Scene V [決意]
『いよいよ分家が襲われたそうよ』
豪奢なソファに腰掛けた娘は顔を曇らせる。
『わたくしが今日という日を安らかに過ごせるのは、貴方のお陰ね』
陰りをすぐさま振り払い、傍らに侍る浪人へ淑やかに微笑む。
その気丈さたるや、何と健気な事だろう。
『恐れながら。どうか御命令を賜れませ』
浪人は面を下げたまま、押し殺した声で進言する。
『ふふ。貴方には健やかであれと、常々命じているではありませんか』
『滅相もございませぬ。貴女様のお望みとあらば、私は私すらも斬り捨てましょうぞ!』
張り詰めた叫びが木霊する。
——時は明治初頭。浪人は女性の身にありながら素性を偽り、人を斬って生き長らえてきた。しかし華族の娘に拾われて以来、彼女の為だけに奉仕し続けた一人の剣客であった。娘は旧大名家の一人娘だが、天皇の縁戚であるが故に倒幕に加担した一族として、他の士族から疎まれていた。現当主は彼女の父親。極端な急進派で、分家であっても容赦なく切り捨ててきた。中でも高村家からの怨みは深い。浪人にとっても、かつての当主を手に掛けた因縁のある分家だ。
固唾を飲んで見入ってしまう。
浪人——正しくは元だが——を演じるのは彼方だ。普段の様子からは凡そ想像できない苛烈さに震える後ろ姿。それは娘への熱情とそれを脅かす者達への憎悪に満ちていた。
娘役もまた、気品と慈しみ溢れる淑女を見事に演じている。正真正銘、高貴な生まれの人間を連れて来たのでは、と思う程に。
『そんな事を言うものではないわ』
舞台に立つのは二人きり。
娘はゆったりと間を置いて、訊ねる。
『わたくしの戯言に付き合ってくださる?』
『……は』
『こんな事を口にしてはお父様に叱られてしまうけれど——。平民の家に生まれたかったの。田畑を耕し、野山を駆け、森と共に生きてみたかったわ』
寝物語を紡ぐように、娘は目を瞑って語る。
彼女が思い描く情景そのままに、萌黄色のスポットライトが台上を照らす。
『ですが、この身分に生まれた事を不幸と思ってはいないわ。こうして、貴方と出逢えたもの』
浪人は身動ぎもせず、黙して話を聞いている。
そして、暗転。
——私に読み書きを教え、人間として扱ってくださったのは、貴女様に御座います。この想い、恩義以外の何物でもありませぬ。
上手から登場した彼方——浪人は胸騒ぎを抱き、屋敷への道のりを足早に歩いていく。
本心は屋敷を離れたくなかった。しかし、高村家への密偵を言い付かれば従う他はない。心の内では娘に仕えていても、当主の命令とあらば遂行する義務がある。
——高村家に動き有り。
逸る気持ちを抑えきれず、立ち込める暗雲の下、一つに纏めた髪を振り乱して駆ける。
そんな浪人の前に、刀を手にした士族が——五人——立ち塞がる。忽ち囲まれてしまう。
『退け。退かねば斬る』
『此処を通す訳にはいかねえなぁ』
『お前が屋敷で一番の使い手だそうだが、この人数を相手に出来るか?』
『貴様らが百人束になろうと、私は傷付けられぬよ』
三味線の音楽の中、殺陣が始まる。
演舞とは言えど、立ち回りと気迫は真に迫るものがある。
鉄を打ち合い、抉るように斬り付け——、浪人は五人を相手に殆ど無傷で勝利を収めた。
だが、不安は最悪の形で的中する。
浪人は見た。屋敷から、娘の部屋から上がる火の手を。
大雨が降っていた。
焼け跡に立ち尽くす浪人は慟哭を上げる。
足元には、刀を握り締めたまま事切れた当主。
——そして、今朝まで笑っていた娘が横たわっていた。
『高みの見物かよ。よもや捨て置かれるとは思っていまいな……』
浪人がふらついた足取りで舞台面の端に立つ。
戦慄く切っ先は、私のすぐ隣に向けられる。
刹那、絞られたスポットライトは、想像よりもずっと眩しいのだと知った。
その真下にいるのは——星だ。
「さぁ、上がって来い。娘。いや——」
客席が俄かにざわつく。
「高村家が嫡男よ」
「くっ」
逆光と前髪で星の表情は判然としない。
ただ、口の端が不気味に歪んでいるのだけが覗き見えた。
「裏でこそこそと糸を引いていたのは貴様だろう。私がこの手で貴様を殺してやる!」
星は舞台に跳び上がるや、当主が握っていた刀を掴み上げる。
そして、浪人と睨み合いながら、客席に正面を向くよう移動する。はっきりと伝わってくる、蔑みの含み笑いだ。
「何が可笑しい」
『此れが笑わいでか。女風情が俺を、殺す?』
『——貴様ァ!』
叫ぶと同時、浪人は刀を鋭く振り抜いた。
再び繰り広げられる一対一の殺陣。
しかし、高村は打ち合いを巧みに避ける。着物の裾を乱しながら、倒れ伏した娘の身体を盾にするような立ち回りだ。
目に見えて浪人の太刀筋が鈍っていく。
