第四話「大般若興行」
「続きまして本日のメインイベント。
大般若興行
特設リングを取り囲む観客はいくら多く見積もっても百人は超えていないだろう。試合開始前はお行儀良く並べられていた観客席のパイプ椅子は、もはや開場時の光景が思い出せないほどめちゃくちゃに散乱していた。
散乱しているのはパイプ椅子だけではない。角材や木片、パンフレットや本興行を告知するチラシ、果てはなんだかよく分からないベタつくものまで、ありとあらゆる物が散乱する特設会場。大般若興行では珍しくない光景だ。
「青コーナーより長崎浩二、
リングアナのコールを合図に、会場スタッフがラジカセの再生ボタンを押すと、長崎浩二の入場テーマに乗って両者が入場してくる。
メジャー団体のドーム大会のように立派な花道がしつらえられ、スモークやビームによって彩られる煌びやかな入場では決してない。ただ、花道を歩く両者を、ファンが興奮とボディタッチで歓迎する光景は、そういったメジャー団体の大規模大会では決して見られない光景である。大般若興行の選手達は、鉄柵や若手レスラーの壁に遮られることなく、観客達からの
長崎浩二が背負うのは有刺鉄線を畳一畳分ほどの面積のベニヤ板にぐるぐる巻き付けたいわゆる「有刺鉄線ボード」。
これをコーナーポストに立てかけて相手を叩き付けたり、或いは場外に敷いた有刺鉄線ボード上に相手を叩き落とすなどの方法で使用する、一種の凶器である。時には持ち込んだ者の意図とは異なり相手に利用されることもある。コーナーポストに振って叩き付けようとしたら、逆に体を入れ替えられて叩き付けられる等である。試合にアクセントを付ける小道具として、長崎浩二が好んで使用した。
その長崎浩二。有刺鉄線ボードを使用する流血試合を想定して(というよりも、いつもそうなのだが)、半袖の黒いティーシャツとジーンズに、側面に白いラインの入ったエナメルのリングシューズという出で立ちである。
パートナー極悪坊永瞬はといえば、上下燃えるような真紅の作務衣姿に白の地下足袋。ただ地下足袋はもともと白だったというだけで、そのほとんどの部分がくすんだ血の色で薄赤く染まっている。作務衣の赤色が嘘っぽく見える、本物の血の色だ。幾多の激戦を経てきた証拠である。
極悪坊というだけあって僧侶ギミックであるが、身長二メートル、体重百四十キロという巨躯。この体格はメジャー団体を含めて近年のプロレス界では珍しい。つるつるに剃り上げたスキンヘッドであることは無論、眉まで剃り口髭をたくわえた姿は、破戒坊主の二つ名に相応しい風貌であった。
「裏切り者!」
という観客からの野次に威嚇の表情で応じる。
ラジカセで流れる入場テーマに乗り、両者リングイン。百人に満たない観客の拍手がまばらに起こる。
「赤コーナーより、大般若孝、田中ハードコア組の入場です」
やはり百人分の拍手とはいえ、明らかに先ほどの拍手よりは音が大きい。スタッフがCDを入れ替えて鳴り響くのは、大般若孝の入場テーマ。
そう、「ワイルドシング」だ。
赤いショートタイツ一枚、リングシューズもなく裸足に、金髪に染め抜いた長髪を振り乱しながら
「い゛~~~!」
と奇声を上げる田中ハードコア。
全身には新旧数え切れないほどの切り傷。田中ハードコアはその名のとおり狂気じみたファイトスタイルでデスマッチ専門に闘うフリーランスのレスラーだ。
大般若孝との付き合いは古く、時折こうやって大般若興行に参戦している。累年大般若孝の恩を蒙りながら、その永遠のライバルともいえる長崎浩二側に転じたのが極悪坊永瞬だった。観客が極悪坊を裏切り者呼ばわりしたのはそのためだ。
この強敵を迎え撃とうという大般若孝を助けるために、今回田中ハードコアは大般若興行に参戦したのである。
そしてその後に続くように花道を歩くのが、本日の主役大般若孝だ。
五百ミリリットル入りのペットボトルの水を頭からかぶり、自らしとどに濡れる行為に意味を求めるなど野暮というものである。
「自分がかっこいいと思うことをやる」
という大般若孝の行動原理は至ってシンプルだ。
ペットボトルの水を頭からかぶる行為にも、口に含んだ水を観客に向かって噴霧する行為にも、意味なんかない。そうすればかっこいいと思うからするのである。それだけの話であった。
たとえばこんなことがあった。
曾て真日本プロレスに乗り込んだ大般若孝は、既に引退して数年が経っており、このころ現場監督という立場にあった
しかし相手はメジャー団体真日本プロレスで長くメインイベンターを勤めた往年の名選手、アマチュアレスリングでも鳴らした実力者相手にアウェーで勝利する気など大般若には端からなく、そうでありながらなお一方的に打ちのめされる試合展開を大般若孝が飲んだのは、そういった負け方に彼なりの美学を見出したからにほかならぬ。
たとえばこれが逆の立場だったとしたら、たとえ勝ちブックだったとしても大般若は試合を飲まなかっただろう。
勝ち負けではなく、世間一般、通常人の多くが見てかっこいいと感じるかどうか、でもない。
「自分がかっこいいと感じるかどうか」
これが大般若孝の行動原理だった。
なお余談であるが、さきほど「勝ちブック」という語を使った。「ブック」が勝敗も含めた試合の台本を指していることや「勝ちブック」の対義語が「負けブック」であること及びそれぞれの語の意味については博学の読者諸氏には今さら多言を要しまい。
「知らないし分からない」
という向きにはそのまま読み進めていただいても一向に構わない。本小説の「赦し」というテーマにとっては、プロレスがあらかじめ勝敗の定まったショーであることをこの期に及んでごちゃごちゃ説明することなど枝葉末節の事柄に過ぎないからである。
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