第5話 猛烈苛烈ファイヤーガール

 高揚感なんて一瞬のこと。

 重力に引っ張られるのを感じて、すぐに恐怖がやってきた。


「ふぎゃっ!」


 背中に走る激痛。

 視界がブラックアウトして、一気に力が抜ける。


 尋常じゃないほど痛い。そりゃ相当な高さから、しかも受け身もとれなかった。呼吸が上手くできない。

 痛みに悶えていると、誰かがにょきっと顔を覗き込んできた。


「あの小娘、いい根性してるな~。大丈夫、エーシュン?」


 とりあえず、キャロルは無事だったらしい。その顔はもちろん、帽子にもローブにも異変は見当たらない。


「いや、もう無理、立てない。どうか、俺のことは放っておいてください」


「それは重傷だ」


 呆れたように顔を歪ませると、キャロルは俺の傍らに座り込んだ。小さな掌を、俺の腹にペタッと当てる。


 どういうつもりなんだろう。別になにというわけでもないのに、なんだか恥ずかしくなってきた。


「いたいのいたいのとんでけ~」


「……そんな子どもじゃあるまいし」


 恐ろしいまでの棒読み。腹を擦る手の動きもおざなりすぎる。一ミリも効果があるとは思えない。


 そもそもが、子ども騙しじゃないか。母親が痛みで泣きじゃくる我が子にするイメージが強い。

 それを、この幼女にやられるとは。立場がまるっきり逆だ。いや、俺からしたとしてもおかしな話だけど。


 傍から見れば、犯罪臭のする絵面だろう。路上で幼女に慰められている男。俺が遭遇したら、すぐにでも通報する。紗由希が聞いたら喜んで食いつきそうな事案だ。


 複雑な気持ちになっていると、すぐに身体の異変に気が付いた。


「……って、あれ。なんともないぞ」


「ふふん、効いたみたいだね。ありがとうは?」


「ああ、ありがとう。もともと、お前に巻き込まれてんだけどな」


 とんだマッチポンプだ。ついでに言っとくと、部屋の中のことを考えると全く釣り合っていない。


 とりあえず、上半身だけ起こす。少し動いても、全く痛みを感じない。


「で、何が起きたんだ。箒は?」


「ん」


 キャロルはつまらなそうな表情で、近くの地面を指さした。

 

 見ると、そこらじゅうに黒い灰が落ちている。なんだろう、燃えカスみたいな。


「なにこれ」


「かつて箒だったもの」


「なんでこんなこと――」


 に、と言い終わる前に、熱量を持った何かが頭上を通過した。頭のほぼ真上、もし立ち上がっていたらヤバかった。

 すぐに目で追うと、その正体は真っ赤な球体だった。バレーボールぐらいの大きさで、メラメラと燃え盛っている。

 そのまま、夜闇に吸い込まれるように消えていった。

 