形勢は明らかだった。浪人の刀が空を切った隙、ついに——。
抉るような効果音。
肩から脇腹に向かって、袈裟に斬られた浪人が崩れ落ちた。
『はは——、あははっ』
音程の外れた笑い声が、ホールを席巻する。
『どうだ、見ろ! 俺は成し遂げた!』
星——高村は浪人の屍に刀を何度も突き立てながら絶叫する。
私の知っている柔らかく弾むようなそれではない。悲願に、屈辱に、自棄に突き動かされた怨嗟だ。
『天皇家に寝返った恥知らずを——父の仇を、討ち取ったぞ!』
身の毛もよだつとはまさにこの事。
絶叫に次ぐ絶叫。
天を仰ぐその背中を——。
血に濡れた刃が貫いた。
暗転。
フィルムが回る音がする。
それが静まった後に舞台を照らすのは、萌黄色のスポットライト。
——健やかであれと、命じたではありませんか。
確かな足取りで下手から舞台面へと歩いてくるのは、あの炎から奇跡的に生還した娘。だが、その手元だけは赤い光に照らされていた。
——本当を言うとね、貴女と生きてみたかったのよ。田畑を耕し、野山を駆け、森と共に。
残響の中、幕が下りていく。
彼女は生涯独身を貫いたと言う。
カーテンコールは大喝采のうちに幕を閉じた。
*
静寂。
今、楽屋の控え室に残っているは彼方と私の二人だけ。
中央に設えられた10人掛けの長机の両端に、斜向かいに座っている。
星と万里は着付け直しのため更衣室に籠もっており、他のスタッフは既に掃けてしまった後だ。
楽屋は控え室と更衣室に分かれていて、100席未満のホールから想像していたよりはずっと広い。
出演者とスタッフを合わせて30人が揃うと、流石に手狭に感じたが。
先程までこの部屋では、「初演の成功と、明日から2週間の前途を祝して——」と、彼方の音頭でささやかな打ち上げが開かれていた。
私達三人にもお呼びが掛かった。無論ジュースだ。私は酔う事が出来ない体質なのだが、見た目的に問題大有りだと万里に叱られた。
「着替えないのか?」
「煩いな」
彼方はずっと押し黙ったままだ。
かと言って更衣室に行かないのも、彼女なりに思う所があるのだろう。
理由は別だろうが、星も私も明らかに距離を置かれている。
指先で机を叩いていた彼方が、ぽつりと呟く。
「……どうだった?」
「まだ余韻が残っているよ。正直に言って、期待以上だった」
ちなみに、現場スタッフの人数は今の演劇界事情を鑑みると多いらしい。MORに頼らず、昔ながらの設備を使っている為だそうな。
賛辞に対して返って来たのは、乾いた笑いだ。
「脚本さ——。あの子が書いたんだよ」
彼方は更衣室に繋がる木扉を眺めて呟く。
「最後のシーンもアドリブ。監督がやれって言うから演出練り直してさ」
私は早々に席を立ってしまったが、監督は一目で分かった。一見なよなよとした印象だが、肝の座っていそうな人だった。
「驚かないんだね」
「もう随分と驚かされたからな。それに妙に腹落ちする」
「本物だよ。演技も脚本もやって、おまけに大道具までするんだから」
彼方が深々と嘆息する。
「でも、あの子は舞台を選ばなかった」
「納得していないのだな」
「そりゃそうだ」
「私が一番見惚れたのは君だよ、彼方」
「役者みたいな台詞を吐くな」
彼方は袴を翻して私の眼前に迫る。長身の彼女に見下ろされるとなかなかの圧だ。
「あの子が待ってたのは貴女だったのね。恨みがましくて自分が嫌になるけど、やっぱ腹立つ」
「それは違う。——と、私が言っても説得力は無いよな」
彼方が星の事を勿体無いと思っているのは、ひしひしと伝わってくる。
そこに私が口を出すのはおこがましいと思う。
しかし、意思に反して口が動く。
「星は家を出るそうだ」
胸ぐらを掴まれる。
その眼は浪人を演じていた時よりもずっと厳しい。
「だが、私は君をもっと知りたい」
素直にそう思った。星の代わりに、と言う思い上がりからではない。
——何故、あの娘は生きる道を選んだのか。
その答えを持っているのは、星ではなく彼方のような気がして。
「あの子に何かあったら私は……」
「心配するな。彼女は絶対に守る」
そして当たり前の日常と言う、替え難い居場所に還す。
私が背負うべき役目。万里や彼方に遺恨を抱かせるなど以ての外だ。
全霊を懸けて彼女達を守り、闘おう。
誓いの通り、私は戦場を共にする。だが、同じ平穏には生きられない。赦されてはならない。
——私は美しくなど、ないんだよ。
更衣室から出てきた星と万里、入れ替わりになる彼方の背中に向けて、小さく呟いた。
***続く***
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