Scene V [盟約]


 ——星が居ない。あの双子も。


「貴様の仕業か! リンネ!」


 叫び声が木々のざわめきに掻き消される。


「逆だよ。閉じ込められたのは俺達」


 いつの間に移動したのか、茂みの間からリンネが現れる。

 周囲の景色は元いた公園と変わりない。しかし、明らかな違和感に気付く。


 ——滑り台が消えている。


「そうか。この景色はハリボテ、か。まさか『無色』にこんな使い方があるとはな」


 【THE EXTRA】の一つである『無色』——それが私達を閉じ込める箱のような結界を作ったのだ。


 本命は外の二人。さらに言えば星の持つ【THE 7th SIGN】だ。未熟な彼女を分断してしまうのは合理的な作戦である。


 だが、相手がライセなら良い。アレとなら『負けても大丈夫』だ。

 先刻の下品な態度を思い出すと胸が悪くなるが、いざそうした場面になっても手を出すような度胸は無かろう。


 不意に、会話が耳に飛び込んでくる。すぐ近くだ。


「刻印だよ。刻印の場所、教えてくれよ」


 これはライセの発言だ。星の刻印の位置を聞いている。

 外界からの情報はシャットアウトされているが、声だけは通しているのか。


「ああ、それならここです。ピアスの中に」


 ——嘘だろう。


 星は刻印の位置をあっさり教えてしまう。危機意識が致命的に欠けているんじゃないだろうか。

 想定よりも外の決着は早いかもしれない。

 だとすれば——、私がここを最速で突破する以外に無い。


「盾無しで私と闘えるとでも?」


「——やってみようか?」


 私とリンネは各々の武器を手にする。




   ***




「くーちゃん!」


「無駄無駄無駄。呼んでも聞こえねえよ」


 砂利の上を、太刀を引き摺りながら男が歩いてくる。


「——ライセ、さん」


「正解。まぁ、あの二人は問題ないんじゃね」


 ライセは頭上に突如として出現した透明な箱を指差して言う。

 中ではノアとリンネが対峙している。

 ノアが何か叫んでいるが、こちらに声は聞こえない。


「それより自分の心配をしなって、ロリ巨乳ちゃん」


 ライセが太刀を逆手に構え——、ざくっと地面に突き立てる。

 彼は柄の先端に額を乗せて、真剣な様子でぶつぶつと呟く。


「待って、言いづらいわ。ちょっとタイム。ロリキョ……ロリコ。よし、お前は今日からロリコちゃんだ!」


「気に入ったんなら良いですけど——、そこはかとなくやらしさを感じますねぇ」


「ロリコちゃんだって、あの女を『くーちゃん』とか言う謎の渾名で呼んでるじゃないか。おあいこだ」


 それは果たして『おあいこ』と言えるのだろうか。

 しかし、彼はその謎の論理を押し通す事にしたらしい。


「くーちゃんは黒が似合うからくーちゃんなんですよ」


「ほう。名前の原型を留めていないところが一緒だな」


「——確かに?」


 黒の少女が聞いていれば癇癪でも起こしそうなやり取りだ。


「それより、どこにあんの?」


「へ?」


 唐突に、ライセが話題を変える。


「刻印だよ、刻印。場所、教えてくれよ」


 ライセは今更無害アピールなのか、ニタリと笑いかける。慣れていないのか表情筋が引き攣っている。


「ああ、それならここです。ピアスの中に」


 星は躊躇いなく事実を告げる。

 先程の強引なやり口を経験した上で。

 これには流石にライセも驚いたようだ。二の句を告げずにいる。


 その隙に星が左手を前に突き出す。


「レグラントさん」


 その呼び掛けと同時に、左耳に揺れる四葉のピアスが鈍い光を放つ。

 次の瞬間には、星の手に柄から刀身まで全てが漆黒の刀が現界する。


「——なるほど。それがロリコちゃんの武器ね」


 ライセは口を三日月のようにして笑う。

 その直後、目元に皺を寄せて厳しい顔に変わる。

 右手一本で軽く持ち上げた太刀の先端を星に向ける。


「そんじゃ、ロリコちゃん。スマンが耳たぶ、斬り落とさせてもらうわ」




   *




 絶え間ない剣戟が打ち交わされる。

 力、早さ、技術——いずれもライセの方が上回っている。その上得物は刃渡り2メートルはある太刀。

 故に、星は自分のレンジに入れず苦戦している。防戦一方だ。


「うはは、遅い遅い」


 ライセの右上段からの払い下ろし。それをレグラントで受け、弾かれた勢いを利用して距離を取る。

 『ホルダー』となった瞬間から、星には微弱ながら筋力強化が付与されている。

 彼女が修めてきたのは演劇と剣道——。刀の技術はさて置くとして、元々身体能力の素養は高い。それはつまり、得た力を巧く扱えるという事を意味する。


 だが、押されている。

 相手の武器は【サイン】では無いものの、それに準ずる性能を持っているらしい。

 その強さは『心身同調』の先、『盟約』のステージに相当する。


「『無銘』、いくぜ」


 ライセは太刀を腰の高さに構えて走り出す。

 星もまた刀をしっかりと構える。攻撃を受けて反撃を狙うつもりだ。

 横薙ぎの一閃が振るわれる。


 刃と刃が擦れて発生する金切音。

 ——が、響く事はなかった。


 弾かれた黒刃が砂利に突き刺さる。


 星の手に残った刀は、刀身の半分以上を失っていた。


「うそ。手応えが、無かった……?」


 音も無く『斬られた』——。


「そう、これが『無銘』の真骨頂ってヤーツ」


 隙を突いて再び滑り台の上に降り立ったライセは、太刀の先端を向けてニタニタと笑う。このポーズは癖のようだ。


「うはっ、降参安定ですな。そんな短い刀じゃもう闘えないですぞ」


「どうですか、ねぇ!」


 星は踵を返して走る。


「ちょ、逃げるのは美しくないんじゃね!?」


 星の向かう先は、地面に突き刺さった刀身の一部。

 掌が傷付く事を恐れず、彼女はその刃を引き抜き、ライセに向かって一直線に投擲する。


 ライセは波紋の浮かぶ太刀の側面を向け、黒刃の射線上に立つ。

 反撃は太刀の壁に弾かれてしまう。


「——やっぱ油断ならないわ」


 ライセの表情がさらに厳しくなる。本気の顔だ。


「次は耳狙うぜ。大丈夫、痛く無いから。人は切れないんだね、これ」


「ただ、ピアスは諦めてもらわないとだな。【サイン】のせいで魔力帯びちゃってるし」


 その時、ぴくりと、微弱だが精神のチャンネルに反応があった。

 星の記憶の中にある少女の姿が、我が意識を掠める。


 ——このピアス綺麗だよね。ねぇ、星。二人で買わない?


