Scene III [同調]


「これは……?」


 星は夕陽を塗り潰し紅に沈んだ空を見上げていた。


「馬鹿な……。こんな場所で発動するだと……?」


 少女の呟きを、星は聞き逃さなかった。


「くーちゃん! 教えて、何が起こってるの?」


「……『領域』が発動する。――――この建物は確実に破壊される。人も施設も、全てが。この場で生き残れるとしたら、私くらいだろうな……」


「――――。止める方法は?」


 この状況にありながらも、理知的で落ち着いた問い掛け。

 それを受け、俯いた少女の瞳が揺らぐ。


「それは…………」


 術式が完成する前に、陽炎の巨人を斃す。それだけが唯一の活路だ。しかし、深く傷付いた少女に反撃する余力は無いと見える。

 いよいよ万策尽きたと言える状況。

 その路を切り拓く手段は――。


「雨?」


 果ての見えない紅から、ぽつりぽつりと水滴が降り始める。

 同時に生臭いような焦げ臭いような、そんな異臭が鼻をつく。


「うう、あ――つ……っ」


「どうした!? しっかりしろ!」


 少女が星の肩を抱える。

 見れば、ジャケットやサロペットを貫通して服のあちこちに小さな穴が空き、そこから燻んだ煙が立ち昇っている。皮膚が焼けているのだ。


「――平気です。この雨、ちょっとヤバいみたいです、ね……」


 少女は爪を噛む。


「くっ、どうする……。どうしたらいい。せめて、『盟約』さえ成せれば――」


 このままでは『領域』の完成を待つまでも無く、星は力尽きるだろう。

 しかし活路、その路を切り拓く手段が――。


 ――あるのだ。たった一つだけ。


 問い掛ける。我が目であり耳であり、手足である彼女に。

 不意に響いた声に、星の身体が強張る。


「……誰?」


 ――この闘いに勝利する。その鍵はお前だ。


 ――故に走れ。


 ――ここまで闘ってきたお前なら理解出来る筈だ。


 星は小さく頷く。

 左耳のピアスが仄暗い光を放ち始める。

 チャンネルは今完全に繋がった。


「後でアナタの事、聞かせてくださいね」


 そして短く呟いて走る。傷だらけの四肢で。

 半球状の建物の上に立つ巨人は赤黒い空間――『領域』――を形成する作業の最中であるためか、両手を広げ棒立ちである。

 もはや邪魔する者は皆無。

 再び彼女が黒剣を手にする。


 ――仕上げだ。答えは既にお前の手の中にある。


 私は星に――我が正統なる所有者に名を告げる。

 同時に黒剣が深い闇のうねりを纏い始める。


「あああ――っ!」


 星は腰を中心に身体を捻り、剣を水平にして溜めを作る。

 雨滴を受けた全身から細く煙が上がる。

 しかし星は物ともせず。


「光を浸蝕し統創せよ!」


 半球の頂点。目標を見定める。


「THE 7th SIGN ――――」


 そして、捻った身体を振り子のようにして、剣を横一閃、振り抜いた。


「レグラント!!!」


 剣閃を中心として無数の黒い直剣が現界する。

 それらは濁流のように陽炎の巨人に殺到していく。


「――――――――!!!」


 瞬間、世界が震えた。

 夜の海を思わせる漆黒。暴力的なまでの奔流が陽炎を呑み込み――。




