Scene IV [誓い]
庭の小池で鹿威しが鳴り響く。
先日と同じ客間にいるのは、私と星、灯籠と薫。そして——。
「何故君が付いてきているんだ……?」
万里はたおやかな微笑を返してくる。
言ってはみたものの、いちいち驚かなくなってきている自分にも辟易する。
灯籠の自宅兼道場とのことだが、古き良き日本家屋には、彼女の和服が非常に馴染んでいた。
私達をこの場所に連れてきたのは薫だ。彼女は正々堂々と氷崎家のベルを鳴らして登場し、居間に上がり込んだ挙句、華絵と世間話をして行った。おまけとばかりに菓子折まで持参ときたものだ。
「思ったより早かったの」
前回と同様、濃紺色の作務衣に身を包んだ灯籠が、本題への口火を切る。
和んだ語調とは裏腹に、試すような眼光が私と星に向けられる。
「今日は答えを聞かせてくれるのだろう?」
彼が示した『提案』の事を言っているのは明白だ。
胡座をかいていた星が俄かに立ち上がる。畳の上を猫のようにひょいと歩き、灯籠と差し向かいになって膝を付く。
そして、看過できない一言を放つ。
「万里とあたしの会話、こっそり聞いてました?」
「——はて。何のことかのう」
灯籠は眉一つ動かさずにシラを切る。その仕草は自然すぎて、逆にわざとらしい。
星の質問は半分ハッタリだろうが、何故このタイミングで向こうから呼び出してきたのか、これで合点がいった。
「あたしの答えはもう決まってます」
高らかとも言える宣言。
しかし、彼女はあくまで柔らかく、リラックスした語調で告げる。
「でも、まだヒミツです。一番最初に話すのはくーちゃんって、決めてますからね」
それは、取っておきの隠し物をする少年のようだ。
——決めたら答え合わせしましょうか。
彼女は私を待っている。寝込みを襲いまでしたのに、それ以前に交わした言葉を律儀に守ると言うのか。
灯籠は満足そうに微笑む。
口元の皺を引き伸ばして笑みを浮かべる様は、あえて形容するなら悪巧みをする古狸と言ったところか。
「御主はもう少し慎重だと思っておったがな」
「万里と、くーちゃんがいますから」
狸の奥まった瞳が私を映す。
「ノアよ、御主次第だそうだ。さっきから大人しくしておるが、どうじゃ?」
「私は……」
水を向けられた私は咄嗟に言葉に詰まる。
何故——。悩むまでも無い筈なのに。
星の決断は想像するに難くないが、何れにせよレグラントを所有している彼女本人を守る方が確実である。仮に彼女の親類や知人を盾に取られたとしても、彼女さえ——否、レグラントさえ暁の手に渡らなければ良い。
——私は、為すべき事から逆算するだけ。
だが——。
脳裏に過るのは涙。たった一人の妹のために怒り、悲しみ、そして抱きしめた姉の姿だ。
「すまない。もう少し考えさせてくれ。時間がないのは分かっているつもりだ」
「——よかろう。明日まで待とう」
灯籠は音も無く立ち上がる。
「時間は無いぞ。彼奴らはもう動き出しておる」
「灯籠様、どちらへ?」
「いつもの娯楽だよ、娯楽」
「灯さんの好きなものですか?」
灯籠は敷居の手前で足を止める。
そして、懐から何かを取り出す。三本の細い鉄の棒をぶら下げた小さな鉄の球体。
彼は球体から伸びた糸の輪に指を引っ掛け、静かに揺らす。
すると、まるで微風が鳴くような、澄んだ音色が響く。
「風鈴……?」
万里はそれを繁々と覗き込む。
「鉄器なんですね。これ、ご自分で作られたんですか?」
「鉄を打つのが趣味でな」
「ふぅん——」
「灯籠さん、ちょっとだけ二人きりでお話しをしませんか?」
肩より上の黒髪を揺らしてにこやかに告げる万里。そんな彼女を見て、不意に狐をイメージする。
化かし合いでもするつもりなのか……。
「では別室で」——と。風鈴が鳴り響く廊下を、万里と灯籠の二人は薫に先導されて歩いて行く。その背中を、星がひょこっと付いて行こうとする。
「あたしも——」
万里は顔だけ振り向いて、口元に人差し指を当てる。
右耳の四葉のピアスが楽しむように揺れた。
「星はダーメ。あとでびっくりさせてあげるから、ちょっと待っててよ」
「はぁい」
狐と狸に置いてけぼりにされてしまった。広間に残された私達は、とりあえずお茶を啜って待つ事にした。
*
翌日は呆気なくやって来た。
灯籠が定めた期日だ。夜中には屋敷に行く約束になっている。
——それが分かっていながら。
「のんちゃん、下駄は歩きにくくない?」
「……至って問題無い」
——どうしてこんな事になっているのだろうな。
「本当、帯とかキツくない?」
今日の万里は何かと気を回してくる。尤も今のは、私が足元を見ていたせいかもしれないが。
