おくりもの

夢月七海

おくりもの


「ラルッコ・エリアス様のお宅ですか?」


 夕暮れ時、畑仕事を終えて自宅の門を開けようとしたときに、後ろから聞き覚えのない声で僕の名前が呼ばれた。

 振り返ると、一人の見知らぬ配達人がニコニコしながら立っていた。


「はい。そうですが」


 僕が頷くと、配達人は肩から下げた鞄の中から、掌に収まるほどの小さな箱を取り出した。


「ジェド・メジナ様からのお届け物です」

「えっ! 本当ですか!?」


 二十数年前にこの村から飛び出していった友人の名前を聞き、僕は驚きながらその箱を受け取った。

 信じられないくらいに軽い木の箱から、まだニコニコしている配達人に目を移す。


「あの、届け物ってこれだけですか」

「はい。そうです。この中身を、今夜は枕元に置いて寝てください」

「えーと、それはどうしてでしょうか?」

「色々説明するより、体験した方が早いのです。私はここの宿に泊まっているので、疑問は明日の朝に受け付けます」

「は、はぁ……」


 配達人はそれだけを言い残すと、ぴょんぴょんと軽やかに去っていった。

 僕はその背中を見送ってから、どうしても気になって、箱の中身を開けた。


 入っていたのは、一粒の種だった。濃い緑色で、形は涙に似ていて、大きさは人差し指に乗るくらい。代々農業をしている家系の僕でも、見たことのない種だ。

 それ以外に入っていたのは、緩衝材代わりの綿だけで、手紙もなく、箱の内側にもメッセージらしきものが書かれてなかった。


 その夜、僕は配達員に言われた通りに、枕元にその種を置いて、眠ることにした。

 隣のベッドで横になった妻におやすみと言い、燭台の火を消し、目を閉じる。


 そして、僕は夢を見た。






   ◎






 ――ごとごとと、馬車に揺られながら、遠ざかっていく故郷の村を眺めていた。丁度収穫の時期で、黄金色に輝く麦が美しい。


 見渡す限りの雪原。雲一つない青空の光を、白い雪がすべて反射させていて、思わず目を細めた。


 川縁に生えた木々は、一斉に黄色い花を咲かせている。風が吹いて、花の香りと、鳥の歌声が届いた。


 山を登る途中で行き当たった滝を見上げる。顔にかかった飛沫の冷たさが気持ちいい。


 夜の町の広場は、祭りで賑わっていた。火吹き男と、剣をジャズリングする男の間を通っていく。


 嵐の中、成す術もなく船は荒波に揉まれる。上下する視界の果てに、稲妻が落ちる。……初めて死を覚悟した。


 なんとか辿り着いた港町。怪我をした足が、もう元のように歩けないと言われて絶望する中、一人の女性が必死に看病してくれた。


 彼女と一緒に暮らすようになった。杖を突いて歩き回りながら、自分にもできる仕事を探す日々。とにかく、彼女のためになりたかった。


 籠編みの仕事を始めた。初めてもらった給料で、彼女に花を買って帰る。


 彼女がアップルパイを焼いてくれた。パイを切り分けた彼女のおなかは、だいぶ大きくなっている。


 生まれたのは元気な女の子だった。ベッドに座る彼女が抱いた赤ん坊の頬に触れる。柔らかくて、温かった。


 すくすくと育っていく娘。庭の小さな木の周りを走り回る娘を、妻と一緒に眺めている。


 いつかの木が大きく成長して、白い花を満開に咲かせていた。……それをベッドの上で眺めている自分の命が、それほど長くないことに、自分自身がよく分かっている。


 横を見ると、心配そうな妻と娘の顔があった。今にも泣きだしそうな顔をした二人が差し出した手を、優しく包むように握る。


 ――こんな小さな村で人生を終えたくないと、旅に出た。美しく雄大な景色を見て、自然の恐ろしさも体験して、この町に辿り着き、愛する人たちと出会えた。


 自分の人生に満足している。唯一の後悔も、きっとあの種が解消してくれるだろう。


 だから、僕のことはもう、心配しなくてもいいから――


 ――みんな、おやすみなさい………






   ◎






 鶏の声が聞こえて、ゆっくりと目を開ける。

 僕の枕は、涙に濡れていた。






   ◎






