第70話 リリアナ・アデレード


 ここは、王宮内の王族が住まうエリアの中の一室。この部屋の主は、リリアナ・アデレード、アデレード王国第3王女である。


 生来せいらい病弱な彼女は、なにかあれば熱を出し、風邪かぜで寝込むこともしょっちゅうである。そのリリアナだが、三カ月前にひいた風邪かぜをこじらせ、止まらないせきのためさらに体力を失い、せた体が更に痩せ細った。


 今では食事も看護師に補助されながら流動食をわずかに喉に流し込むだけである。高名な治癒士ちゆしの治療魔術も効果なく、調合されたキュアポーションなどのポーション類も効果がなかった。通常、治療にこれほど効果がないことは考えられないため、かなり特殊な病ではないかと考えられている。


 治療法のないまま、ここまで体力が落ちてしまうと、回復は望めない。今ははどこかにあるかもしれないという伝説のエリクシールにすがるしかないという状況である。




「ケホ、ケホ。ケホ、ケホ……」


 何でもないのにせきが出る。蒼白あおじろい自分の両手を見つめる精気せいきのないひとみ。自分でも分かる。もう長くはもつまい。


 アデレート王国の王女として生まれた自分が何もできずにただ死んでいく。王宮の外の世界も観てみたかった。マリアお姉さまともっと一緒に居たかった。恋もしてみたかった。


 涙がほほを伝わる。エリクシールという伝説のお薬があれば自分は助かるかもしれないと思っていた時もあった。でも、伝説は所詮しょせん伝説。都合よくそれが手に入るようなら伝説などとは言われまい。


 己の死に対して、達観たっかんしてから心も落ち着いた。そう思ってはいたはずが、涙は流れる。



「ヨシュア?」


 近くに控えているだろう侍女の名を呼ぶ。


「はい。殿下」


「お姉さまは、今どのあたりにいらっしゃるかしら。ケホ、ケホ」


 目を閉じたまま、今日も同じ質問を繰り返す。


「マリアさまは勇者さまたちと北方諸王国に向かわれてまだ一月ひとつきですから最初の国に到着されたかどうかというところでしょうか」


「そう」


 ヨシュアが鼻をすする音が聞こえる。


 もう一度お姉さまにお会いしたかった。閉じたまぶたからまた涙がこぼれるのが分かった。


 寝ている間だけせきが止まる。本当は、寝ている間も咳をしているのかもしれないけど。


 夢を見た。王宮の中にある庭園のベンチに一人で座って本を読んでいる。空が青くてきれい。気が付くと目の前に白馬がいる。 


 馬なんて乗れないけれど、気が付いたらその馬に乗って大きな首にしがみついていた。




 今日でこの朝日を見るのは最後になるのかもしれない。そう思い重いまぶたける。もう、ほとんど何も見えない。夜が明けて明るくなってきたことしか分からない。



 昼過ぎにお父さまが訪ねてきてくれたようだ。私の手を握りしめて言葉はなかった。お父さまの手は暖かかった。私の手が冷たかっただけかもしれない。



 次に目覚めたときは、陽が沈みあたりはすっかり暗くなっているようで、明日あしたの朝は私には来ないかもしれない思うとまた閉じた瞼から涙が流れた。こんなに枯れてしまった自分でもまだ涙が出るんだと思うと少し可笑おかしい。


 誰かが私を大きな声で呼んでいる。ヨシュアかしら。今までありがとう。





 侍女たちが見守る中、看護師が持参した白く輝くポーションをほんの数滴スプーンに取り、それを眠りについているリリアナのくちびるに軽く差し込んだ。寝ているはずのリリアナの舌がそれをめとった。


 看護師は少しリリアナの体を斜めになるように起こし、今度は、スプーンに半分くらいポーションを入れ、リリアナの軽く開いた口の中に差し込む。彼女がごくりと飲み込んだことを確認し、それを何度か繰り返す。そして、半分ほどポーションの残った瓶の口をリリアナの口に差し込み、流し込んだ。すべてを飲み込んだことを確認し、看護師がリリアナの手を取る。




 脈が少し早くなっている?


 伝説のポーションでさえもはや手遅れだったのか?


 リリアナの頬に赤みがさしてくる。間に合ったのか?


 脈がさらに早くなってきている。呼吸も速くなった。額に発汗はっかんが認められる。体も熱を帯びてきたようだ。


 急いで、吸い飲みに水を入れ、リリアナに飲ませる。病状が悪化して以来自分から吸うことも出来なかった病人が今は自分からもっと飲みたいというように水を吸い込んでいる。今まで真っ白でつやのなかった肌が張りのある瑞々みずみずしいものになって来た。


 伝説は存在した。予断よだんはもちろん許されないが、もう大丈夫だろう。


 看護師は、汗をかいたリリアナの着替えを侍女に命じたあと、自身はリリアナのベッドの横に置いた椅子に腰かけリリアナの様態ようたいを見守るのだった。




 それからのリリアナの回復は目を見張みはるものがあり、翌日の昼前に目覚めたリリアナは、すぐに立ち上がることさえできた。


「先生、私を病から救っていただきありがとうございます」


 深々と頭を下げ、自分をいやしてくれた看護師に心の底から礼を言った。


「殿下、お心はうれしいのですが、殿下をお治ししたのは私ではないんですよ。一昨日の夕方、突然商業ギルド長殿がお見えになり、殿下にと、エリクシールを届けてくださったのです。マーロン魔術師団長殿にお願いし、鑑定していただいたところ間違いなくエリクシールであると。私のしたことは、それを殿下にお飲みいただいただけです」


「それでも、今までの看病ありがとうございます。私はもう少し動けるようになり次第、商業ギルド長さまにお礼にうかがいます」



 今は亡きアデレード王国正妃せいひの長子はすでに亡くなっており、正妃の次子ではあるが第1王位継承権者であるリリアナ・アデレードの閉ざされかけていた未来が開かれた。


【エリクシール】あらゆるものをいやす やまいも、毒も。



 翌朝、リリアナ殿下が奇跡の薬により快方かいほうに向かったという噂が王都を駆け巡った。もちろん、奇跡の薬とは何なのかという憶測おくそくを含んでの噂である。



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