Scene VIII [偽善]
——彼女はまだ無事だろうか。
4階に続いて、3階も崩落寸前だ。
星と銀髪の男が戦っている学舎へ、すぐにでも駆け付けなければならない。
しかし、その道にはリンネが立ちはだかる。
この間の闘いで見せた箱のような結界は使用していない。代わりに、全身を守れる大きさの、透明な丸盾を構えている。
「退け」
「無理だね。浅倉がカタを付けるまでは通さない」
「いつから、私にそんな口をきけるようになったよ」
言いながら、私は黒い炎の矢を撃つ。内在マナを使用して放つ、元素系魔術である。
着弾と同時に炎上。
だが、炎は彼の盾【THE EXTRA】——『無色』にいとも容易く防がれる。その盾は防御に徹している限り、難攻不落の壁となる。
『無色』はライセの『無銘』と対をなすよう設計された武器だ。
相手が彼だけであれば、出し抜くのも不可能では無いが——。
「む——っ」
足元を襲う気配を感じ、咄嗟に上空へと跳躍する。
私が居た場所を薄く赤い光が走る。槍の斬撃が飛んできたのだ。
攻撃の主たる陽炎の巨人——テオは、先程の場所から一歩も動いていない。
【THE 3rd SIGN】——カプライール。
この槍の能力は知っている。『射影』だ。穂先を別の空間に投射し、理論上はあらゆる空間を突く事を可能とする力。
リンネに対処できたとしても、アレに背中を見せれば狙い打たれる。
かと言って、テオを先に倒そうとすれば、リンネが黙っていないだろう。
おそらく私は生け捕りを命じられているはず。二人の攻撃が散漫なのがその証明だ。
しかし、星の命は保証されていない。何故なら、【THE 7th SIGN】と盟約できる人間が此処にも居るから。
「強引に突破しよう、とか思ってないよね」
盾を油断無く構えたまま、リンネが言う。
「——どうだろうな」
「君が星ちゃんと合流する素振りを見せたら、すぐにでもテオを向かわせる」
やはりそう来るか。
星の——レグラントの奪還は、浅倉という男に敢えて任せていると推察できる。それは、リンネとテオが私の相手をすると言う前提あっての事。
「おのれ……」
膠着状態に陥ってしまった。
苛立ちが募る。万里から託されたと言うのに——。
***
星はレグラントを下段に構えて、男に向かって駆ける。
敵もただでは近付かせてくれまい。間合い外にも関わらず、クロノグラムを斜めに振り上げる。
彼女が聞くのは再び、鼓膜を叩きつけるような不協和音。
——それで良い。
砕かれた天井の粉塵が爆発する。燃え上がる炎が星の肌を焦がすが、足は止めずに爆風の内側に入り込む。
それを見た男は大斧を振り下ろそうとする。だが、星の方が一足早かった。
「爆風を——っ?」
利用する。
星はレグラントを変容させていた。ただし今回は薄く——可能な限り広く。それは風を受けて加速し、彼女の身体を運ぶ。
しかし——。
「効かねえ! 効かねえ!!」
星の拳は男の左胸に確実に命中した。だが、びくともしていない。あの爆風の中、無傷でいられたのも納得だ。
立ち止まってしまった星は、クロノグラムの腹を打ち付けられる。大斧が小柄な身体のほぼ全身を強打する。
軽々と吹き飛び、崩れ残った壁に叩き付けられた。
「——っぐ……はっ」
再び距離を開けられてしまった。
星は呻めきながらも立ち上がり、広がったレグラントを刀に戻す。口元から血が滲んでいた。
崩壊の刃が粉塵を作り、爆破の刃がそれを火力に変える。自身はずば抜けた筋力と魔力耐性によって保護し、相手だけを破壊する。クロノグラムは——まさに強靭と呼べる武器。
だが、隙が無い訳ではない。拳では無理でも、レグラントならば保護は突破できる。やはり近接こそが鍵だ。
「今度は、決めますよ」
星は再び踏み込む。
愚直に、先程と全く同じように、黒刀を下段に構えて。
「——っ、ざけんな! 二度も同じ手を食うかよ!」
男はクロノグラムを——先端の小さな刃を床に突き立てる。
瞬間、鼓膜を引き裂くような不協和音。これまで聞いた二つの音とは異なる質のものだ。
引き起こされたのは、接近すらも許さぬ竜巻だった。
「やば——っ」
星が懸念していた通り、この瞬間まで隠していた、対近接の切り札。
男はゆっくりと大斧を引き抜き——、大上段から振り下ろし床を爆砕する。
烈風の後から床を這って爆風が追いかけてくる。
星はそれに真正面から飲み込まれた。
「残念だったな。さっきので俺を殺れてりゃ勝ちだったのになァ」
男は一瞬気を緩める。そこに、風を引き裂く一閃。
彼に向けて、黒いくないが一本飛んでくる。
「——ちィ」
ささやかな反撃は大斧に弾かれる。
その時だった。
男は眼を剥いた。大斧の柄に黒いワイヤーが絡まり付いてきたのだ。強く引っ張られる重み。
まだ、相手は生きている——。
「いい加減に、死んでおけ!」
男はクロノグラムを振りかざす。柄を引っ張られながら選んだのは——、竜巻。
「——待ってましたよ!」
爆発と竜巻の中、男には声の主が見えない。
依然としてクロノグラムにはワイヤーが絡まっている。だがそれにしては——、軽過ぎる。
彼は直感的に上を見る。
そこには、竜巻に巻き上げられ、今まさに自由落下している星。
彼女が手に握っている物、それは——。
「鞘——、だとォ!?」
切り札を温存していたのはこちらとて同じ。