 跡には『領域』も、それを生み出していた巨躯も存在していなかった。




  *


「勝った……のか?」


 少女はいつの間にか夜になっていた本物の空を見上げて呟く。


「これが【サイン】の本来の力、か……。恐ろしいものだな」


 星は戦慄する少女の元に歩いていく。

 無論、立っているのがやっとの状態だろう。黒剣を杖代わりにしているが、身体が泳いでいる。

 星は自分より少し背の高い少女を見上げて言う。


「あたしは氷崎星」


 少年のように無邪気な笑顔。

 芯のある柔らかな声音は冬の夜空に溶け込むように響いた。


「アナタの名前、教えてください」


 黒髪の少女は目を伏せる。


「必要があるとは思えないな。これ以上君と関わる事はないのだから」


 そう言い放ち、右の手を差し出してくる。


「その剣を返してくれ。この闘いに巻き込んでしまったことは済まないと思っている。しかし、今のステージならまだ引き返せるはずだ」


「今日の事は忘れてくれ」


 差し出された手を見つめていた星は、不意に少女の手を握った。

 思い掛けぬ行動に少女が目を剥く。


「忘れませんよ」


「な――っ、何故。そんな目に遭ったんだぞ。次は命を落とすかもしれない!」


「それでも、です」


「アナタはあたしの事を守ってくれました」


 少女は苛立ちを露わに、星の手を振り払う。その勢いで星の身体が軽くよろめく。


「それとこれとは話が別だっ」


「――別じゃないですよ。あたしはアナタと、レグラントさんと一緒に闘う」


 柔らかい声の奥に梃子でも揺るがない意志を覗かせて、星は告げる。

 そうして彼女は再び少年のように無邪気な笑顔を向ける。


「だから。お名前、教えてください」


 少女は暫し視線を彷徨わせ、やがて諦めたように溜め息を吐く。


「ノア……」


「ノアちゃん、ですか。いい名前ですね」


 ノアは星から目を逸らす。


「よろしくです、くーちゃん」


「――は?」


 『くーちゃん』と呼ばれた少女は半眼で星を睨む。

 初めて会話した相手から突拍子も無くニックネームを付けられたのだ。しかも、名前とは少しも関連がない。普通の神経の持ち主であれば戸惑いもしよう。

 思い返せば先の戦闘中にもそう呼ばわっていた覚えがある。

 ノアが詰め寄ろうとしたその時――。


「あー、ごめんね。ちょっと、しんどいか……、も……」


 星はうって変わって弱々しい声で告げる。

 同時に、彼女の身体を支えていた黒剣が前触れも無く消失する。

 膝から崩れるように倒れる彼女を、ノアが抱きかかえる。


「おい、しっかりしろっ。君――」


 依り代を失った我は、石畳に倒れた星の左耳に輝く四葉に宿る。


「星!!!」




 ここに『心身同調』――即ち我が宿願における第一段階――、その全工程が完了した。




   ***




 空が高い。今更ながら、今宵は満月なのだと気付いた。

 傍らには月光の下でも明るく映える栗毛の女の子――氷崎星が眠っている。

 『人避け』の魔術は完全に機能していた。だと言うのに、彼女は当然のように濫入してきた。その出来事を偶然と片付けるのはあまりにも都合が良過ぎる。事実、彼女が気絶してから小一時間程経つが、学生はおろか教師や警備員すらも近寄って来る気配は無い。