「諦めないですよ。それはあたしの大切な約束だから」


「だから、決めました」


 星が我とのチャンネルを開く。


「レグラントさん!」


 氷崎星こそ、我が所有者として『盟約』するに足り得る存在である。

 あの陽炎の槍使いと闘う前から自明な事だった。


 我が呼び掛けに応じるに当たって、彼女に葛藤が無かったと言うのは誤解だ。

 いや、寧ろ——、人一倍思慮を巡らせ、その十倍は悩み抜いたと言えるだろう。

 現在と未来。我との関わりによって想定され得る事象を洗い出し、シミュレートする。

 そうした思考が『盟約』を遅れさせる要因になっていた。

 しかし今、全てを捻じ伏せた。たった一つの決断で。


「『盟約』!」


 それは彼女が最も得意とする事。正義を為すための偽らざるペルソナ。


 彼女の意思の通り、黒刀が元の姿を取り戻す。


「——なっ! 魔力のパスを斬ったんだぞ。そんなすぐに復活出来る訳が——」


「さぁ、幕は上がりましたよ!」


 星は刀を天に突き上げる。

 瞬間、黒い柱が夜空を覆う雲を突き抜ける。

 その果てに輝くは宵の明け星。

 彼女の舞台が始まるのだ。




 ここに『盟約』――即ち我が宿願における第二段階――、その全工程が完了した。




 ***




「ぐぅ……っ」


 ついさっきまでとは全く違う。重さも、速さも。

 俺の太刀を押し返して、ロリコちゃんは自分の刀の間合いまで入ってくる。小柄なのがさらに不幸だ。この距離まで入り込まれると、太刀の刃を当てられない。


「くそっ」


 『七番目』——レグラントの一撃を受けたら不味い。【THE EXTRA】には【サイン】を無力化できる程の対魔力性能は無い。

 即座にロリコちゃんの鳩尾に蹴りを入れて後退させる。

 なりふり構っていられる状況じゃない。互いの武器の特性上、レンジの取り合いになる。少しでも気を抜けば出し抜かれるだろう。

 もはや、「小せえ、可愛い」とか思っている余裕は無い。


 弟にはノアを任せている。端から支援は期待していない。

 当初の目論見では、こちらを早く収拾させて、二人でノアと対峙する計画だったのだ。


 『絶対不断』——それが俺の武器『無銘』の能力。見た目こそ研ぎ澄まされた波紋の太刀であるが、人体を切る事は出来ない。代わりに魔術的な繋がりを『斬る』のだ。

 故に、【サイン】のように極めて魔術的な存在を、ホルダーを傷付けずに剥がすことができる。

 筋書通りに行っていればとっくに、彼女から刻印を斬り剥がして終わっていた。


 ——斬り続けるしか、ねえか。


 武器が蘇生するとは言っても、限度があるはずだ。切断した魔力を繋ぐ作業はホルダー自身にとっても容易ではないだろう。


「うぉぉ……っ! 『絶対不断』!!」


 本来、この能力は常時発動する物ではない。闘いの中でピンポイントに使用し、相手の切り札を無力化するのが基本。


 ——だからどうした。


 負担は覚悟の上。


 ——俺は絶対に持ち帰る。それがオヤジの悲願だから。


 ロリコちゃんが居合のように刀を繰り出す。充分様になっている。そう言えば、マジもんの居合を披露する劇団もあったな。

 だがこれ以上、彼女の思い通りにはさせない。

 俺はロリコちゃんが詰めてきた距離だけ後ろに下がる。そうしながら、太刀を彼女の左耳に向かって振る。

 回避不能の態勢でウィークポイントを狙われれば、武器で受けるしかない。彼女の刀の一部を斬る事に成功する。


 しかし、今度は止まらない。

 ロリコちゃんは愚直に同じ攻撃を繰り返す。金太郎飴のようにみるみる短くなっていく刀を振りかざして。


「くっそぉ……!」