星、万里、私はそれぞれに朱、山吹、白を主色とした着物に身を包んでいる。これらの調達から着付けまで全て、万里一人でやってくれた。しめて三人分だ。
氷崎家に逗留して数日。あの家もよく分からない事だらけだが、万里の育ちも未知なる領域である。
下駄をからころと鳴らしながら軽快に先を歩いていく星が、手にした巾着を振り回して、私達に呼び掛ける。
「二人ともどうしたんすかー?」
「のんびり行こう! まだ開場もしてないんだよ」
わざわざ駆け戻ってくる星。万里と二人で私を挟み、三列になって歩く。
道が広いのもあるが、人がそれ程多くない。良く言えば牧歌的、だろうか。短く手入れされた芝生の中を、飛び石が道を作っている。その幅は悠に大人10人が並べる程だ。
遠くには、芝生を円状に囲むようにして、煉瓦造りの街並みが見える。
音乃宮——氷崎家とショッピングモールの丁度中間に位置する駅である。この辺りに足を運ぶのも初めてだ。
「君はその格好でも変わらないんだな」
「和服って、着ると心がむずむずしちゃうんです。見慣れてはいるんですけどねぇ」
星は左足を軸に身体を一回り。袖が軽やかに揺れる。
「もう、そんなに跳ね回ったら着崩れるよ」
万里は袖に口元を隠して囁くように笑う。同じ着物を着ているのに、この差は何だ。
不意に彼女と眼が合った。
「んー、どうした?」
「こうして改めて見ると、君は美しいものだな、と」
瞬間。思いがけず間が生まれる。
「ありがと。随分ストレートだね。——うわ、ちょっと照れるかも」
「立ち振る舞いや雰囲気がたおやかと言う意味だよ。そう恥ずかしがる事じゃない」
「あはは。素直に嬉しいよ。『美しい』ってあんまり聞かない単語だからさ、驚いちゃった。『たおやか』もね」
万里が立ち止まる。
目の前に聳えるのは真新しいガラス張りの建物。此処だけ周囲から浮いているためか、人気は一切無い。
彼女はその建物を見上げて、呟く。
「美しいって言葉はきっと——、のんちゃんの為にあるんだよ」
舞うように上がる語尾が耳を擽る。
そして彼女は、俄かにステップを踏んで前に出た。
「二人共。答え合わせ、わたしも混ざって良いかな」
虚を突かれる。
しかし、万里は私達の返事を待たずに続ける。
「まぁ、星の答えは知ってるんだけどね。カンニングだ」
悪戯心を見せるように舌先を出す。
隣の星は至って平静だ。相変わらず読めないポーカーフェイスは、ふざけているようでもあるし真剣なようでもある。
遅ればせながら気付く。私は万里が『参加する事』ではなく、それを『改まって予告した事』に戸惑ったのだ、と。
この二人と居ると、どうにもペースを乱されてばかりだ。
「——でもってフライングさせてもらいます」
万里は歩み出て、星に向き合う。左手を星の腰の帯に回し、右手で左耳のピアスに触れる。
「わたしは、星——キミと歩みを共にする事を、この四葉に誓います。例えキミがどんな道を選ぶとしても」
それは悠然とした響きを持って伝わった。
星はふわりと弾むような笑顔になり、万里の右耳のピアスに手を伸ばす。
「あたしも誓います。あたしが万里に居て欲しいって思うから」
——そうか。彼女らはとっくに覚悟していたのだな。
並大抵ではない。文字通り命を賭した誓いなのだから。
思えば、最初からそうだった。命を賭けるしかない状況で、星は微笑んだ。万里との絆を守るために『盟約』すら果たしてのけた。万里もまた、星のために灯籠と対話をしたのだろう。
私にはもう、この二人を『認めない』という選択肢は無い。
二人の側に歩み寄る。
「私も誓おう。君達を守り、闘うと」
告げると同時——、抱き寄せられる。
「あたしは灯籠さんの所に行きます。この瞬間を本物にするために、強くなります」
その一言は強く高らかに、胸の内に響いた。噛み締める頃には、私の中にも一つの決意が生まれていた。
*
それは『答え合わせ』をした場所から数分も歩いた所にあった。
「ここですよ、くーちゃん」
まるで自分の城を披露するように、星は告げる。
白煉瓦の箱型の建物だ。四隅には丸い柱が建っている。
同じ煉瓦でも、隅々まで手入れの行き届いた文華岬大学のそれとは違う。大きく無骨に切り出された、より年季を感じさせる物だった。
同様に年季の入った木製の看板は、MORが浸透した今となっては珍しい。しかしそこに描かれている、濃紺色に浮かぶ赤や黄、白色の粒は——、暗闇に輝く星々のよう。看板の向こうまで広がっているような銀河を背景として、『stella』のアルファベットが並ぶ。
stellaは劇場の名前。彼方が役者を務めており、星が辞めたという劇団の名前だ。
***続く***
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