第五話「不可能への挑戦」
こんな命題も成り立つだろう。
「大般若興行にゴングは必要か」
大般若興行では第一試合からメインイベントまで、ゴングを聞いてからお行儀良く始まる試合など皆無であった。だいたいの場合、選手のコールに続くボディチェックの間に相手陣営からの奇襲攻撃が加えられ、試合はのっけから場外乱闘になるのが常であった。
本来試合開始を告げるための道具であるゴングは、既に両者が揉み合っている中で、かかる乱闘状態を追認する形で鳴らされるのが大般若興行ではお約束。
一応ピンフォールなどで勝負がつけばゴングが叩かれるが、前述のとおり総帥大般若孝自身が勝敗など度外視した試合を常に闘っているので、
「みなさん試合が終わりましたよ」
という合図以上の意味を、ゴングは持たなかった。あとは時折凶器として使用されるくらいだ。
なので
「大般若興行にゴングは必要か」
という命題は「一応成り立つ」などというレヴェルを超えて、
「大般若興行には何故ゴングがあるのか」
という大般若興行七不思議の一つに数えられるほどであった。
こんなふうであるから、今日このとき、メインイベントにおいてもやはり試合は長崎浩二、極悪坊永瞬組の奇襲攻撃により、唐突でありながら一方で予定調和的という、相反する二つの要素を内包しながら幕を開けたのである。まったくもってプロレス、いやさ大般若興行らしい始まり方といえよう。
長崎浩二はライバル大般若孝に、そして極悪坊永瞬はそのパートナーである田中ハードコアにそれぞれ襲い掛かり、ハンマーパンチの乱打。そのまま同じタイミングで相手を場外に放り出す。
これがテレビマッチであれば、カメラでレスラーの姿を追わなければならない場外乱闘は忌避されるのだが、そんなものとは無縁の大般若興行では場外こそ主戦場である。プロレスは通常、二十カウント以内にリングに戻らなければ反則負けとされるが、大般若興行には場外カウントなどという概念は存在しない。
そしてデスマッチなどと聞けば通常の試合形式と比較して過酷で危険を伴う試合だとイメージされる方も多いだろうが、場外カウントがないことによって選手各位が攻守ところを替えて自由に闘う(または観客と触れ合う)光景は、むしろこの試合の印象を、デスマッチという語から想像するものとは真逆の、牧歌的なものにしていた。
観客席にパイプ椅子が並べられていた、と前述した。メインイベントのころともなると既にパイプ椅子は散乱しており、どこにどう並べられていたか再現出来ない状態になっている。観客のほとんどは立ち見状態で、レスラーが会場内を自由に往き来するのに追従しながら観戦するのが大般若興行のスタイルだったが、やはり立ち見は疲れるというのでパイプ椅子に座って観戦する観客もいるにはいる。
そして場外戦を闘うレスラー達は、数ある無人のパイプ椅子などには目もくれず、こういったパイプ椅子に座っている観客を敢えてピックアップして、その観客から奪った(譲ってもらったと言い換えても良い)パイプ椅子で相手を攻撃するのだ。選手と観客の触れ合いの、これも一環である。
ガツン!
いかに試合が牧歌的であれ、勝敗があらかじめ定まっている試合であれ、目の前で加えられるパイプ椅子攻撃には掛け値なしの迫力があるものだ。巨体を誇る極悪坊が、どちらかといえば小柄な部類に入る大般若孝の背中にパイプ椅子を叩き付ける様子は、本戦の見せ場のひとつといえよう。
「卑怯だぞ!」
観客からの野次に反応する極悪坊。大般若孝から視線を外した。大般若孝はその隙を見逃さず、バンテージでぐるぐる巻きにした拳を極悪坊の腹に突き立てる。総合格闘技の試合などで目にする、振り抜くような鋭いパンチではもちろんない。大般若孝は、そういった相手を痛めつけるような不粋なパンチは断じて打たない。
二度三度打たれるうちに、遂に極悪坊の手からパイプ椅子が落ちた。
大般若がそれを手に取る。やって良いかと問うように、周囲を取り巻く観客をぐるり眺め回した大般若孝。
その大般若孝の無言の問いかけにこたえて
「やっちゃって下さい!」
パイプ椅子を使った凶器攻撃を促す観客の声。
大般若孝がパイプ椅子を振り上げ、極悪坊の頭頂部に振り下ろした。無論綿の入ったクッションの部分を、である。
堪らず膝を突く極悪坊。観客は拍手喝采だ。
一方では田中ハードコアと長崎浩二がこれも同じように場外を所狭しと暴れ回っている。
出色は田中ハードコアが場外で、パイプ椅子を踏み台に繰り出したラ・ケプラーダである。受けきった長崎浩二も立派であった。
「十五分経過! 十五分経過!」
リングアナのマイクを合図にするかのように、長崎浩二と田中ハードコアがリングイン。ボディスラムという基本的な投げ技を田中ハードコアが見せたということは、田中ハードコアがフィニッシュホールドであるフロッグ・スプラッシュを繰り出す合図である。これはコーナートップに上り、フロッグすなわちカエルのような屈伸運動を伴いながらリング中央に仰向けに倒れている相手レスラーめがけてボディプレスを見舞う荒技である。
ただ、観客席からは
「やめろー!」
と田中ハードコアに翻意を促す野次が頻りに飛ぶ。それも無理のない話で、長崎浩二が仰向けに倒れているその下には有刺鉄線ボード。どう考えても
しかし翻意を促す野次にも、その根底には
「どうか自爆して下さい」
という願望が多分に含まれているのだからプロレスファンとは厄介な生き物だ。
いやそんなことはない、その観客は本当に、心の底から田中ハードコアのためを思って翻意を促しているのだとおっしゃる向きには、次の光景をご覧いただこう。
案の定フロッグ・スプラッシュを避けられ、自らの腹を
こうしてこの日のメインイベントは、自爆し心身に深いダメージを負った田中ハードコアから長崎浩二がピンフォールを奪い、長崎浩二、極悪坊永瞬組の勝利で幕を閉じたのであった。
だがそれは試合が終わったというだけの話であって、試合後、大般若孝が持ち出してきた水道水入り五百ミリリットルのペットボトルの水を頭からかぶり、或いは観客に向かって噴霧する今からが、ある意味本当の意味での大般若興行のメインイベントであった。
この日がいつもと違ったのは、しとどに濡れた大般若孝がマイクを要求し、こう言ったことである。
「おい、おい、おい。よう聞け、よう聞け、お前ら。おい、よう聞けお前ら。
俺はな、俺はな、いいか、よう聞け。
俺はな、横綱、横綱、横綱」
とまで言うと、観客のボルテージは最高潮だ。「横綱」の次に来る言葉を、観客の全てが期待していた。
「俺はな、横綱狛ヶ峰と、有刺鉄線電流爆破デスマッチで闘って見せる! 電流爆破のリングに横綱狛ヶ峰を上げてみせる!
狙うは狛ヶ峰の首ひとつ!」
大般若興行本町商店街駐車場大会は、大般若孝のマイクパフォーマンスにより、この日一番の拍手喝采を得て盛況のうちに終えたのであった。
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