Scene VII [5th]


 星は左手に我が実像たる黒刀——レグラントを現界する。


 向き合うは、180センチメートル以上はあるだろう、長身で銀髪の男だ。ライダースジャケットに細いブラックデニムのパンツ、足元にはライダースブーツを穿いている。一見細身だが、太腿には引き締まった筋肉のラインが出ている。

 大斧の柄と刃を含めたサイズは幅1メートル、長さ3メートル程度か。以前闘ったライセの大太刀を遥かに凌ぐ、間合いと重量感だ。

 加えて先の一撃から結論付けるに、力で押してくるタイプと見て良さそうだ。


「行きますよ——っ」


 星は男に向かって走り出す。

 ——【サイン】は【サイン】を破壊する事能わず。

 一心の言葉が蘇る。

 それは、絶対の理だ。


 故に攻める。一撃にどれ程の威力があろうとも、『無銘』と対峙した時のように刀が斬られる事はない。


 男は長い柄を両手に持ち、真横に振りかぶる。

 星が間合いを詰めるタイミングで、大斧を右から左へ——弧を描く。遠心力を乗せた斬撃。

 受けるか、避けるか。


 不意に、星の耳が違和感を捉える。


 鼓膜を震わせる不協和音。


「——っ」


 直感する。

 ——これを受け止めてはいけない、と。

 その瞬間には身体が反応している。足から滑り込むようにして、強引に身を低くする。


 振り抜いた大斧は壁に食い込み、止ま——らない。刃の先端が触れた端から壁がぼろぼろと崩れだす。

 スライディングする星の鼻先を斧の腹が掠めて、空振りする。


 白いタイルの壁が一面、瞬く間に崩れ落ちた。


「けほっ、粉っぽいですね」


 男の背後に回った星は、咳き込みつつ、刀を中段に構え直す。

 しかし、男は手を緩めない。下半身を軸に反転。大斧を先程と真逆の軌道を描くように旋回する。


「——はっ」


 男が気勢を放つ。


 今度は余裕を持って回避可能。星は後ろの大窓に向かって跳躍する。

 しかし耳に届いたのは——。


 鼓膜を叩きつけるような不協和音。


 未知の音は果たして、想定とは異なる事象を生み出した。大斧の軌跡をなぞるように、粉塵が小さく発火し始める。そして、刃がリノリウムの床に食い込むと同時に——爆発。

 大気が震えた。大斧を中心に発生した振動で窓が外側に割れ砕け、一瞬遅れて、爆風がやってくる。

 直撃した星は、なす術もなく中庭に投げ出された。


 3階から落下していく。

 だが、身体強化が十全に発揮されている今の彼女であれば安全に着地できるだろう。


 その時、星の全身を悪寒が駆け抜ける。


 乾いた空気に赤黒い陽炎が揺らめく。

 強烈に迫ってくるのは——、死そのもの。


 ガントレットの手に限界した槍が閃く。【サイン】の一つである赤い槍が有しているのは、切っ先が『視えない』能力だった筈。さりとて、空中で身動きが制限されている今の状態では、能力を使われるまでもない。狙い打たれたら終わりだ。


