第3話 THE FIFTH

Scene I [胸騒]


 星形のプレートを提げた部屋の前で、私は魔術を発動する。


「『集音』——」


 忽ち周囲から音という音が消え去る。電子機器や換気扇が放つ僅かな音さえも。

 ——ただしそれは『私以外』に限る。

 華絵の寝息、彼方の寝返り——、この家で発生する全ての音を、私だけが把握できる状態となった。


 警戒は入念に。無音で歩行するのは造作も無い事だが、扉の開閉音などで万が一にも気取られると厄介だ。


 扉の向こうは至って静かだ。

 すんなりと部屋に入る。

 案の定、星はベッドの上で小さく胸を上下させて眠っていた。


 仄かに水彩絵の具の匂いが漂ってくる。

 家具はドレッサーに本棚、ローテーブル。床は綺麗に片付いているため、何かを蹴飛ばす心配はない。

 スライド式の自動ドアが閉まったタイミングを見計らって、魔術を解除する。 


 そして、一息で星の傍らまで身体を運ぶ。


 そこからは一瞬だ。彼女に馬乗りになると、左手で鼻と口を塞ぎ、右手に鈍色の細剣——【THE EXTRA】を現界する。

 彼女が目を見開くが、すでに遅い。


「————っ」


 私は星の左耳のすぐ脇に細剣を突き立てる。柔らかい枕を突き破る感触。


「——さて、と。私の言いたい事は分かるね?」


 無論、彼女は答えない。


「ピアスを外せ。従わなければ耳を落とす」


 要求通り、星の左手が耳元へと運ばれる。


 刹那、四葉のピアスが仄暗い輝きを放つ。

 それは【THE 7th SIGN】——レグラントが現界する予兆——。


 星が黒刀を力任せに振り上げる。

 私の首目掛けて。


「な……っ」


 予想外の反撃。

 咄嗟に魔力を集中させた左手で庇う。

 『硬化』——鋼鉄を打ち合うような衝撃に腕が痺れる。


「——ぷはっ。ちょっと死ぬかと思いましたよ」


 星が空気を求めて喘ぐ。


 背中を冷や汗が伝った。

 未だに首が付いているのが信じられない。防御が間に合ったとは言え紙一重だ。それ程に『何も察知出来なかった』。

 どんなに親しい間柄であっても警戒せよと、そう叩き込まれてきた。故に、敵対行動に対しては、危機感を察知する前に、本能的に身体が反応する。陽炎の槍使いや東郷——、異質な敵意を放つ彼らと対峙した時ですら、それは機能していた。

 改めて走る戦慄。


「……まさか、こんなに手癖が悪いとはな。理解しているだろうが、王と『盟約』を交わした今の君なら、腕力だけでも私の首を跳ねるのは容易い」


 昨夜、東郷を始末する目前だった私を諫めたのは、他ならぬ星だった。

 しかしどうだ。

 受け止めていなければ間違いなく、彼女はあのまま刀を振り抜いていた。


「君の行動は偽善的に過ぎるよ」


「こうでもしないと、あたしの事を見てくれないじゃないですか」


 彼女の瞳はあくまで揺るがない。


「くーちゃんは、グラちゃんの事どう思ってるんですか?」


 グラちゃん——が、手元の黒刀の愛称だと気付くのに時間を要した。

 張り詰めた緊張感に一瞬水を差される。


 彼女の引き結ばれた口元は、追及するようではあるが、怒りは感じない。

 私に害される事は無いと高を括っているのか。


 ——だとしたら侮辱も甚だしい。


 突き立てた細剣の刃を星の耳に押し付ける。枕が裂けて羽毛が何枚か溢れた。


「話を逸らすな」


「いいじゃないですか、ちょっとくらい」


 彼女はポーカーフェイスを崩さない。

 しかし、柔らかく響く声音には、梃子でも動かせぬ意志が込められていた。

 柄を持つ手が震える。あと一寸で耳たぶを引き切れる。


「説明しただろう。私は暁の計画を止めるために、それを持ち去った。【サイン】が一つでも欠ければ炉は起動しない」


「ずっと一人で逃げてたんですか?」


「——本当に、君は質問ばかりだ」


「あたしの事も聞いてくれて良いんですよ?」


「馴れ合う仲でもなかろう。——君はもう敵に知られてしまっている。だから、私は君を守るよ」


 ——あたしはくーちゃんを守ります。


 星は灯籠に向かってそう宣言した。

 しかし逆なのだ。


「闘いは私一人で充分だ。君が矢面に立つ必要は無いし、失う物だって無い」


「確かに。くーちゃんなら、あたしのピアスから別の物に刻印を移せますね」


「損はない筈だ」


 灯籠はこのピアスが星の大事な物だと言い、本人も肯定した。

 彼女がこの一件に拘っている理由があるとしたら、それしか考えられない。

 故に私は彼女から動機を奪う。四葉のピアスが無事である事と、彼女が棄権する事は両立し得るのだと示して。

 だと言うのに。


「あたしも闘います」


 返ってきたのは、極めて非論理的な一言。


「——いい加減にしろと叱られたのを、もう忘れたのか?」


 星のパジャマの胸ぐらを掴み上げ、細剣で枕を引き裂く。勢いで枕が床に叩きつけられ、羽毛が舞い上がった。


「君は、華絵を、彼方を——家族をちゃんと見なかったのか!?」


 ボタンが一つ外れて床を転がる。

 星は息苦しそうながらも、真っ直ぐに見つめ返してくる。


「うん。くーちゃんの事、ようやく少し分かった気がします」


 背中を激しい熱が駆け上る。


「君に何が分かると?」


 彼女は何を見ている。何を感じている。

 どうして、このタイミングで私の話になる。

 何故、私はこの娘を切り捨てられない……?


