Scene II [提案]
庭の小池で鹿威しが鳴り響く。
向かいには、白髪白髭、濃紺色の作務衣を纏った老人が腕を組んで正座している。
「改めて、私からの『提案』を話そう」
厳かな所作を崩さぬ老人——神秦灯籠は存外軽い口調で告げる。
星の『お約束』は彼の琴線の何処かに触れたらしい。成長した孫でも見るかのように、柔和な笑みを浮かべている。
「この家に来てみる気は無いか?」
胡座をかいていた星が少し身を乗り出す。
「先程も言ったが、私は剣術家をやっていてな。道場を開いておる。尤も、門下はコウやそこの薫を含めて6人ばかりだが」
彼の隣に座っている薫が小さく頭を下げる。
顎髭に手をやり、灯籠が言葉を継ぐ。
「御主が【サイン】の実体として、刀と言う形を選んだのも何かの巡り合わせだろう」
灯籠は一拍、呼吸を置く。
庭の方から水の流れる音が聞こえてくる。
「星——私が御主に刀術を伝授する」
「刀術——っすか」
星の運動能力は高い。
一方で、刀の扱いは未熟だ。剣道を習った事があるとは聞いたが、そもそも実戦に活かせるものではない。
対して灯籠の刀は実戦刀術——神秦流。人や物、流体すらをも切る事を想定とした流派だ。
強力な魔術的ブーストが【サイン】戦の前提であるが、『ホルダー』自身の素養はその効果を何倍にも発揮し得る。
もし灯籠の教えを受ければ——、彼女は確実に強くなるだろう。
「その気があるなら、しばらく我が家に逗留するが良い。ここには薫もおるしな。悪いようにはせん」
それに、刀術を修めるという以外にもメリットがある。
「確かに、此処なら警備も万全。彼女の身を守るにはうってつけだ」
逆に私と星が此処に居座る事で発生するデメリットも——。
「だが、それでは星の家族はどうなる。手段を選ぶような奴らでない事は知っているだろう? すぐにでも『ホルダー』の素性を調べ上げて狙ってくるぞ」
灯籠は眉一つ動かさずに答える。
「無論、我が門下総出で力を貸そう。多少は魔術の心得がある者もおる。星の関係者を密かに護衛させるゆえ、安心せい」
「敵も『ホルダー』だ。戦闘になれば護衛など無意味だよ」
磨き上げた刀のような眼差しが私の眼を覗き込む。
気味が悪い。まるで、自分自身ですら気付いていないような感情まで、全てを読み取られてしまうような。
「御主がおるではないか。【サイン】【THE EXTRA】——並べて10の刻印に認められし者達の中でも抜群の素養を持つ御主が」
老人は髭を弄りつつ、私に皺だらけの笑みを向ける。
「平時は星と行動を共にし、何かあれば駆け付けて来れば良い」
もう一度、鹿威しが鳴り響く。
「ノアよ。御主は氷崎の守護者になれ」
障子と襖で区切られた部屋にすっと冷たい風が抜ける。
星は何を思っているだろうか、一切口を挟んでこない。
「いずれにせよ、御主の選択肢は二つしかあるまい」
「——撤退戦か篭城戦、か……」
攻勢は戦力的に困難であり、降参は端から選択肢に存在しない。
撤退は星がレグラントを手放さない時点で成立し難い。
そして、篭城を選ぶなら——、灯籠の考えは正鵠を射ている。
「然り。時には肩の力を抜き、あるがままに任せるのも良いものだぞ」
*
*
*
ショッピングモールと呼ばれる施設に来たのは初めてだった。
星の自宅の最寄り駅から宇鷺野学園前駅を過ぎて3駅。時間にして10分程の場所にある。
まず入って驚いたのは店の数。市街とは比べ物にならない密度で、様々な店舗が並んでいる。MOR——携帯型被覆現実——の看板がそこかしこにポップアップしている。何処に目を向けて良いものやら。
連戦でボロ切れのようになった星のジャケットとマフラーを一式、それから——私が破いた枕を買うのが目的だ。
とは言え、私の役割はあくまで護衛である。星と万里、この二人を無事に宇鷺野学園都市へと送り届けるまでの。
「さぁ、張り切っていこう」
万里が帆布のショルダーバッグを掛け直して意気込む。
彼女は薄い藍色の水仙柄の着物に、厚手の赤い長羽織りを羽織っている。ショートの黒髪には銀色の簪。そして、足元は下駄ではなく、黒い編み上げのブーツだ。
