Scene II [SIGN]


 宇鷺野市が開発されたのは新都創立と同時――30年程前と聞いている。徹底した都市計画により、当時から殆ど変わらぬ街並みを保っていると言う。


 文華岬大学を後にした私達は、整然とした学生街の路地を外れるように細い道へ入っていく。

 前を歩く星とコウは聞いたことも無いアーティストの話題で盛り上がっている。結局、なし崩し的に彼女の同行を許すことになってしまった。


 果たして辿り着いたのは、小屋。

 年季の入った瓦屋根が連なる土塀を左手に、頂部に精巧な鶯をあしらったガス燈の柱が豪奢な赤煉瓦の塀を右手に、両側を高い塀で挟まれた小道を進んだ先にそれはあった。


「これがアジトですか?」


「そうなの。味があるっしょ」


 否、うらぶれたと言う表現がお似合いだ。

 もっと立地を考えるべきだろう。工事現場の掘建て小屋の方がまだマシに見える。

 コウが可笑しそうに腹を抱える。


「ボロいって言いたいんだろ、嬢ちゃん?」


 ——聞くまでも無かろうよ。


 私は肩を竦めて返す。


「そりゃそうさ。何たってこの建物だけは、旧都からまんま移してきたんだ。100年モノだぜ」


「無駄話をしている場合か」


 東郷が軋む扉を開ける。


「入れ」


 そう告げて、東郷はさっさと暗い屋内に消えた。

 星を先頭にして私達も続く。


「ひゃぁー、中もなかなか、って感じっす」


 ダウンライトが灯り、内装が目に飛び込んでくる。

 L字のカウンターテーブルと、4人掛けのボックス席が一つ。カウンターの奥には何種類ものラベルが貼られた瓶が並んでいる。こじんまりとしたバーと言ったところか。

 星が木造の太い柱に手を当てて押す。

 すると、天井辺りの何処かでギシッと嫌な音が聞こえた気がする。


 私は無言でコウを睨み付ける。

 怖がっている訳では断じて無い。


「安心しなって、崩れたりゃあしないよ。伝統ある日本家屋ってやつ」


「心さん、ここお店ですよね。開けてないんですか?」


 東郷はカウンターの内側に立ち、煙草に火を点ける。


「——普段は開店している。今日は偶々だ」


「何せマスターはそこの東郷サンっスからね」


 既にボックス席に腰掛けていたコウが東郷を指差して言う。


「ほう。貴様に客商売が務まるとはな……」


「悪く思わないでくれ。ウチではミルクを出していないんだ」


 抑揚の無い、薄っぺらい応答。

 きちんと煽り文句として受け取っておく。


「ミルクじゃ火は起こせんだろう。折角大漁に酒があるんだ、大道芸人として第二の人生を歩むのも悪くはあるまいよ」


「あー、もう。何だってアンタらはすぐ喧嘩しちまうかなぁ」


 星はくすっと笑みを漏らす。

 彼女が動くと、背負った黒いリュックも弾むように揺れる。


「悪い事じゃないと思いますよ」


 そして、バーカウンターの奥の暗がりに向かって、よく通る声を張り上げる。


「——ね、お爺さん?」


 呼び掛けに応じて姿を見せたのは、白髪白髭の小柄な老人。

 鋭い眼光のその男は——。


「ゲッ——し、師匠!?」


「灯籠さん、いつの間に……」


 コウと東郷が同時に声を上げる。

 灯籠は見た目の年齢とは裏腹に軽快な足取りで歩いてくる。

 星と私を順に一瞥すると、皺の浮かぶ顔をくしゃりと歪めて笑う。


「最初からおったわ。気付いていたのは、その娘くらいだったがのう」


「だってさぁ、いつもは『こっち』に顔見せないじゃないッスか!」


「まぁ良い。呼んでくる手間が省けたさ」


 東郷は煙草を灰皿に潰し、改めて全員を見渡して言う。


「役者が揃ったところで始めよう。特に小娘——、聞いた上で判断しろ。今から、【サイン】とは何なのか、そしてこの街で何が起こっているのかを話す」


   *


 あの男の言葉は欺瞞だ。

 聞いた時点で判断の余地など無い。

 ——闘うか、さもなくば死ぬかだ。

 東郷達も父の手の者も、知り過ぎた人間は迷いなく始末するだろう。

 もしも星が闘いを拒んだとしたら、私はどうするべきか。結論を用意しておかなければならない。


 東郷は滔々と【サイン】について説明する。教師のような話し方だ。生徒は星一人だが。


「まずはお前自身が体験した事から入ろう。戦闘において、【サイン】は剣や槍等の武器として現界する。平時は文字のような刻印として、所有物や身体に現れる筈だ」


