Scene VI [開幕]
「おいおい、何だね。この『付けてやりました』感満載の雑なパイプは」
左手首に巻いたリング状のデバイスを振り上げて、前髪を雑にアップにした四年生——
相手は太いフレームの眼鏡を掛けた三年生——
「何言ってんすか。分かりませんか、自分のコダワリ。質感とか半端ないっすよね!」
「よく出来てて良いと思うけどぉ?」
「違うわぁ! 古山氏は機能美を何も理解しておらん! そのパイプの役割を考えろ。意味はあるのか? そもそもスチームパンクと言うのはだなぁ——」
文華岬大学総合学科、視覚芸術研究室——略して視芸研はいつも賑やかだ。
今頃彼方さんは舞台の上。のんちゃんは劇場を見張っているのだろう。星が舞台に上がったのは勿論初演だけのハプニングで、今日は二人して朝から大学に居る。
隣の席に座る星はこの間ショッピングモールで買った、下ろしたての黒いサロペットを着ている。
「秋ちゃん先輩、絵コンテと美術3枚上がりましたっ」
机に向かって猛スピードでペンを走らせていた星が、唐突に立ち上がる。
最初に反応したのは星と背中合わせに座っている四年生の
「よっしゃ、星ちゃんナイス。アニメーションは任せて。——菜種ぇ! ウンチク語ってないで美術上げろ! それから佳乃ちゃん、ボサッとしてないで音楽取り掛かる!」
「えぇー。佳乃ぉ、今忙しいからー」
口元に手を当てて長いツインテールを揺らすのは
彼女は菜種先輩と里子先輩が使っている作業机の間に、何処からかソファーとローテーブルを持ち込み、そこを根城にしている。テーブルの上には高級そうなティーセットが載っている。絶賛ティータイム中であった。
「アンタはお菓子食ってるだけだろうが!」
秋先輩は菜種先輩に指示を飛ばし、佳乃に怒鳴りつけた。彼女は彼女で、ベリーショートの髪を掻きむしりつつ、ずっとペンタブに齧り付いている。
「時に氷崎氏、収録は進んでおりますか?」
秋先輩の目を掻い潜るように身を低くして、菜種先輩が星に問い掛ける。
「最初の5分だけ。聴いてみるっすか?」
「ナニナニ。佳乃も混ぜてよぉ」
「自分も」
菜種先輩、秋先輩、里子先輩、佳乃が星の周りに集まってくる。隣の席なので圧迫感が凄い。
星のスマートフォンから四人のデバイスに音声が共有されているのだろう。
「————格好良い!」
「————わくわくする感じは伝わってくるっすね」
佳乃と里子先輩が口々に感想を述べる。
対して、菜種先輩と秋先輩の反応はにべもない。
「ふむ、これは——」
「うん、リテイク」
「やっぱりですかぁ。録りながらちょっと違うと思ってたんですけど、なっちゃん先輩、どこが気になりますか?」
菜種先輩が手を上げて、頷きながら語る。
「このキャラの過去を考えると、もう少し陰があると思うのだ。冒険は楽しみ。でも、そんな自分が許せない。うきうきで、もやもやで、でもやっぱりドキドキみたいな。そんなニュアンスを入れてくれると」
「りょーかいっす。ぐんぐんきゅーって感じで直してみます」
どんな情報が交わされたのか、途中からさっぱり分からない。もう慣れたけれど。
「しかし、イメージは湧いてきましたぞ。某、ちょっと籠もるので探さないでください」
「さっさと上げてよー」
菜種先輩がカメラを持って研究室を飛び出して行く。
彼女達の騒動を横目に本を読んでいる私だが、つい欠伸が出てしまう。丁度お昼寝時だ。
そんなわたしに里子先輩が声を掛けてくる。
「時ちゃん、モデルの動きで相談があるんっすが」
「わたしで相談に乗れる事なら」
「星間航空機の移動に使う学習マトリックスなんすけど、ちょっと動きが固くて」
彼女が腕に巻いたデバイスから映像が送られてくる。球体の船が弧を描いて飛んでいくが——、ちょっとカクついている。
確か前に導出した学習マトリックスだから——。
「——そうですね。このタイプの船なら、流体用の学習マトリックスで補正してみますか」
わたしはデバイスの演算機能をフルに使って、学習マトリックスを修正する。先輩達が使っているのと同じく、腕に巻くタイプのデバイス——研究室の備品を借りている。処理性能は快適過ぎる程快適だ。すぐに出た結果を里子先輩のデバイスに送る。
