第6話 初めての魔術行使

 かいびゃくのまどうしょ?

 ずいぶんと意味不明な言葉がでたもんだ。


 そう言って、キャロルが取り出したのはやっぱりあの白い本。これで四回目、さすがにちょっと見飽きた感はある。


「……それ、魔導書だったのか」


「そうだよ。この世に一冊しかなくて、最も古い歴史を持つ魔導書」


「これまたずいぶんと物騒だな」


 契約の儀とキャロルは言った。

 額面通りに受け取れば、俺がこの魔導書の使い手になれ、ということか。

 でもなぜ? 魔導書が真にどういうものかはわからない。だが、数々の創作物で得た俄か知識によれば、素人に扱えるはずがない。


「まあ、普通のはそうだね。魔導書っていうのは、その本人が身に着けた魔術を記したもの。魔術の発動に際しての補助装置、っていうのかな。とにかく、使えるのは記述者本人か、その一族」


「だったらどうして――はっ! まさか、実は俺のご先祖は魔術師だったのか」


 今明かされる衝撃の真実、というやつ。

 自覚はなかったが、まさか自分がそんな存在だなんて。驚きと共に、ちょっとだけ嬉しさがこみ上げてくる。


「ううん。違うよ。魔術師的見地からすると、エーシュンは全くの一般人。もうびっくりするほど凡人。そこらの人でも、実は少しは素養が残ってたりするんだけど」


「……あの、言い過ぎじゃない? 泣くぞ」


「まあまあ、開闢の素質があるんだからいいじゃない。はい、これ。あと、手出して」


 キャロルが魔導書をぐいっと押し付けてくる。そして、ちらりと赤髪女の方を見た。

 受け取りながら、俺もキャロルと同じ方向に目を向ける。話をしながら、ずっと気にかかっていた。


 まるで時が止まっているかのように、赤髪女は少しも動かない。まばたきも呼吸すらもしていないように見える。その目は俺たちの方に向いているが、はたして何が映っているのか。


 ……よく見ると、どこか見覚えがある気がする。俺が会う女子なんて、それこそ学校関係者ぐらいなんだけど、まさか。


「エーシュン、急いでくれる? 見惚れてないで」

 