「小娘、お前の【サイン】は何処にある?」


「うーん……。何処いっちゃったんでしょうね。レグラントさんも今は応えてくれないですし」


 私は右手の甲を見せて言う。


「私はここに刻んでいた。君も同じ場所か?」


 星は右手を眺めて。


「——違うみたいっす」


 不意に、灯籠が口を開く。


「御主の一番大事な物は何じゃ?」


 その一言ですぐに心当たりを見つけたように、星が声を上げる。


「——あ」


 星は左耳の四葉に触れる。


「外さなくて良い。私が確認する」


 果たして、刻印はそこにあった。

 表面では無い。エメラルドグリーンの石の内部に刻まれている。


「見つかったようじゃな。おそらくそれが、彼女の一番大事な物じゃろう。余程のな。刻印を継承する際、無意識にそちらに転送したのだ」


 灯籠の言葉の直後、星の耳たぶが少し赤くなっている。


「——照れますねぇ」


「なーんだ、狙ってたのに。恋人持ちかよぉ」


「幼馴染なんですけど、とっても可愛いんです。今度連れて来ますよ」


「したらさ、他の友達も一緒にって事で——」


 東郷は大きく咳払いをする。脱線した星とコウを嗜める意図だ。

 コウは灯籠の様子を気まずそうに窺う。ふざけた男だが、師弟関係には弱いらしい。

 淡々と説明が続く。


「数十年前、【サイン】はとある遺跡から発掘されたと聞いている。そこに立ち会ったのが、立木暁——」


「彼こそ、我々の最大の敵だ」


 現状、【サイン】の原理原則は現代科学でも、魔術でも解明されていない。

 と言うより、【サイン】を調べる過程で魔術の実態が判明してきたと言うのが正しい。

 間違いないのは、アレが何らかの魔術的過程によって鋳造された物である事。

 そもそも、立木暁がその概念を読み解くまで、この世界には魔術の基礎理論すら無かったのだ。


「だが、一つだけ絶対の理がある。『サインはサインを破壊すること能わず』」


 そこまで説明して一息吐いた一心は灯籠に水を向ける。


「灯籠さんも一時期、研究に携わっていたと聞いていますが——?」


「私が知っておるのは発掘されたばかりの頃じゃ。今現在の【サイン】を巡る事情については、殆ど知らんよ。一心よ、御主の方が詳しかろう」


「——それもそうですね。では、続けるとしよう」


「【サイン】は全部で7つ存在する。そして【サイン】に認められたものを所有者——『ホルダー』と呼ぶ」


 星が手を挙げる。


「あの槍使いさんも『ホルダー』なんですか?」


 その質問には私が答える。


「そうだろうな。随分と捻じ曲げられていたが、あれは間違いなく【THE 3rd SIGN】だった」


「どうしてそう言い切れる?」


 東郷は忌々しそうに眦を引き上げる。

 【THE 7th SIGN】を所有していた時点で、私の素性はほぼ知れているだろう。

 故に、隠す事なく情報を与える。


「発掘当初、【サイン】は遺跡の壁に刻まれていた。それを人間が扱えるよう、指輪などの装飾品に移し替えたのは私なんだ」


 場が静まる。


「そう。私は暁の協力者だった。この世界で唯一、特異な魔術を扱う者として。——そして、【サイン】を守護する者として」


 ——だが、彼は狂った。


「私は暁の間違いを正す為、【THE 7th SIGN】を持って逃げ出した」


 その最中に星と出会い、何の因果か灯籠と再会し、この場所に居る。


「くーちゃんの白い剣は違うんですか?」


「アレは特別だよ。脱線するから詳細は省くがな」


 東郷は確かめるように聞いてくる。


「立木暁の目的も知っていると言う事だな」


「ああ。研究所の地下で見たよ」


 すっかり乾き切った血で描かれた円形の陣。外周にはそれぞれ【サイン】を捧げる7つの祭壇が設えてあった。

 本能が察知した。これはこの世にあってはならないモノだと。

 それは——、膨大なエネルギーを生み出す魔力増幅炉だ。


「お互い信頼できぬ所はあるだろうが、目的だけは君達と一緒だ。あの炉が起動する前に破壊したい」


 大きく息を吸う。

 灯籠、東郷、コウ、——そして星。彼らに向かって断ずる。


「私は必ずこの世界の破滅を防ぐ」




   ***続く***

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