 それ以上に気になるのは、星が【THE 7th SIGN】を振るった事。昼間にヤツとやり合っていた時点では私の持ち物だったはずだ。

 先程の闘いぶりを見るに、精々が『心身同調』のステージ完了と言ったところか。彼女達は『盟約』には至っていない。

 つまり、取り返す気になればいくらでも手はある。


 ――あたしはアナタと、レグラントさんと一緒に闘う。


 有無を言わさぬ強い宣言だった。何も知らないくせにどうして。


「君は、一体――」


 呟いた折、星の眼が開く。

 左耳でエメラルドグリーンの四葉が揺れる。


「――くーちゃん、おはようです」


「おはよう」


「何分くらい寝てました?」


「1時間と言ったところかな。あれから誰も姿を見せていないよ」


「そうですか」


 大の字に仰向けになり、星は遠くを見つめていた。

 その瞳が、不意に私に向けられる。


「くーちゃん――もしかして」


 よろよろと起き上がった星は、私の僅か数センチまで顔を寄せる。

 父にも兄弟にも、これ程不躾な態度を取られた事はない。意識に反して頬が熱くなってくる。私は眼を合わせないように少し顔を傾ける。

 星は遠慮無く私の頭に触れて首を傾げる。


「やっぱり。頭の怪我、治ってますね」


 屋上から地上のテニスコートに落下したときに出来た傷の事だろうか。


「何の事は無い魔術だよ。この周囲の生物の自然治癒力を高めただけだ」


「自然、治癒力……?」


「君も少しは身体に変化があるんじゃないか?」


「そういえば、どこも痛くないですね」


 彼女のジャケットやサロペットには無数の損傷が見られたが、身体に受けた傷は修復されていた。

 陽炎の巨人から受けた創傷、そして『領域』で受けた腐食、数は多かったがいずれも重傷ではなかった事が幸いしている。表面的にはほぼ全快復している状態だろう。


「――うーん、でも少し貧血っぽいですね。流石に失った血は元に戻らない、ですか」


「それはどうしようもないな。『治癒』の魔術は人の代謝を促進して表面的な怪我を癒す。軽傷の者なら瞬く間に治癒する事は可能だが、流した血を補充する物ではないし、外科的な手術が必要な者には効果が薄い」


「魔術っすかぁ」


 呟く星の表情は読めない。

 現代この世界において魔術は存在しない。少なくとも表向きは。

 魔力の根源たるマナが大気中に存在しない事が理由である。

 故に、魔術に関するあらゆる文献や技術は衰退し、一般的には今や創作の世界だけの物と見做されている。


「御伽噺だと思うか?」


「いいえ、ちゃんとここに存在するんだと思います。くーちゃんが助けてくれたのは本当ですしね」


 一笑に伏してくれれば、いっそどれ程気楽だったか。

 魔術そして【サイン】、これら非凡の現象をいとも容易く認められる女の子。それが氷崎星なのだとしたら。

 だとしたら、私も認めねばなるまいか。

 しかし――。


「君の場合は、そうだな。栄養のある食事でも摂ってくれ」


 ぴくりと星の眉が上がる。


「あああ――――!!」


「な、どうした……、どこか傷が痛むのか?」


「夕ご飯の事すっかり忘れてました。今夜はあたしが当番なんですよっ」


 闘いの最中よりも慌てた様子で飛び上がる。

 このタイミングで随分と呑気な事を考える人間だ。


「――うっわぁ、服ヤバいかな。かなちゃんに怒られそう」


 星は改めて自分の風体を見回して呻く。

 かなちゃん――は、彼女の家族であろうと直感した。その名前を呼ぶ時、柔らかい声音に一層の温かみを感じたから。


「今日はありがとう、くーちゃん。レグラントさんの事とか、近い内にゆっくり話しましょう!」


 星は小さな身体で私を抱きしめる。甘い柑橘の香りが鼻孔を抜ける。ハグは癖なんだろうか。


 星が踵を返したその時――。




「そいつは難しい約束だな」


 低く抑えたような声が木霊する。


「誰だ!?」


 この屋上と学舎内を繋ぐ唯一の扉である半球状の建物の裏から、壮年と思われる男性が出てくる。

 黒いロングコートからワイドカラーのシャツの襟が覗く。どちらも仕立ての良い物だ。

 男は指先で数枚のコインを弄んでいる。一見すると隙だらけに見えるが、おそらくいつでも戦闘に入れるように備えているだろう。

 逃げ道を完全に塞がれた格好だ。


「次から次へと……。何が目的だ」


 無造作に、男がコートの右ポケットから何か小さい箱を取り出す。

 それは、黒鉄のジッポだ。

 彼は手慣れた手付きで、親指を弾いてフリント・ホイールを回す。

 それと同時に私の手が強く引っ張られる。


「くーちゃんっ」


「――――!?」


 頬を焼くような熱気。

 私達が立っていた場所を、あの小さなジッポから噴出したとは思えない広範囲を、炎が取り囲んでいた。

 星が手を引いてくれなかったらと思うとぞっとする。今頃、私はあの中に囚われていたかもしれないのだ。


「やはり魔術師か……」


「ふん、そういう事になるな」


 私は星を背中に隠して、鈍色の剣――【THE EXTRA】を現界する。


「まずは名乗ろう。私は魔術師・東郷と言う」


 目許に深い皺の寄った彼の表情からは何の感情も読み取れない。殺意も使命も愉悦も、後ろめたさも。それはまるで能面のよう。


「もう一度聞くぞ。何が目的だ、答えろ」


「それはお前達が一番理解しているだろう?」


 東郷という男はリボルバー式の小銃をこちらに向ける。




「立木ノア、氷崎星。お前達から【サイン】を回収する」




   ***続く***

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