Scene III [暗澹]
目の前に高い立方体の建物が聳え立っている。
壁は堅牢な石造り。冷たい石の扉を押すと、想像通り内側も同じ材質だった。
巨大な四角い石を持ってきて、内部をくり抜いたような構造だ。
薄暗く粘っこい空気が立ち込める。
連想されるのは——棺。
「おう、野良犬。アンタで最後やで」
早速、人を見下しきった野次が飛んでくる。
俺はその男を無視して、初めて入った部屋の中を見回す。
扉を背にして両側の壁沿いに敷き詰められた、このご時世には珍しい大型の電子装置。そこから何本もの配線が張り出し、根のように石壁を伝っている。
所長の机は一番奥。その手前には薄地のカーテンが垂れている。
カーテンの向こうには、ゆったりとした椅子に背を預けるシルエットが見える。依頼主は既に在席のようだ。
部屋には他に5人の男が集まっていた。
中央のローテーブルを囲うように配置されたソファーに座っているのは3人。右手から順に、俺に声を掛けてきた『ホルダー』——
離れたソファーで不機嫌そうに腕を組んでいるのは、確かクライアントの息子と紹介された双子——立木ライセとリンネだ。先の戦闘で『七番目』の『ホルダー』に敗北したと聞いている。
普段は研究者がひっきりなしに出入りしているが、今この場所にいる研究者は命柴、そして俺の依頼主である
棺の中に、老人の嗄れた声が響く。
「『七番目』は『盟約』に到達したそうだな」
その声には忌々しさが滲み出ている。
「——城之崎よ。まずは『六番目』の首尾を報告せよ」
「はい。以前報告した通り、逃げ出した被験体は無傷で捕らえました」
城之崎はポマードがてかる前髪を掻き上げて言う。
「して、アレは回収できたのか?」
「いいえ。この被験体は抜け殻だそうで」
「ほう。抜け殻、とな……?」
その問いには命柴が答える。
「『六番目』の力と見て間違いありません。被験体D2-X30は『心身同調』を果たした後、暴走。精神の器が壊れてゆく身体から、意識だけを移植したのです。被験体の魔力受容体にあらゆる刺激を与え、反応を検証しましたから確かですよ」
命柴は抑揚無く続ける。
研究の過程と成果に対しては偏執的にストイックだが、人道や社会的な観念が著しく欠如した男だ。
「ここからは憶測になりますが、抜け殻を捨てた『何か』は宇鷺野市の何処かに身を隠したものと思われます。『六番目』を持ったまま」
「捕らえる算段はあるのだな?」
再び城之崎に会話のバトンが回ってきた。
彼は腕に巻いたデバイスを操作する。
間も無く、部屋の中央に宇鷺野市の地図が広がる。
「魔力の痕跡を辿るに、抜け殻は『六番目』に引き寄せられるように動いている。利用しない手は無いでしょう。あとは時間の問題かと」
地図上の赤い点が抜け殻の観測地点、そして曲がりくねった黄色いラインが『六番目』の痕跡か。
確かに両者は重なるように移動している。
「良いだろう。城之崎、この件は御主に一任する」
「はい、必ずや」
「——テオよ。戦力面のサポートは任せるぞ」
その言葉と共に、石室の空間が一部揺らめく。
そこから這い出るように現れたのは——、赤黒い陽炎。背丈は3メートルを超えるか。実体感があるのはガントレットとグリーブだけで、それ以外の部分は歪に揺らめいている。
辛うじて人の形に見えるソレはたった一言——。
「承知した」
死神が囁くような残響。
この場の誰もが一瞬息を呑んだろう。
『七番目』出奔の件が発生するまで何処かに秘匿されてきた、得体の知れぬ怪物——それがテオと言う存在だ。
しかしそんな事は意に介さず、話題を一方的に打ち切るように、御鶴城が肩を竦める。
彼の内心なぞ知った事ではないが、少なくともその態度からはテオに対する恐れを微塵も感じない。
