉄の牢獄に入れられる前に、この開放的な景色をできるだけ詳細に目に焼き付けておきたかったのだ。


「お、到着したみたいだね」

 ビルの屋上から、後輩が両手を大きく振る。彼が振り返す。プルトップよりも小さい後輩の震えが、こっちまで伝わってくるようだ。

「じゃあ入って」

 体を屈めると、膝の震えが全身に伝播した。僕はそのまま四つん這いになり、頭を入れた。そのまま進もうかと思ったが、すぐに腰が引っかかってしまったので、体を伸ばして芋虫のように、体を滑り込ませていった。中に進むにつれ、土管のさびが見えなくなり、底に溜まった砂利が見えなくなり、そして自分の手が見えなくなった。その途端、強い風が土管を揺らすと、地面とこすれ合って獣が唸るような音が生じた。胴と土管が接する。心臓音が、土管側面に伝わり、伝導スピーカーのように四方八方から鼓動が響いた。 

 

 僕は、その鼓動が体外......自分を包み込む母体......からの音であるかのように錯覚し始めていた。脳の奥深くに封印された、胎児の頃の記憶......。産道を通る赤ん坊も、こんな風に不安を抱えながら出口を目指したのだろうか。


「そうそう、フォアグラの作り方なんだけどね、ガチョウを動けない状態にして、無理やりエサを大量に与えて無理やり肝臓を肥大させるんだって。残酷だよねー」

「それ、今言うことー?」

「だって言うなら今しかないじゃん」

 ......今しかない?

「じゃあ、しめるよー」

 彼の声に、僕は気を引き締め直した。しばらくはここから出られないのだ。黒だと思っていた暗闇が、入口を閉ざされたことにより、さらに深い黒になる。普段意識していないが、黒にも色々な種類があるようだ。そして、音も閉ざされた。外の情報は完全に遮断された。かろうじて、強い風が吹いていることが分かる程度だ。

 少し体を起こそうとすると、壁に阻まれてしまう。顔と壁の距離はほんの目と鼻の先だ。口の中がザラザラし始めたが、おそらく砂利を少しずつ吸い込んでいるのだろう。しかし、壁が目の前にあると、息をうまく吸えた感じがしない。息苦しい。窒息してしまうのだろうか。不安を感じるほど、体は酸素を欲するようになり、息が荒くなる。

 叫びたい。外に出て思いっきり叫びたい。ここにいると地球の回転に取り残されてしまったような気分だ。外に出て思いっきり叫び、自分が取り残されてしまっていることを誰かに伝えたい。


 ギブアップしようか。いや、ダメだ。あんなやつに彼を取られてたまるか。


 1分......2分......と時間が経っていく。いや、20秒くらいしか経っていないかもしれない。2日経っていても驚きはしないし、2秒でも驚かない。ちょうどいいところをとって、だいたい2分程度なのだろう。スティーリー・ダンのブラックカウを1番のサビまで歌い終える時間、と考えたら妥当だと思われる。

 体が震え始めた。土管を思いっきり殴りたい衝動に駆られる。しかし、そんなことしたらギブアップしたと思われてしまう。僕は尻の下に手のひらを滑り込ませ、押さえつける。


 ぎゅっと目を閉じる。産道を伝うイメージが浮かび上がる。暗闇をたどり抜ければ、待ち望んだ広大な世界。さあ、どんな世界が広がっているのか......。しかし、僕が目にしたのはひんやりとした暗闇。頭が壁にぶつかると、壁がボロボロと崩れた、土だ。ここは地中だ。どうやら何かの間違いで、モグラの胎児に魂が宿ってしまったようだ。残念ながら、もうしばらく閉塞感に耐えなければならないようだ。

  

 もう一度目を閉じて、イメージを作り直す。産道を伝う。暗闇の先に光が見える。今回は、顔を出したら地中なんてことはなさそうだ。しかし、ひどい下降気流だ。僕は、地面にうつ伏せに貼りつけられた。気道が押さえつけられている。押し潰されそうだ。真上にヘリコプターでも飛んでいるのだろうか。生まれてくる星を間違えてしまったようだ。死にそうだ。



 そのとき、悲鳴が土管を震わせ、僕の耳を突き刺した。その一瞬後、重苦しい音が響いた。外の状況を思い出す。どう考えても。答えは一つに収束する。

 アイツが、ビルから落下したのだ。

 失神したのか、恐怖に耐えきれずに気が狂ったか、誰かに突き落とされたのか。理由はわからないが、アイツが墜落したことは確かだ。しかし僕の頭を占めたのは安堵感だった。ようやくここから出られる。勝負に勝ったのだ。土管を両手両足を使って殴る。はやく、はやく開けてくれ......。



【棺桶、調理、塩】

 

「調子はどー?」

 外から声が聞こえる。


「怖い? 窮屈? はやく出たい?」

 感じる違和感。


「死にそうでしょ」

 わかった。この違和感は......。



 後輩の声だ。



 なんで? さっき墜落したんじゃ......? 体が震えて、声が出ない。


「さっそく調理始めちゃってよ」


 土管がほんのり暖かくなってきた。

 気がつくと暗闇に目が慣れていて、爪と皮膚の境界くらいなら、判別できるようになっていた。

 ふと、金属板の方を見る。c、o、f、f、、、、、、。


 コーヒー......じゃない......?

 もしかして......?


 僕は、何度もその英単語を読み返した。

 その行為は答え合わせに他ならなかった。


 c、o、f、f、......i......n


 「coffin」

 棺桶を意味する英単語だ。


 土管はじりじりと、真夏のマンホールほど熱くなっていた。

 腹部にチクチクと痛みを感じ始める。


 

「今回も大成功ですね、先輩」

「棺桶としては少しボロいけど、これくらいが一番雰囲気でるな」

「そろそろ、うなり声が聞こえてくるころですよ!」

「うなり声が消えたら食べごろだよ、今回は丹精込めて育てたから美味しいだろうなー」

「たくさん工夫を凝らしたって言ってましたもんね、どんな工夫をしたんですか?」

「まず、大量に食べさせるだろー、フォアグラと一緒さ。そして、狭いとこに閉じ込めてストレスをたっくさん与える。野菜もストレスを与えるほど美味しくなるからね」

「はやく食べたいにゃ!」

「こらこら、食欲と一緒に性欲も高まったのかぁ?」

「あ、声が弱々しくなってきた!」

「うんうん、そろそろいいかな?」




「美味しいですね。先輩!」

「うん、特に太もものとこ......塩味が効いててうまいな、塩ふった?」

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