第2話 8月2日


 どうせ今日は来ないだろう。あまり期待せずに湖水浴場へ足を運ぶと、既に琳音が砂の上に座ってぼくを待っていた。


「何やってたの! ちょっと遅いよ」


 怒るそぶりをしつつも、笑うその顔はとても可愛らしい。どうしてだろう。昨日は美しかったのに、今日はとても可愛い。琳音はフリルのついたワンピースを着こなし、頬にはキラキラ輝くラメを散りばめている。


 昨日の素朴な雰囲気とはまた異なって、お洒落な琳音も好きだ。もしかして、こんなに変わったのも、全部ぼくのために……?


「りんね」

「なあに?」


 後ろを振り向いてどこか嬉しそうに聞き返すその姿もまるで湖の中を生きる人魚のようで……、素敵だ。


「そっ、その……。今日はとてもお洒落だね」

「ありがとう。今日は真夏に会えるのが嬉しくて、つい張り切っちゃった」


 普通の女の子なら化粧やお洒落を決して「○○のために張り切った」とは言わないと思う。だから、そこは女の子とは違う男らしさなのだろうと勝手に納得した。


 それでも琳音の可愛らしさは他の女の子、いや女たちとは違ってはっきりと言える。「美しい」と。美人という言葉は琳音のために作られたのではないか。そう思えるほどに夜と琳音の風景はよく似合う。


「今日は何をしてあそぼっか、真夏」


 背を伸ばして聞く琳音にタジタジになりながら、ぼくはどうすればいいかを考える。もしかしたら琳音は女の子らしい遊びを望んでいるかもしれないし、逆に遊びたいのかもしれない。

 いろいろ悩んでいると、琳音が今夜、何をするか提案してきた。


「今日は水遊びしましょう」

「水遊び……?」

「うん。今夜は暑いわ。だから眠れなくて。服が濡れてもぼくの家には替わりがあるから平気」

「水遊びかあ……。そういえば湖で遊んだことってほとんどなかったな」

「でしょ?」


 すると、彼女がぼくの手を引いて湖へ連れて行く。足から水の冷たい感覚が伝わって、一瞬身震いした。水が思ったよりも冷たい。それなのに琳音は足首まで水に浸かるとぼくに水をかけてきた。

 一瞬驚いて怯んだぼくに、彼女は少し笑って言った。その表情は昨日のような不安感に満ちたものとは違ってなかなか煌やかだ。


「驚いたでしょ? その驚く顔も大好き」


 ぼくの心にもとうとう火がついた。ぼくは琳音を追いかけようと走り出すと、彼女は笑いながらぼくから逃げ出した。


「待てええ! 琳音、逃しっこはしないからな!」

「ここまで来れるならおいで、あっかんべえ」


 舌を出して笑う琳音だが、あっという間にぼくは彼女に追い付いてしまった。後ろから抱きすくめてやると、琳音は一瞬驚いて身をたじろいだ。


桜野琳音さくらのりんね、一瞬の不覚だわ。てへぺろ」

「なあ、いい加減その女言葉やめれば? 無理してる感があるぞ」


 すると琳音は空を見上げながら遠い目をする。その瞳は闇夜の空を映し込んで、無数に散らばる星々を複製していた。


「んー、俺たちって出会ってまだ二日目でしょ? だから、キスしあったとはいってもまだあまり警戒が解けてないんだ」


 なんという衝撃の事実。いくら体を重ねても、キスしようとも琳音がぼくから警戒を解くことはなかったのだ。このことを知って、ぼくは一瞬ショックを受けてそのまま湖の中で立ちすくむ。


「じゃあ、どうすれば警戒は解けるの?」

「それは、少しずつこうして毎日会って、少しずつ距離を深め合って……」

「いま、おれも同じことを考えてたよ。明日もまた来るよ。お前がそうするように」


 あっ。いまぼく、ちょっとキザなセリフを吐いちゃった。そう後悔した時には遅かった。でも、琳音が示した反応は意外なものだった。


「うん。明日もこうしてまた会おう。八月三日の夜八時に」


 そう静かに言葉を放って手を握りしめる琳音の手が暖かかったのはどうしてだろう。何故かそこに疑問を持ちつつも、ぼくは彼の手を握り返して一緒に闇夜に浮かぶ月を眺めているのだった。

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