「み、見惚れてなんかねーよ。ええと、右手でいいか」


「どっちでもいい、早くしてよね、グズ」


「あの、急に辛辣になってませんか、キャロルさん」


 どういう心境の変化だろう。

 それとも、単に化けの皮が剥がれただけか。思い返してみれば、暴力的な言動は多かった。


 とりあえず、俺はキャロルの目の前に手を差し出した。魔導書をこわきに抱えながら、何をするのかと注意深く見守る。


「ん」


 パクッ――おやゆびをくわれた。


「……は? え? ちょ、ちょっと、お前何して」


 キャロルが俺の親指の半分ほどを口に含んだ。指の腹が下の八重歯がばっちり当たっている。


 暖かくヌメっとした感触。どこか恍惚として見えるキャロルの表情。時がゆっくり流れているような錯覚。

 これは……マズい。背徳感に、これ以上ないくらい心臓が鼓動している。身体が一気に熱くなって――


「いってぇ!」


 かまれた。

 皮膚通り越して、肉を抉るほどに深く。

 吐き出された指は、唾液ではなく血がしたたっていた。ポトリポトリと、コンクリートに赤いシミを作る。


「はい、じゃあその本の表紙に血判を押して。そして叫ぶの。我は全なる叡智を修めんとする者なりって」


「……え、なんだって」


「急いで、もう時間ないから!」


 血相を変えて怒声を浴びせてくる幼女キャロル。その迫力に気圧されつつ、俺は魔導書を胸の前に構えた。


 改めて、しげしげと表紙を眺める。なんとなく右開きで持ってみたが、これであっているのだろうか。


 血判を押して、キャロルの発した文言をリピートする。それだけで、契約は完了するらしい。

 しかし――


 ここにきて、俺は迷っていた。

 冷静に考えると、これでいいのかという不安が頭をもたげてくる。


 赤髪女は今も止まったまま。このまま逃げ出すことだって、不可能ではないはず。

 そもそも、これだけの芸当ができる奴が他に対策がないなんて。そう考えると、キャロルは怪しい。


 こいつはもともと俺にこの魔導書を渡しにきたと言っていた。その理由は、今も明らかになっていない。

 なぜ自分で使わないのか。どうしてもそこに裏があるように感じる。ノリと勢いだけで決めるのは危険だ。


 でも魔導書というのは、それだけで魅力的なもので――


「どうしたの、エーシュン?」


「…………ふぅ。強制なんて、生易しいレベルの魔術じゃないわね、これ。アンタ、今何したの?」


 そうこうしているうちに、赤髪女が動き出してしまった。時間稼ぎというのは本当だったらしい。

 少し身じろぎをすると、奴はキャロルのことをきつく睨む。


 片や、ロリ魔術師はどこまでも涼しげだ。


「さぁ、どうでしょ~。自分の魔術の種明かしをする魔術師がいると思う?」


「ムカつくわね、そんなちっちゃいくせして」


「人は見かけで判断しちゃいけないって、師匠センセイに習わなかった?」


「くっ、減らず口を」


 悔しそうに吐き捨てて、赤髪女は一気に距離を取った。とても常人から考えられない跳躍力だ。


「とにかく、もうこれ以上手加減してらんないわね。見せてあげるわ、火炎の神髄を」


「あの、なんかとんでもなくヤバそうなこと言ってんですけど」


「うーん、大技繰り出すつもりっぽい。やっぱり若いねぇ。頭に血が上っちゃってる」


「のんきに言ってる場合か!」


「だって、あとはエーシュン次第だから」


 意味ありげに、キャロルはこちらを見上げてくる。何かを見透かしているような笑み。俺は初めて、この幼女に対して畏れを感じた。


 赤髪女の方から、低くくぐもった声が聞こえてくる。お経のようなそれは、奴が魔術師であることからすれば、何かの詠唱かもしれない。


「なにもしないっていうなら、死ぬだけ。二人とも、ね」


「くそ、ホント性質が悪い……いいよ、乗ってやる。なんでもやるって言ったしな」


 キャロルの企みがどうであれ、やらなければここで終わり。初めから、選択の余地なんてなかった。

 それに、俺自身、『開闢の魔導書』にはとても興味がある。こんな何者でもない自分が、魔術を――魔術師の真似事をできるなんて。


 だから決して、これは消極的な決断じゃない。


「我は全能なる叡智を修めんとする者なり――」


 勢いよく魔導書の表紙に親指を押し付けた。血が広がって、純白に穢れが広がっていく。


 途端、『開闢の魔導書』が光り輝いた。あっという間に、俺の手の中からまばゆい光が辺り一帯を包み込む。


 ずっと聞こえていた赤髪女の声も止んだ。


「これは、いったい―――」


「逆転の一手だよ!」


 自分を奮い立たせるように叫んで、俺は魔導書の表紙を捲った。


「…………って、おい! 真っ白だぞ、この本!」


「大丈夫、どこかにここを切り抜けるための魔術が書いてあるはずだから」


「そんな曖昧な!」


 言いながらも、決死に俺はページを手繰り続けた。

 事ここに至れば、もはや信頼できるのはこの魔導書しかない。キャロルの言葉に従うのは癪だけど。


「まったく、ビビらせないでよね。我が一族が紡いできた主命を捧げる。炎神よ、一切を滅却せし、絶対の火炎をここに」


「ヤバいヤバいヤバい! 早くなんとかしないと――」

 

 その時、ようやく俺は文字列を見つけた。真っ白い紙の上に、謎の文字が横一列に並んでいる。

 見たことのない文字のはずなのに、その読み方が頭の中に浮かんできた。


 もうなりふり構っていられない。

 俺は、投げやりにその言葉を口にした。


「ロストモウチヴ!」


 瞬間、今度は魔導書から黒い光が飛び出した。その反動か、魔導書は小刻みに震え続ける。

 光は赤髪女のもとへ一直線に走り、たちまちにその全身を覆っていく。


 俺は魔導書を落とさないようにしっかり持ちながら、その光景を歯を食いしばって見つめていた。

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