 星は咄嗟に3本のくないを生成する。右腕を振り、それを陽炎に向かって飛ばして牽制。

 それから、全神経を左手のレグラントに集中させる。くないの質量の分だけ短くなった刀身を極限まで薄く、細く、長く——。

 ワイヤー状にした刀を、木の一番太い枝に巻き付ける。吹き飛ばされた慣性を利用して、縦に一回転。すぐさま刀身をほどいて上空へ舞い上がる。


「くーちゃんっ!」


 星の呼び掛けに応えるように。

 中庭のガラスを蹴り砕いて飛び込んで来たノアが、小柄な身体を抱きとめ、円錐形の屋根の上に着地する。

 白いワンピースの裾が風を孕んで舞った。


 男が怒鳴る。


「貴様を呼んだ覚えはないぞ、——テオ!」


「——お前の依頼主の意向だ」


 炎に巻かれる学舎の3階から星とノアを見下ろす男。

 中庭の花をグリーブで踏みにじり二人を見上げる陽炎の槍使い。

 ——そして、もう一人。


「リンネ、お前か」


「俺とテオは、君を連れ戻しに来ただけだよ。星ちゃんに用があるのは、あっち」


 リンネはポロシャツに黄色のデニムパンツ姿だ。兄の方は一緒ではないらしい。


「くーちゃん、二人を任せても良いですか?」


「——は?」


 星はワイヤー状になってるレグラントを一振り。元の形状に戻す。


「あたしはあの人と話してきます」


「待て——、二人で三人を相手にする方が負担が軽い」


「あの人の目的はあたしっぽいですから」


 制止するノアに構わず、星は瓦礫を伝って3階へと登っていく。




   ***




 白い煉瓦造りの壁が目の前で爆砕した。


 ——やっぱり、何か起こってる。


 悪い予感は当たってしまった。

 しかし、星は状況を理解した上で、わたしを一人で帰らせたと見るべきだ。危険から遠ざけるために。

 つまり、わたしが行っても足手纏いにしかならない。


 ——考えろ。わたしに出来る事……。


 『人避け』の魔術に抗えたのなら、他にも何か出来る可能性はある。

 今居る場所は美術学科棟の屋上。この先の渡り廊下を越えれば総合学科棟に着く。だが、正面から行くのは愚策だ。

 泡立つ背中に堪えつつ、思考をフル回転させるわたしの頭上を、白い影が駆け抜ける。


「のんちゃん!」


「万里——!? どうして戻ってきた」


「お願い、星を——っ!」


「当然だ! 君は隠れていろ!」


 のんちゃんはそれだけ告げると、総合学科棟へ跳躍していく。


 闘いはのんちゃんに任せるしかない。

 己の力不足に嘆くのは後で良い。

 わたしは、わたしに出来る事で二人を助けるんだ。




   ***




 3階は白煉瓦と鉄筋コンクリートの内装が跡形も無く吹き飛び、瓦礫だらけの有様だった。

 大斧の男は爆心地に無傷で立っていた。


「別れは済んだか?」


「何て呼べば良いですか?」


 コンクリートの破片が転がる音に、柔らかく弾む声が重なる。


「あ?」


「お兄さんの名前ですよ」


「好きにしろ」


 男は短く答えると、抉れた床を蹴る。聞く耳持たずだ。

 振り回された斧の軌跡に沿って、再び小爆発の連鎖が起こる。立ち込めるコンクリートや硝子の粉塵に引火しているのか。


「お兄さんは——どうして【サイン】を欲しがるんですか?」


 星は爆発の中、大斧を躱しながら訊ねた。


「別にソレ自体に興味はない」


「要らないなら止めませんか、闘うの」


「喋りながらとは随分と余裕をかましてくれるな」


 男は大斧を振りかざし、地面を割り砕きつつ攻め込んでくる。

 いかに【サイン】の身体強化があると言えど、食らえば確実に持っていかれる。かと言って、刀で受け切るには重過ぎる。

 必然的に回避を強いられてしまう。


 不意に、鼓膜を叩きつけるような不協和音。

 これは——。


「おらァ、ブチ鳴らせ! 【THE 5th SIGN】——クロノグラムッ!!」


 叫ぶと同時に大気が爆発する。


「わっ」


 星は刀を変形させてワイヤーを作る。それを螺旋階段の手摺りに巻き付け、綱渡りのように2階に降りる。

 【THE 7th SIGN】——レグラントの能力は『変容』。星の練度次第であるが、刃物という概念ならば何にでも形状を変えられる。これも一応、触れると切れる歴とした『刃物』だ。


 星は体勢を立て直す為、廊下を走って離れる。


 あの大斧——クロノグラムは対象の物質に依らず引火する性質を持っているらしい。

 差し詰め、爆破と崩壊——『破壊』の能力。

 両刃のやや大きい方が爆破を引き起こし、小さい方が崩壊を引き起こす。発動は任意であるようだ。


「どっちも厄介ですね……」


 物理的な破壊力、魔力的な爆発力、どちらもレグラントを圧倒している。

 加えて、気になる事がもう一つ——。


 そこに突如襲う、激しい振動。

 上からパラパラと何かが落ちてきたと思った瞬間に——。


 けたたましい音を立てて天井が、窓が溶けていく。


「——逃げんなよ。殺しちまうだろ」


 長身が2階に降り立った。苛立つように星を見下ろす。


「生きるためなら、逃げもしますよ」


 男がリノリウムの床を踏み付けた。衝撃で床が割れる。


「ふざけてんのか!」


「大真面目ですよ。死んだりなんかしません」


 星は軽く頬を膨らませる。


 クロノグラムの一撃は重くレンジも広いが、手数を増やして接近すれば勝算はある。武器は小太刀にでも変容すれば良い。

 ——飛び込む価値はある。


 星は黒き刀を天に突き上げ、高らかに叫ぶ。


「さぁ、幕は上がりましたよ!」




   ***続く***

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