 不意に、星の手が私の背中に回される。


「やっぱりあたしは闘いますよ。それが、あたしが信じて決めたやり方です」


「……っ、勝手にしろ」


 床に落ちたレグラントが消失する。

 私は乱暴に彼女のパジャマから手を離す。小さな身体がベッドの上を跳ねる。


「もう、痛いですよ」


 そこに、扉の開く音。


「煩いなぁ、星。どうした——?」


 眼を擦りつつ扉の枠に寄り掛かる彼方の視界に飛び込んでくる光景。それは——。

 部屋中に舞い散る白い羽根の中、招かれざる客が妹にマウントを取っている。しかも、その客の手には凶器が握られている。


 彼方の半開きだった眼が一瞬で覚醒した。




   ***




 その日の朝は、いつもの氷崎家の朝ではなかった。


「万里、お醤油取って」


 午前中から星と買い物の約束をしたので、ついでに朝ご飯もご相伴に預かることになった。

 テーブルの上におかしな所はなく、出し巻き卵と筑前煮、胡瓜と茄子の浅漬け、白米、味噌汁。

 星お得意のいつものメニューだ。今日から1週間、朝夕の食事当番に任命されたらしい。


「うん」


 醤油は隣席の星の前にある。わたしは着物の袖を押さえて、醤油を向かいの席に座る彼方さんの前に置く。

 星に頼まないのはきっと意図的なんだろう。


「ありがと」


 星と反対隣に座る黒髪の美少女——ノアちゃんは黙々と、華絵さん特製のパエリアを頬張っている。

 わたしは星の耳元に口を寄せる。


「——何したの?」


 彼方さんから無断外泊した事は聞いている。一人増えている住人と、このぎくしゃくした雰囲気を含めて、一連の出来事なのだろうとは容易に想像が付く。


「昨日ちょっとね——」


「万里、ご飯おかわり」


 ずいと差し出された茶碗を、さっきまで台所に居た華絵さんが横から取り上げる。


「あまり万里さんに当たっては可哀想ですよ。どのくらい食べますか?」


「当たってない。——半分で良いです」


 茶碗をなくした手を引っ込めて、そっぽを向いてしまう彼方さん。

 華絵さんは、星とわたしの頭を超えて、ノアちゃんに向かって穏やかな笑みを浮かべる。


「ノアさんもいかが?」


「すまない、いただこう」


 茶碗を二つ受け取り、華絵さんは再び台所に歩いて行く。


 少女はパエリアに加えて白飯も完食したらしい。

 一家揃ってよく食べる氷崎家の面々だが、負けず劣らずの食べっぷりだ。


「あ。ちょっと動かないでくださいね、くーちゃん」


 そう言って、星は艶やかな黒髪に付いた米粒を摘み上げる。


「髪、後で結んであげますよ」


「別にこのままで良い」


 そんな姉妹のような微笑ましいやり取り——どちらかと言うとノアちゃん——に、彼方さんの冷え切った視線が突き刺さる。

 にわかに高まる剣呑な空気に土足で上がり込むように。


「華絵さん、あたしもおかわり」


 星は柔らかく弾むような足取りで、母親を追いかけて行った。


   *


「かなちゃん、今日も遅い?」


 傍らの星が問い掛ける。


「当たり前でしょ。初演は明後日よ」


 彼方さんは目を合わせずにブーツの紐を結んでいる。

 柔らかそうな明るい茶髪をポニーテールにした彼女は、朝から劇団の練習があるそうだ。


 下駄箱と傘立てに靴が三足だけの質素な玄関だ。

 スライド式の木製ドアの先は階段になっていて、一階の華絵さんが経営するお店に繋がっている。


「——昨夜は叩いちゃってごめん」


 彼方さんが不意に呟く。


「良い? 私はまだ許可してないからね」


 そして、厳しい視線を妹に向ける。

 星はそんなお姉さんのすぐ近くまで寄っていく。

 立ち上がった二人の身長差は、玄関の段差を差し引いても20センチ近くある。


 睨み合いのような間を置いて、彼方さんが肩を竦める。

 

「はぁ……。ダメって言ってもどうせ、また怪我して帰ってくるんでしょ?」


「ん。でも、健康最優先でがんばるっす」


 後ろ手を組んでいた星が、ふと彼方さんを抱き寄せる。


「行ってらっしゃい。夜食、用意しておくからね」


 彼方さんは星の頭の上に手を乗せて「行ってきます」と囁いた。


 思わず顔が綻ぶ。

 星が劇団を辞めて以来、二人がこうして抱き合うのを見るのは久しぶりだった。


 彼方さんの背中を並んで見送っている時、星が指を絡ませてきた。

 横目に見たポーカーフェイス気味の笑顔は、ちょっと儚げで、その何十倍も輝いていた。




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 〜第3話 THE FIFTH〜


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