 まさに火の玉――咄嗟に後ろを振り返る。

 視線の先に女がいた。燃えるような赤髪は、空中で見下ろした時と同じ。

 そこで初めて、俺は女の姿をはっきりと見た。くっきりとした目鼻立ち、すらりと背が高く、とても勝気そうだ。


「い、今のって……あいつも魔術師なのか」


「うん。とびきり苛烈な、ね。――っと、伏せて!」


 キャロルに言われて、俺はすぐに頭を丸めた。

 ちらりと確認すると、先ほどと同じように火の玉が飛んでいく。


 確かにあれは苛烈だ。あの赤髪女、ものすごい好戦的な性格らしい。


「今のは警告よ。次は当てる」


「さっき一回当ててるくせに。あの箒、結構な年代物だったのにさ」


「……撃墜されたわけね、俺たち」


 再び女の方に目を向けた。

 さっきと変わらず、仁王立ちしてこちらを睨んでいる。ほのかに漂う王者の風格。隣のちんちくりんと違って、の匂いがする。


 おそらく、俺の部屋の壁を吹き飛ばしたのもあの火の玉だろう。ぶつかったら爆発を起こす魔法。魔術師キャロルはともかく、俺が喰らえばひとたまりもない。


 ずいぶんと素敵な夜になったもんだ。


「とにかく、ここは逃げるよ、エーシュン!」


「えっ、マジかよ!」


「あ、ちょっと待ちなさいってば!」


 キャロルが俺の肩を叩いて、駆け出していく。

 俺も仕方なく後に続いた。この場に残っていても、火の玉ぶっ放し女に何されるかわかったもんじゃない。


 ちらりと後ろを見ると、あの女もしっかり追ってくる。


「さっきから逃げてばっかり! 魔術師としてのプライドはないわけ」


「真っ向から魔術戦を仕掛けるなんて、とんだ脳筋だね、お嬢ちゃん」


「アンタの方がどう見ても年下じゃない!」


「……お、お前、あんま煽るなって」


 後ろから、ビュンビュンと火の玉が飛んでくる。

 もはや、走りながら避けられているのが奇蹟に近い。自分でも何が何やら、全くわかってない。


 とにかく、必死に夜の住宅街を駆けていく。


「あー、もうなんでこんなことに! 俺は巻き込まれただけじゃねえか」


「じゃあ、あの小娘にそう説明してみる? たぶん聞く耳持たないだろうけど」


「もとはと言えばお前のせいだろ! 魔術師だって言うなら、なんとかしてくれよ!」


「ねえ、エーシュン? わたしたち、なんで逃げてると思う?」


「…………お前まさか」


 固唾を飲んで、俺はロリ魔術師の顔を見つめた。


 奴は悪戯っぽくペロッと舌を見せるだけ。ばつの悪そうな笑みは、その実全く悪びれたところはない。


 導き出される結論は一つ。


「ご想像の通り、わたし、攻撃魔術はちょっと、ね」


「ちょっと、じゃねえよ!」


「じゃあてんでだめ」


「そういうことじゃない!」


「ちょっと、うるさいわよ! 近所迷惑でしょうに」


 火の玉を好き勝手ぶっぱしてくる奴に言われたくないんだが。

 ダメだ、登場人物みんな、俺以外頭おかしい。


「全くちょこまかと本当に鬱陶しい」


 ひどく苛立ちのこもった声が後ろから聞こえてきた。


 少し遅れて、目の前に突然太い火柱が一本生えてくる。

 厳密にいえば、いきなりではない。上から、ひときわ大きな火球が落ちてきて、それが柱のように伸び上がったのだ。


 慌てて急停止。足がもつれて、無様によろめいてしまう。あまりにも全力過ぎたせいか、身体のよくないところが悲鳴を上げた。


「荒れ狂う炎よ、一切の敵を逃すな。『縛炎陣フレイムケージ!』」 


 赤髪女が謎の言葉を口にすると、炎の柱が分裂して左右に広がっていった。

 数本立ち並ぶその様子は、まさに檻だ。隙間は狭すぎて、通り抜けるのは難しいだろう。


「あらら、塞がれちゃった」


「のんきに言ってる場合かよ!」


 完全に追い詰められた。くるりと振り返ると、赤髪女はゆっくりと近づいてきている。


「チェックメイトね」


「ど、どうするんだ、キャロル」


「ううん、ホントはしっかり撒いて、もう少し落ち着いたところでしたかったんだけどなぁ」


「何の話だよ!」


「ごちゃごちゃ煩いわね。あんまり往生際が悪いと、そのまま燃やすわよ?」


 赤髪女は、立ち止まると人差し指で空をなぞった。

 動きに合わせて、火の閃光が宙を駆けて消える。高飛車な笑顔が加わって、悪役の仕草にしか見えない。


 身構えていると、キャロルが耳元に顔を近づけてきた。 


「ねえ、エーシュン。実はこの場を切り抜ける手段が一つだけあるんだ」


「なんだよ、それを早く言えよ」


「それにはさ、エーシュンの協力が必要不可欠なんだけど」


「……それしかないんだよな?」


「うん」


 ひそひそ話をしていたら、赤髪女が火の玉を飛ばしてきた。指を立ててスナップを利かせて振り下ろす。そんな簡単な動作だけで。


 反射的に身を翻すと、何とか避けることができた。

 赤髪女が悔しそうに舌を鳴らす。


「わかった、わかった。なんでもする。だから早く教えてくれ」


「言ったね! じゃあちょっとだけ、時間稼ぎをば」


 キャロルの顔がパーッと輝いた。素早く俺と赤髪女の間に割って入ると、左腕を大きく突きだした。


「ヌメマディの名の下に命じる。――静止せよ」


「強制の魔術、か。小賢しいわね…………えっ⁉」


 赤髪女は不快感を露わにしたが、すぐその顔に驚きが広がった。


「さて、ちゃっちゃとすませちゃお。エーシュンと、この本――『開闢かいびゃくの魔導書』との契約の儀をね」

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