 何度目かの攻防。ついに、『七番目』の刀身を斬り落とし切った。

 それでも肉薄してきたロリコちゃんの胸を突き飛ばす。


「ぐぅ——っ」


 尻餅をついたロリコちゃんが咽せている。

 しかし、俺もかなり追い詰められている。いつの間にか、公園の端の方に生えた銀杏の大木を背にしている。危うく、これ以上後退できない所にいたのだ。最初に立っていた滑り台からは随分と離れている。


「はぁ……っ! これでもう流石に再生できねぇだろ!」


「ここまでですね」


 ロリコちゃんがぽつりと告げる。

 ついに諦めたか。


「ああ、物理で殴っちまってごめん。後はすぐ済むからさ」


 俺は力を振り絞って『絶対不断』を発動させる。

 そして、俯く彼女の左耳に向かって太刀を振り下ろすべく構える——。


「あたしは『盟約』に則り、アナタの牙を統創する」


 否、諦めたのではない。これは——。

 ロリコちゃんが言霊を紡ぐ。


「漆黒を変容し自由を為せ!」


 刹那、黒い影が6つ、俺に向かって高速で飛来する。


「ぐがあああ……!!!」


 知覚した頃には、俺の四肢は大木に張り付けられていた。

 手足を切り落とされたと錯覚するような激痛。腱を切られている。

 俺の魔力切れと同時に、取り落とした『無銘』があるべき空間へと消える。


 一体何が起きた。俺の腕を貫いている物、それは——。


「黒いナイフ、だと……?」


「レグラントさんの刃で創ったんです」


 ロリコちゃんがじりじりと詰め寄ってくる。


「へぇ……。とんでもなく器用な事やるじゃん。ロリコちゃんすげぇわ」


「ライセさんが斬ってくれたお陰で、バラす手間が省けましたから」


 ロリコちゃんは『七番目』たる黒刀をピアスの刻印に戻す。

 留めていた物を失ってよろめいた俺の身体を、ロリコちゃんが支えてくれる。


「止めるのに夢中で、ちょっと無茶しちゃいましたね。『無銘』さんの力で治療できませんか?」


「まぁ、多少は。【サイン】に似せて造られたらしいからな」


 【サイン】は『盟約』に至ることで、恒常的に『筋力』、『魔力耐性』、『五感』そして、『自然治癒力』が強化される。

 この点に関しては、【THE EXTRA】もほぼ同じ性能を備えている。


 ロリコちゃんは心無しかほっとしたようだ。


「っ痛え……。つか、トドメ刺さなくていいのか? どうせ怒られんだろ、アイツに」


「ライセさんだってそのつもりじゃなかったですよね。だから、おあいこですよ」


 彼女は歯を覗かせて少年のように微笑む。

 うむ、可愛い。天使。


「ロリコちゃん」


「はい?」


「——蜜柑みたいな良い香りするね」


 一瞬真顔になったロリコちゃんが、気のせいだと思うが反射的に身を引く。

 バランスを失った俺の身体は、頭から砂利の上に叩きつけられた。


「あ——やば、ごめんなさい、です」


 そのふわふわした声を打ち破るように——、上空でガラスが割れるような音が響き渡る。

 あちらも決着がついたのか。


 暗転していく視界の中、ノアがロリコちゃんを抱き抱えて去っていく。

 逆さまにして垂直落下してくる弟を見ながら、やっぱり俺達って兄弟だなと思った。




   ***




 これで星は名実ともに我が『ホルダー』となった。

 『盟約』によって開放された【THE 7th SIGN】の真価——それは『変容』。

 使用者が扱えるマナの許容範囲であれば質・量・大きさを問わず、刃物という概念に含まれる凡ゆる物質へと姿を変える。

 我が本懐たる自由の牙だ。




   ***続く***

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