「二人とも午後から予定があると言っていたな」
「うん。星はバイト、わたしは大学。だから、計画的にね」
「そうですねぇ。まずはパジャマから行きますか」
星は萌黄色のニットワンピースにショートパンツと言った出で立ちだ。下ろし立ての黄色いラインの入ったスニーカー。背中にはお馴染みの黒いリュックを提げている。
私は白いガーゼのチュニックに黒いロングスカートを穿いている。靴はヒールの低いショートブーツだ。
今日の服は華絵から借りた。氷崎家の中でサイズが一番近いのが彼女だったからだ。
無意識に肩にかかった髪を払おうとして、はたと思い出す。
構わないと言ったのに、星のお節介によって私の髪はお下げに結われていた。しかも、ご丁寧に編み込まれた上、シュシュまでプレゼントされたのだった。
平日だが買い物客は多い。学生やファミリーが殆どか。
学園都市程の密度では無いものの、店舗間の通路を歩く人波に酔いそうだ。
「ね、くーちゃん」
視線を彷徨わせている私に、星が腕を絡めてくる。
「行くわよー。星、のんちゃーん」
万里が店の前で手を振っている。
のんちゃん——また新たな渾名が追加された。
*
星と万里は次々と店に入って回る。まるで自宅の庭でも散策するように。
そして、私はその度に試着をせがまれる。
流されるがままに身を任せた結果、みるみる増えていく手荷物——パジャマ、下着、普段着、化粧品、スリッパ、クッション——。
「待て待て。どうして私の日用品ばかりなんだ?」
「あたしのは最後にちゃんと買いますよ」
並んで前を歩く二人は、次は何処の店に入るかを話し合っている。
その耳に揺れるのは、四葉をあしらったお揃いのピアス。
元は一組のピアスを購入し、左を星が、右を万里が付けているそうだ。
ふと万里が私をまじまじと見詰めているのに気付いた。
「のんちゃんは似合いそうだねー」
突然何かと思えば、着物屋の前を通り過ぎるところだった。
店先には四季折々、色とりどりの花模様をした着物達が飾られている。
「ふむ、どうだろう。着た経験が無い」
「浴衣も?」
「ああ」
「えー、勿体無いなぁ! 絶対似合うのに」
万里がむずかるように身を乗り出す。衣装一つでそれ程真剣に事も無いだろうに。
そこに、星が自分の胸に手を当てて声を上げる。
「あたしはー?」
「何度も着てるじゃない。似合うわよ。でも、いつも動きにくそうにしてる」
それは容易に想像がつく。
一つ一つの仕草が丁寧な万里に比べると、星はやや大雑把だ。
「君もああ言うのを着るんだな」
「たまにっす。万里に着付けてもらってるんですよ」
「でも、星の一番はアリスだね。中学校で演ったやつ、とっても可愛いんだよ」
万里が鼻にかかるような高い声を弾ませると同時に、目の前に動画がポップアップする。
映っているのは水色のエプロンドレスを着た星だ。確かに衣装もブロンドも良く似合っている。
ハートの女王と対面するシーン。その演技力はなかなかどうして。素人の集団の中で逆に浮いているレベルだ。
「そう言えば、のんちゃんのデバイスって何処にあるの? もしかして、魔術的な感じ?」
万里は首に巻いたデバイスを指して言う。星は当然ながらスマートフォンを手にしている。
動画はネットワークを通して私達三人だけに共有されているのだ。
「ああ、私のは——これだよ」
黒く塗った小指の爪、そこにチップが埋め込んである。
「へぇー。珍しいタイプだね」
万里の感想も然りだ。
暁の研究所で独自に小型軽量化された物で、一般には普及していない。
——とある目的のために。
「そうだ。わたしがのんちゃんに着付けるよ。次までに着物も用意しとく。三人で着よう」
「いいですね。あ、週末のstellaの日にしようよっ」
「分かったから。そんなにはしゃぐんじゃないの」
星が万里に文字通り飛び付く。万里の方も慣れた様子でそれを受け止める。
ごく自然にスキンシップをする二人。
18年来の幼馴染にして、恋人だと言うのも頷ける。きっと普段からこうなのだろう。
しかし——。
少々密着しすぎな気がする。