「マジありがとう! やってみるっす」
里子先輩が「うおぉ」と気合を入れて自分の机に向かう。
今、視芸研ではMODをフルに使ったアニメーション映画の制作を行なっている。当研究室の研究課題である『生体電流と骨伝導を併用した低遅延Overlay Reality体験』の実証として。それは菜種先輩と秋先輩の卒業制作でもある。
そんな様子を奥の教授席から微笑ましそうに——諦め切った笑顔で——眺めている女性が一人。
この研究室の教授、園枝蓮先生である。
「時任さんもすっかりウチの研究生のようですね。自分の大学は放ってて良いんですか?」
彼女は皮肉を述べつつ、わたしの席の側にやってくる。
「やだなぁ、知らないんですか? 新都には単位互換制度って言うのがあるんですよ」
「当然知ってます。私の研究室に入り浸る理由と全く関係のない制度の事ですね」
「つれないなぁ」
泣き真似をするように机に突っ伏す。
「時任さんはもう少し、他人への敬意を覚えましょうか」
蓮先生は腰に手を当て、必要以上に——平たい——胸を張って、問題児を見るような眼差しを送ってくる。
そうしていても、25歳の威厳は何処にもなかった。しかも、立って並ぶと星よりも若干小さい。とても教授とは思えない愛嬌に溢れた、視芸研のマスコット的な存在だ。
まあ、蓮先生の論も尤もである。
星が所属した頃から、視芸研には顔を出すようになっていた。しかし、本来わたしが通っているのは同じ宇鷺野学園都市にある私立三島医科大学だ。新都内なら他の大学の講義であっても正式な単位として取得できる『学術単位互換制度』なるものを駆使して、今週から星の通う国立文華岬大学に編入している。この大学の総合学科に居ても、単位互換できるのは、一般科目中心の二年目までが良い所だろう。それ以降も闘いが続くとは思いたくないが、最悪の場合、休学も視野に入れるべきだろうか。事情が事情だけに、素直に話しても斟酌してもらえる余地はあるまい。
「ところで、時任さんの眼鏡は伊達なの?」
「いえ、度が入ってるやつですよ。普段はデバイス切ってる事も多いですからね」
わたしは言いながら、首のデバイスに手を遣る。眼鏡は読書や勉強の時にだけ掛けている。デバイスの使用頻度が低いのは、星とコミュニケーションを取る上であまり使わないからだ。改めて、わたしの生活は星を中心に回っているんだなぁとしみじみと思う。
ちなみに、里子先輩のは度が入っていない眼鏡型のデバイスである。
「ばんりー、ちょっと数論教えてください」
「おっと、ラブコールだ。その話はまた後で聞きます」
園枝先生のお説教を遮って、わたしは星の所に行く。
彼女の周りは、アナログ志向の極みとでも表現しようか。机上にペンタブは無く、代わりにスケッチブックが何冊も立て掛けられている。目の前の壁には水彩画が1枚。雲の上に浮く島に、錆びた鉄と蒸気の街並みが広がっている。
他の先輩達の机もそうだが、ここは研究室と言うより制作会社の様相だ。
「制作は順調?」
少し水彩絵の具が混じった柑橘の香り。やっぱり安心する。
「うん。今日の分は終わりです」
「頬っぺたに絵の具付いてる」
わたしは袖からウェットティッシュを1枚出して、絵の具を拭う。星が画材であちこちを汚すので、何となく携帯するようになってしまった。
星はふわりと弾むような笑顔を見せる。
「ありがとー」
「私の話を放り出して、人の研究室でいちゃつくとは良い度胸です。二人ともそこに座りなさい」
蓮先生は拳をぷるぷると握りしめている。本人曰く、恋人いない歴イコール年齢らしい。
直前の会話を聞いていない星は首を傾げる。
「——? 蓮ちゃん先生が教えてくれるんですか?」
「え、あ、ごめん。数学は無理」
思わぬ反応に狼狽る先生を見ると悪戯したくなる。わたしは笑いかけて。
「わたしが先生にも教えますよ?」
「結構です! ——はぁ……。もう良いわ。時任さんも研究発表には参加するのよ」
蓮先生は肩を落として、この話題を退かすように手を振る。
星に数論を教えていると、先輩達が次々に席を立ちだした。
菜種先輩は登山用のバックパックを背負って言う。