レグラントを構成する全てを現界したとは、一言も口にしていない。
「ったあぁぁ——っ!」
落下する勢いに全体重を乗せた鞘の一撃が、男の右肩にめり込んだ。
「ぐっ、あああァァァ————っ!!!」
男は狂わんばかりに叫び——、うつ伏せに倒れた。
*
着地した星は荒くなった呼吸を整える。爆風に揉まれ続けたせいで、服は殆ど破れ落ちていた。
男は気を失ったのだろうか。ぴくりとも動かない。
「お兄さん——?」
星がゆっくりと近付き、顔を覗き込む。すると、俄かに男の眼が見開く。
男はふらつきながらも立ち上がり、吠える。
「俺は、負ける訳には、いかねえ……っ!!!」
絞り出すように荒く激しい呼吸。右腕はあらぬ方向を向いていた。重量のある大斧を支えられる状態ではないだろう。
「お兄さんにも、背負ってるものがあるんですね」
呟いて、星はレグラントを消失させる。
男は虚を衝かれたように目を見開く。
「何の真似だ!」
「グラちゃんは渡せません。でも、本当にどうしようもなくて闘ってるなら、一緒に立ち止まる事はできます」
「いい加減にしろ!!!」
叫び、床に足を叩き付ける。
「お前の言ってる事は偽善だ。単なる綺麗事だ……っ」
「よく言われるっす」
いつかの夜、ノアにも同じ事を言われた。
「綺麗事で良いじゃないですか。綺麗事が綺麗事のままで世界が回ったら、みんなもっと笑っていられますよ」
——それがあたしの正義。
「あたしは偽善者でも構いません」
徒手で立ち尽くす星を前に、男の瞳に暗いものが宿る。
「——なら、死んでくれよ……」
男は左手で大斧を引き摺りながら、近付いてくる。
しかし、星は動かない。
彼は左手の膂力だけでクロノグラムを僅かに持ち上げる。
星は柔らかい微笑を浮かべたまま。
「それはダメで、す————ぅぐ……っ」
肉を抉る鈍い音。
星の背中に銃弾が撃ち込まれた。
***
「————っ!?」
不可視の槍の一撃を躱した横目に、飛び散る鮮血が映った。
何処から飛んできたのか判然としないが、中庭を横切ったのは銃弾だ。学舎の2階——おそらく星と浅倉が闘っている場所に向かって。
「おい、リンネ! アレは何だ!?」
しかし、問い掛けられた彼も眼を白黒させている。
「分からない。少なくとも計画には無いよっ」
リンネが呻いたその時、星と浅倉が居ると思われる地点から、白い光の翼が生える。
不意に——、耳に響く女性の声。
——ノアちゃん、貴女も早く合流なさいっ。
「——っ」
その声に弾かれるように。
「——これは。おい、ノア!?」
私は無言で、ライセを『絶対切断領域』に閉じ込めた。
そして、テオの攻撃を慎重に予測しながら避けつつ、最速で術式を編む。
生成した黒い炎の矢は、18本。それらを全て、テオに向かって撃ち放った。
中庭の一画を残らず焼き払うような猛烈な炎。
私は脇目も振らずに星のいる2階の廊下に跳び込んだ。
***
声を上げなかったのは我ながら奇跡だったと思う。
10メートル先に星が倒れている。
背中からはおびただしい量の血が流れている。
「あ——っ、ぐ……げほっ、げほ……っ」
咽せながらさらに血を吐いている。内臓の何処かが損傷しているのは間違いない。
【サイン】の自然治癒がどの程度効果を発揮するのか知らないが、瀕死の状態で敵の前にいると言う事だけは理解できる。
——早く手当てをしなきゃ……。
背の高い銀髪の男性もまた、この事態に戸惑いを感じているようだ。
——冷静になれ。この隙を活用しろ。逸る気持ちを抑えて、静かに出来るだけ音を立てないよう、男の背後に回って行く。
「——運が無かったな」
男は同情するように星を見下ろした。それも束の間の事で、彼は大斧を低く持ち上げると、痙攣しながら血を流す星に向ける。
わたしはその男の後頭部に、白煉瓦のブロックを叩きつける。
「——あん?」
煉瓦が粉々に砕けたが、男は何の衝撃も感じていないようだ。あまりの出来事に足が竦みそうになる。
だが、時間稼ぎには十分だ。
わたしは後ろを向いた男の懐を抜けて、星の元まで辿り着く。
所見。背中に銃創。でもお腹には抜けてない。【サイン】の自然治癒力のせいだろうか、傷口が徐々に塞がり始めていた。全身に負った火傷や打撲、擦り傷も治り出している。
今は逆にそれが良くない。
このままだと、銃弾が身体の中に残留してしまう。
男が、こちらを向いた。
本能的に萎縮する程の厳しい視線。
「ただの人間だろ。お前は——?」
「星の、彼女ですけど……?」
「なら、一緒に殺ってやるよ」
わたしは星を庇うように覆い被さる。冷たい——けれどまだ、身体は脈打っている。
弱々しい呼吸の奥から「ばんり……」と細い声音が耳に届く。
「出来るものなら、やってみれば良い!!!」
叫んだその時、床から——その下の地面から白い光が立ち昇った。
——翼……?
光が、4枚の大きな翼のように広がり、立ち上がり、星とわたしを守るようにドームを形成する。
「万里、——星っ!」
そこにのんちゃんが跳び込んでくる。
「行くぞ」
少女が呟くと同時、眩い光に包まれる。
*
次に目を開けた時、そこは神秦邸の門前だった。
***続く***
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