第2話 盟約
Scene I [魔術師]
冬の空気を乾いた銃声が揺らす。
私は飛んでくる銃弾を剣の柄頭で弾きながら、魔術師と名乗った男――東郷に肉薄する。
肩口に剣を突き立てようとしたその時、彼が左手でコインを弾いた。
「むっ?」
コインが石畳を跳ねる。
瞬間、コインが銃弾並みに加速。私の脛を目掛けてほぼ垂直に跳んでくる。
私は身を捩って回避する。風を切る音が足下から頭上に抜けていく。
「くーちゃん!」
「良いから下がっていろ!」
星は先の闘いで消耗している。【サイン】を現界させるのは不可能だろう。武器を持たない少女を戦線に立たせる訳にはいかない。
だがそれは、身を守る事が目的ではない。状況によっては彼女が致命的なウィークポイントになり得るからだ。
「一人前に守護者気取りか?」
重ねてきた歳を思わせる落ち着いた低音。
東郷は銃口を向けたまま肩を竦める。
「事前調査によれば、お前はこちら側の人間だと思っていたのだがな」
「何と思われようと構わないさ」
コインを躱した際、反射的に距離を取ってしまったのは下策だった。このレンジでは相手の方が有利だ。
東郷は銃を3発、立て続けに発砲する。それらは爆発的に加速し、先の比ではない速度に到達した。コンマ1秒もあれば着弾する。
引き金を引きながらこちらに向かって走り出す東郷を視界に捉えつつ、私は剣を突き出し己の『領域』を発動する。
「――『絶対切断』」
遅れて届いた銃声がシャットアウトされ、周囲のあらゆる音が消える。そして全身を刃物が撫でる感触。
次の瞬間には、私に迫る銃弾が粉々に切り裂かれて霧散する。
「なんだと――」
東郷が初めて感情を見せた。
それは、驚嘆。
彼は呻きながらも、臆せず拳を繰り出してくる。
おそらく拳法の類いにも心得があるのだろう。拳は的確に急所を突いてくるし、足捌きからも無駄が排除されている。
だが、遅い。
私は男の懐に入り込むと、肩で当て身を見舞う。
「かは……っ」
東郷が腹を押さえて背後によろける。
自身の勢いをも乗せた一撃が鳩尾に食い込んだ以上、暫くまともに闘うのは無理なはず。
大勢は決した。
私は東郷の黒い短髪を掴み、喉元に剣を突き付ける。
「なるほどな。『増幅』か」
ジッポ、小銃、コイン――それらの性質を増幅する事で武器へと昇華する魔術。タネが分かればそう恐ろしいものでもない。
「――さて、このまま諦めて退く気はあるか?」
「それを神に誓ったら、信用してくれるのかな?」
「君の態度次第だよ。もう二度と私達の前に現れないという条件を飲め。さもなければ――」
今後の事を考えれば、敵は一人でも少ない方が良い。
それに、直感がこの男は油断ならないと告げている。
もし自主的に退場しないと言うのなら、その時は――。
剣先をもう一押し。男の首を細く血が伝う。
「ああ、もしや躊躇っているのか?」
窮地に追い込まれている筈なのに、何故この男は平静を保っていられるのか。
——逆か。むしろ既に——。
思考を遮るように、遠くから小さく、風を切るような響き。
「くーちゃん! 上、避けて!」
鋭い声に突き動かされるように、東郷を蹴り飛ばし後方に跳ぶ。
その直後、真上から落下してきた物体が石畳に衝突した。
「これは……」
煉瓦を割り砕き、そこに突き刺さるのは1枚のコインだった。
先程跳弾したコインが『増幅』を重ねて受けつつ、時間をかけて落下してきたのだ。
既に100メートル程先まで転がり立ち上がった東郷を睨み付ける。
「ラッキー、とでも言っておこうか」
東郷はコートを丁寧に叩くと、シガレットケースから煙草を1本摘み出した。煙草を咥え、ジッポで火を点ける。
「私にはやるべき事がある。それを成し遂げるまでは闘うさ。何度でも」
言葉に反して、使命など、大義など、微塵も無いとばかりに淡々と男は告げる。
背筋を怖気が走る。やはりそうだ。
この男の底にあるのは、呪いだ。
私は目を伏せる。
「大体分かったよ」
結局、単純な解法ではないか。
――殺せば良い。
魔術師とは言え、所詮は人間。首を落とせば死ぬ。
確かに厄介な魔術を多用するが、私の前では決定打とはなり得ない。
これまでの立ち回りからして、防御面に長けているとも思えない。
東郷が再び小銃を構える。
しかし恐るるに足らず。魔術を用いてどれだけ威力を増幅しようと、【THE EXTRA】の『保護』を貫通して私の命を取るには及ばない。
真っ直ぐに駆ける私に向かって、東郷は咥えた煙草を吹き出す。
「いい加減に――」
彼の手管は大概把握した。私は前方に跳躍する。
背後から爆ぜる音と熱気が伝わってくる。
私は銃口を見据えたまま、鈍色の刃を振り下ろす。
そして――、激突。
甲高い音と鈍い音が同時に鳴り響いた。
***
黒き少女の瞳に宿った殺意を星は見逃さなかった。
故に、星は我に呼びかける。
身体の傷は癒えた。とは言っても、【サイン】の媒介となる『魔力受容体』は未だ著しく損耗している。こればかりは魔術で回復できる代物では無い。
しかし、星は我に今一度呼びかける。
我が精神を星の『魔力受容体』に接続する。然るべくしてそれは悲鳴を上げ始める。その苦痛は星本人も感じている筈だ。
尋常では無い量の汗を流し、肩を小刻みに振るわせている事がその証左だ。
だが、呼びかけは止まない。
――それがお前の闘い方か。ならば応じよう。
星のイメージに従い、我が依代が実体を得る。
***
「刀と、鞘……?」
「ぐ……っ」
硬い金属音を響かせて小銃が石畳に転がる。
激突の瞬間、星が私と東郷の間に割り込んできた。左手の黒い刀で私の剣を受け、右手の黒い鞘で彼の手を打ち据えたのだ。
私が現界させた時と形態が変化している。
だが、そんな事よりも——。
「退け! 何故、君が邪魔をする?」
「ダメですよ」
星が言う。静かに、緩やかな口調で。
「それはダメっす」
前髪の間から、月の光を反射して瞬くレッドヴァイオレットの瞳が見つめる。
ただそれだけなのに、私は射竦められてしまう。
東郷もまた、右手を押さえて棒立ちになっている。
刹那の膠着——。
「そこまで! この勝負は没収だ!」
怒号と共に石畳が震える。
丁度私達3人の真ん中に、その声の主が飛来する。
ダウンジャケットにチノパンというラフな出で立ち。
癖毛の金髪を弄りながら、男は私達を順に見回す。
「貴様、一体何処から見ていた?」
「そんな目くじら立てなさんなって、嬢ちゃん」
男は私に片眼を瞑って見せると、東郷に向き直って言う。
「
――灯籠、だと……?