 妻と息子と父と囲む朝の食卓でも、心はここにあらずだった。

 ずっと、見ていた夢の内容について考えていた。きっとあれは、ジェドの体験してきたことなのだろう。


 あの配達人が何か知ってるはずだから、畑よりも先に宿へ向かった。

 道中、ジェドの両親と弟、僕とジェドの友人でもあるセジと会った。彼らもジェドからの種が届き、一緒の夢を見たので、その理由を配達人に尋ねに行くという。


 村に一つだけの宿、その食堂で配達人は紅茶を飲んでいた。他に宿泊客の姿は見えない。

 ぞろぞろと連れ立って入ってきたぼくたちに気が付くと、にこやかに立ち上がり、同じテーブルを勧めた。そのテーブルの椅子は、僕たちの人数と丁度同じだった。


「皆さん、同じ夢を見ましたか?」


 座った僕たちを見回しながら、配達人はそう切り出した。僕たちはまちまちに頷く。

 代表して、ジェドの父親が最初の質問をした。


「あの種は、一体何なのですか?」

「あれは、私たちの国では一般的な、魔法によって生み出された木の種です。その木は、愛情を注いで育ててくれた人が亡くなる前後に花を咲かします。その後に実った種には、その人の記憶と思いが刻まれ、枕元に置いて眠った相手に、それを夢という形で伝えてくれます」

「で、では、ジェドは、息子は……」


 ジェドの母親は、覚悟はしていただろうがやはり震えた声で尋ねた。すると配達人は初めて笑顔を消して、重たい首を縦に振った。

 母親は、零れそうになる涙を、取り出したハンカチで押さえた。隣の父親が、俯いた顔のまま、彼女の肩を抱き寄せる。


「あの……兄さんやあなたの国について教えてください」

「ええ。いいですよ」


 ジェドの弟がおずおずと申し出たので、配達人は自分の国のことについて話してくれた。

 ここから遠く離れて、海を渡ったその先にある、魔法の発達した国のことを、弟はじっと聞いている。若い彼はこの先、兄の家族に会いに行くのかもしれないなと思った。


 今度は、セジが口を開いた。


「なあ、この種を枕元に置いとけば、何度もあの夢が見れるのか?」

「残念ながら、一度きりです」

「そうか……」


 小さい頃は血の気が多くて、喧嘩ばかりしていたセジが、珍しくしゅんとしている。

 そんな姿に僕は胸が痛みながらも、配達人には訊きたいことがあった。


「この種を植えて、育てることは可能ですか?」

「はい。そうしたら、育てた人の種が生ります」


 水を打ったような静けさの中、配達人はそう答えた。






   ◎






 宿を出て、教会へ寄るというメジナ一家と別れて、僕はセジと一緒に歩いていた。

 これから仕事だというのに、その実感が今一つ湧かない。目の奥にあの夢の光景とジェドの新しい家族の笑顔が残っている一方で、それを見てきたジェドはもうこの世にいないんだという悲しさでいっぱいだった。


 春の初め、今は丁度種まきの季節だった。畑の真ん中を通る道を歩いていくと、忙しく動いている人たちの姿が目に映る。

 それだけで、僕はこの小さな村に愛おしさを抱き、ジェドのように飛び出していこうという勇気は出なかったんだなと考えていた。


「なあ、ラルッコ」

「なんだい?」


 突然そう話しかけられて、セジの方を向く。

 下を向いて歩く彼は、いつもの肩で風を切るような威厳を潜めて、小さくなっていた。


「お前も、あの種を植えるのか?」

「うん。君も?」

「ああ。もちろんだ」


 短い会話だが、長い付き合いなので、セジの言わんと欲することは感じ取れた。

 セジの種を、僕は受け取り、僕の種は、セジに贈ろうと決意した。


 強い風が吹く。ジェドが辿り着いた、南からの風だ。


「春だね」

「これからますます忙しくなるな」

「うん」


 僕らはそう言葉を交わしながら、家路へ向かった。
























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おくりもの 夢月七海 @yumetuki-773

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