「二人とも、仲が良いのは結構だが、あまり人前でベタベタするものじゃないぞ。節度と言うものが——」
咳払いを挟んだ時、万里の肩越しに星が顔を覗かせて笑う。
「くーちゃんって、お姉さんみたい」
*
星の買い物が粗方済んだ頃、万里の希望で本屋に寄る事になった。
店内に入るや、万里は文芸書コーナーに一人で歩いて行ってしまう。
てっきり付いて行くものと思っていたが、星は反対方向に向かう。洋書と絵本のコーナーを抜けると、奥には文具スペースが広がっていた。
「君は何のバイトをしているんだ?」
背後の棚で筆記用具を物色している星に話しかける。
「本屋さんですよ。ここじゃなくて、華絵さんのお店です」
「ほう。華絵は本屋を経営しているのか」
「ルピナスって名前ですよ。コーヒーも出してるの。くーちゃんもどうですか?」
私の正面の棚には、細い眼をした黒猫の置き物が飾られている。
「華絵と君の店なら、美味しい珈琲が飲めそうだ」
背中合わせの会話だが、星が上機嫌なのが分かる。
調子の外れまくった鼻歌は理解できなかったが。
——お姉さんみたい、か。
だとしたら、とても褒められた姉では無いな。
自嘲しかけたその時、肩を引かれる。
「ねぇ、見てくださいよ」
それは、桃色の兎のイラストが描かれた——。
「ペン?」
「グラちゃんをこのペンに移すとかも出来ちゃいます?」
グラちゃん。
その呼び名には未だに慣れない。
——【THE 7th SIGN】、『七番目』、レグラント、牙の王——暁の下で幾つもの銘を耳にしたが、こんな馴れ馴れしい愛称を付けた人間は初めてだ。
「可能だが、あまりお勧めはしないぞ」
「どうして?」
万里が横から現れて問い掛けてくる。
「星、何か身体の変化を感じないか?」
星は左手で腹を撫でつつ、右肩を回す。
「うーん。今朝から身体が軽いような。そう言えば、昨日蹴られたお腹も痛くないですね」
「ちょっと、それ聞いてない——」
一瞬、万里の周囲の空気が揺らめいたように見えたが、無視して続ける事にする。
「——刻印に触れている限り、強化の恩恵を受けられるんだ」
【サイン】の特性である身体強化——つまり、筋力、魔力耐性、五感、自然治癒力の強化——は『盟約』に達した段階で、恒常的に作用している。そして、武器として現界する事でより強い効果となる。
しかし、それらは全て刻印と物理的に接触している事が前提条件だ。
「本来、刻印は身体の何処かに刻む方が剥がされにくい。良くてピアスのようなアクセサリーに、と言ったところかな」
「ふーむ。身体は結構恥ずかしいですねぇ……」
「わたしもちょっと嫌かなぁ。温泉とか入れなくなったらつまんないし」
各々、呑気な感想を呟く星と万里。
——いや、ちょっと待て。
二人があまりにも平然としているから忘れそうになったが、万里の前でこの話題は不味いのではないか。
計画は水面下に、と言うのが暁の信条だった。知ればそれだけ巻き込まれる危険性が高まる。
反面、メリットもある。
彼女らが恋人同士であるのなら、万里も護衛対象として最有力候補だ。
護衛には灯籠門下の剣術家、魔術師を総動員すると確約させたが、想定外の行動で見失うリスクはある。万が一を避けるのであれば、事前に状況を伝えて行動を制限しておく方が有利であるとも考えられる。もちろん開示する情報は最低限に留めて、だが。
本屋を出た途端、兎グッズ満載のディスプレイに吸い寄せられるように、雑貨屋へと歩いて行く星を放置して、万里に耳打ちする。
「星は君にどのくらい話してるんだ?」
「んー? ——ああ。星が『レグラントさん』っていう剣と『盟約』をして、貴女と一緒に、この世界を壊しちゃうような敵と闘ってるって?」
——殆ど全部じゃないか。
頭を抱えたくなる。
食後に二人で話し込んでいるなと思ってはいたが……。
星の口の軽さにも辟易するが、あっさり信じ切っている万里も万里だ。
この調子で広まっていくようだと、宇鷺野市がパニックに陥る日もそう遠くないかも知れない。
***続く***
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