Scene IV [襲撃]


 閑静な住宅街に遠吠えが響く。

 駅から星の自宅への道すがら。周囲は平らなアスファルトにブロック塀、それから数メートル上空をドローン型の送電設備が飛んでいる。

 学生街は全体的に石造りの街並みだったが、電車で1駅離れただけで雰囲気が随分と変わるものだ。それだけ宇鷺野学園都市が広大であるとも言えるか。


 ふと彼女の左耳に揺れる四葉をあしらったピアスを眺める。


 ——分からない。


 理解できない。

 あれ程の災難に遭いながら——、あれ程の闘いをして——、あれ程の事実を聞かされた。何故平然と振る舞っていられる? しかもこんな少女が、だ。


 電車では特に言葉を交わさなかった。だが、決して重苦しい空気だった訳では無い。

 それが彼女の自然体なのだろう。

 考えれば考える程に悩ましく思えてくる。


「あ——」


 星は呟くと、ポケットから掌大の薄いデバイスを手に取る。


「かなちゃん——お姉ちゃんから着信ですね。何件あるんだろ。えーと、『当番をサボった妹へ。今度こそ絶対に許しません。ですが、何でも良いので急いで帰ってきなさい。もし今夜9時までに帰ってこなかった場合、部屋の画材を全て燃やします。貴女の姉より』」


「お姉さんに恨みでも買ってるのか……」


「何言ってるんですか。仲良しですよ」


 星の親指が動くと、叩くような弾むような小気味良い音がする。


「君のそれはスマートフォンと言うやつか?」


「そうですよ。見た事ありませんか?」


 少なくとも私の記憶には——。


「無い。と言うか、あの戦闘でよく潰れなかったな」


「ちょっと待っててくださいね。——もうすぐ帰りますよ、っと」


 星は慣れた手付きで、スマートフォンと空中にポップアップした映像を同時に操作する。


 現在主流となっているのはMOR——携帯型被覆現実——という技術だ。簡単に言うと、電子的な映像を網膜内に直接表示し、操作すると言う代物。その登場により、従来ディスプレイ上でしか表現できなかった物事が、次々と置き換えられていった。

 当初はスマートフォンの延長として搭載され、浸透していった。そして、同時期に開発された超指向性の骨伝導イヤホンと共に、一つのデバイスに統合されたのだった。

 デバイスは首に巻いて使う、樹脂と金属を混ぜた細いリング状の物が一般的だ。身体に埋め込むタイプも流通しているが、お手軽感からか装着するタイプが普及している。


 ——光と音と一体化する時代。


 10年程前に起きたムーブメントの裏で、スマートフォンは静かに廃れたのだ——と聞かされた。


「くーちゃんって何歳なんですか?」


 暁が遺跡を発掘した時、私は眠っていたらしい。

 彼に保護されてからの数十年間、私は眠り続けた。肉体は老いること無く、ただ天蓋の下で寝息を立てていたと。

 そして目覚め——。


「今年で15になる。君は、歳下だろう?」


 星はきょとんとした顔をしている。


「——まさか……」


 てっきり少女だと思っていた彼女は、昨日今日で何度も見た、屈託の無い笑顔をして言う。


「19歳。——大学生です」




   ***




 ノアは思考停止したように固まっている。

 案外迂闊者である。そもそも大学の屋上に佇んでいた時点で気付いて然るべきだ。

 しかし、それを差し引いても星の外見から受ける印象は幼い。道ですれ違う程度なら、人によっては中学生だと思うかも知れない。

 尤もノア自身の方が余程、外見と精神年齢の乖離が激しい気がするが。


 気を取り直すように、黒の少女はわざとらしく咳払いをする。

 無表情を決め込んでいるが動揺を隠せていない。


「——。灯籠の『提案』とやら、君はどうするんだ?」


「——うーん。どうしましょうね」


 星は瞳を動かさずにノアを見つめる。


「真面目に考えろ! 君の生死に関わる話だぞ」


「ちゃんと考えてますよ」


 焦れったく睨むノアに軽く返答し、星は公園の方へ道を外れて行く。

 入り口に置かれた車止めに腰掛ける。


「決めたら答え合わせしましょうか」


 電灯の真新しい光を背に彼女は告げる。

 ノアは逆光が眩しそうに目を細める。


「二人で考えるんです。くーちゃんだって迷ってるんでしょ?」


「私は——」


 黒の少女は何かを噛み締めるように俯く。無意識にか一歩下がる。

 その葛藤を知ってか知らずか、星は先に歩き出す。


「無理に今すぐ決める事ないですよ。とりあえずウチに急ぎましょう。この公園、近道なんです」


 弾むような足取り。

 その時、公園の奥から人影が走り寄ってくる。

 星の前まで来て止まると、その手を取る。


「あ、あの——」


「はい——?」


 街灯の光に照らされ人影の全容がはっきりする。

 キャップを目深に被り、黒いパーカーを着た男だった。

 男は口を大きく開けて騒ぐ。


「氷崎星さんですよね? 俺、近所に住んでるリンって言います。ああ、そんな場合じゃなかった。君の『ご両親』から頼まれたんです。お家が大変な事になってて——、とにかくすぐに来てください!」