「さてと、今日は上がるかの」
「自分もであります」
里子先輩が続く。菜種先輩とは頻繁に熱い議論を交わしているので、時々不仲と勘違いされるが、本心から尊敬しているそうだ。酔った里子先輩を介抱した時にこっそり聞いた。
「蓮ちゃんまたねーっ」
「では、氷崎氏、時任氏。また明日、制作の続きをしようじゃないか」
「菜種と佳乃ちゃんは残業。これから私ん家で続きやるよ」
「えぇーっ!? 佳乃はデートの約束がぁ」
佳乃は可愛らしい声を上げて秋先輩に縋り付く。
秋先輩はその手をさらっと振り切った。
「そーいう嘘は、相手を見つけてから言え」
「あのー、自分も行っていいっすか?」
扉の向こうからも騒がしい声が聞こえてくる。
帰る時まで賑やかな人達に、自然と笑みが溢れた。星に負けず劣らず癖の強いメンバーだが、この研究室は毎日が楽しそうだ。
「今日は皆さん早いですね。いつもなら、もっとだらだらとしているのに。まぁ、良い事です」
蓮先生は遠い目をしながら言う。
それから、時計を見て手早く書類を纏め始める。
「——私も職員会議があるので、そろそろ庭園に行かなきゃ。氷崎さん、時任さん、戸締りは頼みましたよ」
急かされるように、蓮先生も同じ扉から出て行ってしまう。
「慌ただしいですねぇ」
「本当。こんな静かになるものなのねぇ」
先輩達は普段、星やわたしより遅くまで残っている。「クオリティが……」とか叫びながら、朝まで作業している事も珍しくない。
そういえば。課題を解く星を見ていて、ふと今日が引っ越しの日だった事に思い至る。今頃は灯籠さんの家にわたし達の荷物を詰めた段ボール箱が届いているはずだ。
——まさか勝手に開けるような不届き者は居ないと思うけれど。
「星は残っていくの?」
「ん。課題、もうちょっとで終わりそうですから」
「じゃあ、わたしは先に灯籠さんの家に行って、荷解きしてるよ。星の方が荷物多いんだから、早めに帰っておいで」
「はぁい」
星に見送られて、わたしは視芸研を後にした。
*
文華岬大学の正門を潜ったところで、はたと足が止まる。
——どうして星より先に帰っているの?
荷解きなんて、少し考えれば急ぐ必要のない用事なのは明白だ。そもそも文華岬に来たのは、星と一緒の時間を増やす事が目的である。その為に、成績優秀者しか認定されない単位互換制度まで使って、同じ大学、同じ研究室に来たのだ。それを、あえて別行動を取ってまでやろうとしたのは何故か。
いや、それ以上に。
——どうしてそれを不自然だと思わなかったのだろう。
焦燥感が吐き気のように襲ってくる。
のんちゃんから存在は聞いていた。
——『人避け』の魔術。
この大学の人達は——わたしは、意図的に星から引き離されたのだ。
わたしは、正門から見て一番奥まった場所に建つ総合学科棟へと、踵を返した。
***
「——さて、そろそろですか」
星は最後の1問を残した課題を閉じて、スマートフォンにロックを掛ける。そして、窓の施錠を一通り確認し、黒いリュックを背負って研究室を出る。スマートフォンをかざして、研究室の扉に鍵を掛けた。
それから、調子外れの鼻歌を歌って廊下を歩き出す。
白煉瓦の螺旋階段を下りかけた先の廊下に、長身の男が立っている。
その男は、険しい目付きで星を一瞥すると、低い声で言う。
「氷崎星だな」
男は答えを待つ気がないらしい。万歳をするように振り上げた両手に、柄の長い巨大な両刃の斧が現界する。『ホルダー』だと認識した瞬間にはもう遅い。男はそれを躊躇わずに振り下ろした。
「そう——、ですよっ」
煉瓦の下地の鉄筋コンクリートまでひしゃげ、4階と3階を繋ぐ階段が音を立てて崩れ出す。
星は前方に向かって跳躍。レグラントの身体強化を全開にして、男の頭を超える。刹那、視線が交錯する。
星は壁を背負って、廊下に着地した。
「武器を取れ。でないと——」
言いながら、男は大斧を肩に背負って、星に向き直る。
氷のように冷酷で、無機質な一言。
「すぐに死ぬぞ」
***続く***
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