「なぁ、暁よ。『七番目』はどうすんね? 新しい『ホルダー』、なかなか闘れる女やと聞いとるが」
「考慮に値せぬ。儀式を成し得るのは巫女——ノアただ一人なのだから」
忌々しさはなおも濃く滲み出ている。
「つまり、『七番目』の『ホルダー』を殺って奪い返し、ついでにあの黒いのも連れ帰らにゃならんわけか。こりゃ面倒や」
御鶴城は芝居がかった調子で右手を頭に持っていく。
この男と同意見なのは気に入らないが、『ホルダー』と守護者、二人を相手に闘うのは簡単では無いだろう。ましてや、片方は生け捕りが条件だ。
不意に、双子の片方が立ち上がる。兄——ライセの方だ。
「殺すのはやりすぎだろ」
「ああ?」
御鶴城が不遜に言い返す。
前髪に赤いメッシュの入った黒髪をぼりぼりと掻く。
「ライセ——っ」
「おい、オヤジ! 俺が行く。要は『七番目』を剥がして持ってくりゃいいんだろ」
リンネの静止を振り切って、ライセが訴える。
その言葉を叩きのめすように。
「なぁ——」
御鶴城の冷淡な瞳が双子に注がれる。
「オレ、ちょっと思ってんけどね。お前さん方、全力出してなかったやろ」
「なん、だとぉ——!?」
忽ち激昂するライセ。
しかし、それには取り合わずに御鶴城は言葉を継ぐ。
「『絶対不断』やっけ? 本気で発動しとったら、未熟な『ホルダー』が生きてる訳ないで」
『盟約』によって魔力を帯びるのは刻印だけではない。【サイン】に宿る精神体と同調する過程で、人の精神もまた魔術的な物質に置換される。
ライセの『無銘』は人を切る事はできないが故に、魔術的な物質を『斬る』のに特化している。理屈で言えば『ホルダー』の精神を『斬り』殺す事はできる。
だが戦闘記録を見る限り、『七番目』を斬ってはいたものの、『ホルダー』を狙った攻撃は局所的なようだった。
「結果さえ得られれば、過程はどうでも良いだろ? 次はしくじらねぇ……」
ライセにとっては痛いところを突かれたようだ。
出鼻を挫かれ、語尾を濁らせる。
「どうだか。言うたら、『二番目』は何処行ったん? アイツも呼ばれてたやろ。なぁ、命柴?」
「……音信不通です。付け加えると、『七番目』の方は神秦灯籠と接触したと」
「何や幸先悪いな」
御鶴城は喉の奥で笑う。
「ま、オレも好きにさして貰うわ。先に黒いの叩きのめすのも悪くないな」
その言葉に弾かれたように、リンネが前に出る。
「——っ! 俺からも頼むよ、父さん。ライセと俺でかかれば、ノアも『七番目』も絶対に奪い返せる」
「だ、そうだが。所長としての決断はどないや?」
老人は微動だにしない。
無音のまま数秒が経過する。
「——弦夜よ」
不意に、老人は俺の名を口にする。
「御主が行け」
「オヤジ!」
「これは所長命令ですよ。息子のあなた方でも覆す権利はありません」
命柴はこの場に似つかわしくない鷹揚さで双子を説き伏せる。
「ちっくしょう……っ!」
ライセが石床を叩く。
膝を付く彼を背にして、俺は命柴に向き直る。
「——契約は守って貰うぞ、命柴」
「ええ。『七番目』を持ち帰ってきた時、望む報酬を与えると約束しましょう」
俺は千載一遇の好機を物にして見せる。
たとえ、獣に身を堕としても——。
「期待していますよ、『ホルダー』——浅倉弦夜」
冷たい石室を後にする。
『七番目』と接触したと言う剣術家、神秦灯籠の名は知っている。
暁と袂を分かった男だ。【サイン】の危険性を知りながら放置したとも言える。
何れにせよ、御鶴城や灯籠の一派が出しゃばってくる前に蹴りをつけよう。
俺の信条は、即断即決だ。
***続く***
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