 捲し立てるが早いか、男は星の手を引いて走り出そうとする。

 しかし——。


「どうしました、氷崎さん? 早く行かないと……」


 星は街灯の柱に捕まって踏ん張る。真剣な表情だ。


 キャップの男は尚も力任せに引っ張ってくる。

 この体格差でよく持ち堪えているものだ。演劇と剣道で培ってきた体幹のなせる技だろう。

 【サイン】を使いこなせていれば、この男くらい軽く捻り飛ばせるかも知れない。


「ぐぎぎ……ぎ……っ。諦めてくだ……さいっ」


 砂利で足が滑る。

 相手の力が緩む気配は無い。持久戦は厳しいか。


 その時、追い付いてきたノアが叫ぶ。


「おい、何をしている! って、お前は——!」


「げぇ……っ! アイツ、何で——?」


 呻いた男のキャップが落ちる。

 同時に——。


「うははっ! バレちゃしょうがねえなぁ!」


 お世辞にも滑舌が良いとは言えない濁声が轟く。

 その声の主は遊具——滑り台の上で腕を組み踏ん反り返っている。


「ここで集中線がドーン!」


「——じゃねえよ! ふざけんな!」


 叫んだ男は迷わず星の手を離して全力疾走。その勢いのまま——わざわざ回り込んで——滑り台の階段を駆け上がり、もう一人の男を蹴り上げる。

 そこからはスローモーションのようだった。


「————■×◆△●#$%&=〜¥@+*!?」


 蹴り飛ばされた男は錐揉み回転をしながら綺麗な弧を描いて落下——。砂場に頭を埋めて着地する。


「君、無事か!?」


「あー……、はい。何とか」


 尻餅をついた星を、ノアが助け起こす。


「——がはっ、ぺっぺっ。酷いな兄弟……」


 蹴り飛ばした方は普通に滑り台を滑り、砂場に両足で着地する。


「ライセが悪い。派手に騒ぎやがって。不審者役まで俺にやらせてさぁ」


「馬鹿だなぁ、リンネは。漢なら一度は憧れる登場シーンだろ」


「それを今やるんじゃねえよ!」


 言い合う男達。その見た目はまるで瓜二つ。

 漫才でも見せられているようだ。


「二人とも、息ぴったりですねぇ」


 ライセと呼ばれた男がよろよろと立ち上がる。


「そりゃそうよ。俺達は一卵性双生児、双子ちゃんだからな」


 どちらも黒い厚手のパーカーに黄色いデニムのパンツを穿いている。

 あえて特徴を挙げるなら髪型。どちらも似たようなショートヘアだが、右分けなのがライセ、左分けなのがリンネだ。

 並び立つと鏡に写したように左右対称である。


「因みに、俺が兄貴だ」


 ライセは胸を張って言う。


 瞬間、ノアが弾かれたように動く。右手に鈍色の細剣——【THE EXTRA】を現界させつつ、一足でライセの懐に潜り込む。

 衝撃が木々を震わせる。


 しかし——、その剣が心臓を貫くことは無かった。

 透明な丸盾が細剣とライセの間に出現している。


「容赦ねぇな、オイ」


「——ちっ」


 冷や汗混じりといった様子で呟いたライセが、両腕を振り上げる。

 すると、その手に長い太刀が現界する。

 ライセはそれを一息に振り下ろす。


「……っらぁ!」


 ノアが太刀の射程外へ転がる。

 その一撃は砂場を超えて公園の砂利に亀裂を入れる——事はなく、スコップを立てるような音をさせて砂にめり込む。


「全く、油断すんなよな」


「うーむ。躾がなってないぞ、アイツ」


「それを平気で言える神経は尊敬してるわ」


 言い合う兄弟。そこには緊張感の欠片も無い。

 消去法で行くなら盾の使用者は弟——リンネの方か。いつの間にか彼の手には小さなカードがある。


 ライセは太刀を片手で引き上げ、星に向ける。


「さて、新米ホルダーちゃん、次はアン——、んんん——?」


 目を剥いて停止するライセ。太刀がその手から滑り落ちる。


「今度はどうした。打ち所でも悪かったか?」


 弟の言葉にも反応を見せず、ライセは俯いてしまう。


 不気味な静寂。


 そしてようやく漏れた一言は。


「——俺、闘えねえ」


「何だ、闘る前に臆したのか?」


「いやいや、ライセはそんな神経持ってないと思うなぁ」


「だって————」


 双子の兄は肩を震わせている。前髪に表情を隠して。

 そして、溜めに溜めた拳を突き上げる。


「だってぇぇぇ————、ロリ巨乳じゃん!!!」


 魂を解き放つかの如き雄叫びが、夜8時30分の住宅街に木霊する。


「え?」


 リンネが呟く。


「は?」


 これはノアだ。


 星はぱちくりとやり取りを眺めている。


 双子の弟は兄を呆然と見つめて呟く。


「すげーな、兄弟……。リアルもイケんのか。俺には真似出来無いなぁ」


「黙れ、小僧! お前に俺の属性が分かるのか」


「——嫌と言うほどな」


 声のトーンが落ちていく弟とは対照的に、兄のテンションは上がっていく。


「うっは……っ! 俺の直球、どストライク! よく見ろ。ちっこくて細くて可愛くて——、デカい!」


 ライセは恍惚とした表情で、星の頭から爪先まで舐め回すような視線を送る。

 流石に彼女も少し引いたのか、精神のチャンネルを通して寒気が伝わってきた。


「いや、可愛いのは認めるけどさ。属性違うし。俺はバーチャル——2.5次元派なんです」


「煩い! お前はリアルの良さを知らねぇから、そんな事が言えるんだ!」


「お前も知らねえだろうが!」


 リンネの悲壮な叫びと同時。

 黒の少女の、唯でさえ短い堪忍袋の緒がブチリと切れる音がした。


「……そろそろ殺して良いか?」


 とても15歳の少女が発したとは思えぬ、低く唸るような声。

 先程奇襲に失敗している事も相まって、苛立ちは頂点に達しているようだ。


 おちゃらけていた双子にも緊張感が走る。


「リンネ、例のヤツだ!」


「ったく、やるぞ! ——『無色』、最大出力!」


 きぃん、と。耳障りな音が響く。

 その一瞬の後には——。




   ***続く***

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