東郷はあからさまに溜息を吐く。
拳銃を拾ってコートの内ポケットに戻しつつ、金髪の男を睨み付ける。
「そうか。あの人の指示で私を尾けてきたのだな」
「アンタにゃまだ死なれちゃ困るんでね。穏便に頼みますよ」
「ふん……」
東郷は忌々しそうに舌打ちを鳴らしたが、敢えて反論する気はないらしい。呪詛のように重苦しかった戦意も今や完全に冷め切っている。
私もすっかり気勢を削がれてしまった。武器――【THE EXTRA】――を本来あるべき空間に納める。
星もまた【THE 7th SIGN】の実像である黒い刀を消失させた。
それを見届けてから、金髪の男は慇懃な態度で頭を下げる。
「改めまして、『七番目』の所有者とその守護者様。オレは
最初に反応したのは星だった。
「あたしは氷崎星。星って呼んでください。コウくんって呼んでいいですか?」
「もっちろん!」
星は並びの良い歯を見せて笑いかけると、金髪の男に近づいて行き――、ごく自然にハグをした。
「な――っ、何してるんだ、君は!?」
男は軽く目を瞬かせた後、星の肩に手を置いて同じように歯を見せる。
「イイね。フランクな子は好きだぜ」
私は2人の間に身体を割り込ませる。
先程からこの男のどうにも軽薄な態度が気に食わない。
「ノアだ」
「おう、アンタの事は知ってるぜ。よろしく、嬢ちゃん」
私はそれに無反応で返す。
「さて、此処は内緒話には向かないな」
コウは両手を広げて、芝居がかった口調で言う。
「招待するよ。オレ達の隠れ家的な――あー、アジトに」
悪い申し出では無いと思った。東郷とコウ、そしてあの男の根城を知れると言うのだから。
もちろん罠の可能性もあるが、この2人の関係性を見るに一枚岩では無さそうである。
付け入る余地は充分にある。
差し当たっての問題が一つ。
後ろでアジトという響きに目を輝かせる星を見遣る。東郷との闘いで確信した。足手纏いの彼女を同行させるなど以ての外だと。
私がコウにそう宣言しようとすると。
「その前に、仲直りですよ。くーちゃん、東郷さん?」
言うが早いか、星は私と東郷の手を取り合わせる。無理やり握手をさせられる格好となった。
「不愉快だ」
「――同感だ」
少女は笑顔のまま無言で私達の手を揺らす。
ここに形ばかりの和平が成立した。
「——仕方ない。小娘に免じて手を引いてやる」
東郷は振り払うように私達の手を離した。
「ただしあくまでも一時休戦。忘れるな。私がお前を信頼する事は無い」
「はっ、何度やっても結果は変わらんよ。小手先の魔術で私を屈服できる者は居ない。ましてや元素系は不得手のようじゃないか」
『元素系魔術』――それは個人に内在するマナ、若しくは大気中に存在するマナのいずれかを消費する事によって、恣意的に自然現象を生み出す術法である。例えば、何も無い所から炎や氷を発生させる、と言ったように。現象の規模は置き換えるマナの総量に比例する。それはつまり、使い方次第では生活ばかりでなく戦闘においても有効に機能する事を意味する。私の知る限り、魔術体系の最上位に位置する術法だ。
しかし、基本的にあらゆるマナが存在しないこの世界では殆ど廃れてしまっている。
それ故に発達したのが『作用系魔術』。東郷の使用した『増幅』のように、自然現象に作用する事で効果を発現する魔術だ。
自然治癒力を促進する『治癒』も広い意味では『作用系魔術』に含まれる。
「ふん。隠すまでも無い、か。確かに私はそういった魔術への適性が低い。そもそも体内マナの生成過程が特殊だからな」
「しかし、全く使えないと言う訳でも無いさ。このように――」
東郷が指を鳴らすと、屋上を一陣の風が吹き抜ける。
突風でも鎌鼬でも無い。ただの微風。
「なるほど。大して役には立たなそうだ」
「くーちゃん」
不意に、泥と血で汚れつつも辛うじてフレアの形を保っている袖を引かれる。
「何か?」
至極真面目な表情で星が告げる。
「下着は可愛い派なんですね」
笠置コウの吹き出す声が聞こえる。
一方その頃、東郷は素知らぬ顔で煙草を吹かしていた。
――やはりこの男は殺そう。今此処で。
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〜第2話 盟約〜
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