第210話 シャーリン、出航


 出航前に、船底のバラストタンクにおもりとして、海水を入れておくことにした。タンクの上蓋うわぶたを開けて、俺が範囲指定で切り取って収納した海水を入れておいた。バラストタンクの蓋は、船が横倒しになっても中の水がこぼれないようしっかりできている。


 みんなは、キャビンの中の窓際の席にすわって、いまのところおとなしく外を眺めている。俺はアスカのいるブリッジに戻り、


「少し沖に出して、そこで、停泊しよう」


「はい、マスター」


 一度、舵を軽く切りながらコントロールボックスから出ている太めのレバーをゆっくり手前に引いた。この操作で魔導加速器が逆転して動き出したようで軽い振動とともに『シャーリン』が斜めに後退し始めた。下のキャビンからみんなの歓声かんせいが聞こえて来た。


 アスカはしばらく『シャーリン』を後退させた後、今度は舵を逆方向に切りながら先ほどのレバーを前にゆっくりと押して、『シャーリン』を前進させた。これで港の岸壁から『シャーリン』がうまくカーブを切りながら沖合に向かって行った。


 『シャーリン』は、ほかの船の運航に邪魔にならないように20分ほど進んでやや沖に出たところでいかりおろろし停泊ていはくした。このあたりはまだまだセントラル湾内のため、波も穏やかで水深があまりなく、錨も問題なく機能する。


 キャビンで窓の外の海や海岸を眺めて待っていた連中を連れて、船内をいろいろ見て回るのだが、アスカと俺は造った当人なので思い入れはあるが船の中だということ以外珍しいわけではない。それでも、みんなはキャビン内のいろいろな部屋の扉を開けるたびにはしゃいでくれる。それはそれで、造ったかいがあったというものだ。


 船の中を紹介しながら、最後に第二甲板から階段を下りて、船底にみんなを連れていった。


 階段を下りた先には、ガラス窓が並んでいる。ガラス窓の外は、もちろん海の中だ。最初から浅く透き通った海なので、海上からでも海の底が見えないことはないが、水面の光の反射もないので海中が良く見える。たまに魚が『シャーリン』に近づいて窓ガラスからこちらをのぞいたりしてくる。


「みんな、向こうから詰めて左右の椅子に座ってくれ」


「うわー!」「すごい!」「おさかなさん」「おいしそー」


 魚が泳いでいるのを見るととりあえず「おいしそー」という者はどこの世界にもいるようだ。


 一通り船内を見て回ったので、みんなには、このままここで海の中を見物させておいて、今回の進水式と内覧会ないらんかい?を終えることにした。


 そろそろ、港に戻ろうと錨を引きあげていると、ぽつぽつと雨が降り始めた。すぐに錨を引きあげ、ブリッジに上り、


「アスカ。雨が降り始めたから、早めに港に戻ろう」


 ブリッジの前のガラス窓から外をみると雨脚あまあしが結構強くなっている。上甲板に降った雨は、甲板の若干の傾斜で、舷側げんそくに空けた孔から海に流れ出ている。なるほどよく考えられている。アスカが作っただけのことはある。


「了解。マスター、最高速度の試験ぐらいしておきますか?」


「だんだん雨も強くなってきてるから、今日はやめておこう」


「了解しました。それでは港に戻ります」


「アスカ、雨が強くなって前が見えにくくなってきているけど、大丈夫かい?」


「問題ありません」


「それじゃあ、頼む」




 来た時と同じように20分ほどで、『シャーリン』は岸壁近くまで帰って来たのだが、雨脚あまあしが一向におとろえない。大雨の中、屋敷に歩いて帰るわけにもいかないし、傘の用意は俺とアスカの二人分しか収納に入れていない。ちなみにこの世界にもこうもり傘はあるが傘の骨は金属ではなく丈夫な木で作られている。


「どうする? アスカ」


「岸壁近くで船を長時間泊めていますと、本業の人たちの船の邪魔になりますし、『シャーリン』が岸壁にぶつかる可能性も有りますので、もう一度沖合おきあいに出て雨のむのを待ちましょう」


「それじゃあ、そうしてくれ。多人数で行動するとそれなりに大変だな」


「そういうものでしょう。それを承知で引き取ったようなものですから」


「それはそうだった。ハハハ。傘だけは予備に人数分買っておいた方が良いな。そしたら、『こんなこともあろうかと』とか言って傘を出せるものな」


「傘だけでなく、もっと他の物も人数分あればいいかも知れません」


「傘のほかに何かあったっけ?」


「たとえば、女性用の下着ですか。ああいったものは数が必要だそうですよ」


「それはそうかもしれないが、『こんなこともあろうかと』とか言って女性用の下着は出せないんじゃないか? そもそも、『こんなこと』が想定できないぞ」


「私には関係ありませんが、それこそ、急に雨が降ってきて、濡れたりとかすると困るんじゃないですか?」


「それじゃあ、そのうちアスカがそういったものを揃えておいてくれよ。そうしたら俺が収納しておくから。渡すときはアスカから渡してくれよ」


「分かりました。なるべく派手はでなものを選んでおきます」


「ほどほどにな」


 そんな話をしているうちに、船がやや沖合に出たので、大雨の中、錨を下ろそうと思ったのだが、


「私は、『シャーリン』がこの位置から移動しないように、ここで船を操作していますから、錨は降ろさなくていいです。マスターは下に行って、誰かにお茶でも用意させてくつろいでいてください」


「そうだな、それじゃあ、アスカ頼む」


 ……


「おーい、誰かお茶の用意を頼む。雨がむまで、ここで泊っているからみんな適当に過ごしていてくれ。そうだ、リバーシがあるから、それで遊んでいてもいいぞ」


「それじゃあ、私たちがお茶の準備をしてきます」


 ミラとソフィアのハート姉妹が手をあげてくれた。


「使い方はうちの厨房と同じだから。食器はみんなアスカの作った木製のもので、まだ一度も使ってないから一度よく洗ってな」


「分かりました。それじゃあ、いってきます」


「たのんだ。

 残ったみんなには、リバーシだ」


 そういって、船底のノゾキアナをのぞき込んでいたみんなを連れて、上甲板のキャビンに上がり、リバーシを四組取り出して、足の短いテーブルの上に置いてやった。このテーブルは、持ち上げて壁の方へ動かすと、足が折りたたまれて、邪魔にならないようになっている。よくもこんなものまでアスカは作ったものだ。





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