第19話 King of the Roads

 三重県方面にバイクを走らせる。

 勤務先の名張市に向かう……伊賀市に帰る訳じゃないから、違う道を走りたい……バイク乗りの典型的な思考。


 ……どこかに行きたいんじゃ無くて、どこを走るか……楽しい道を走りたい。


『あっ、そうだ……』月ヶ瀬から名張に抜けれた筈。

 まだ、梅林の時期には早いから観光客も少ない。

 気楽に走れそう……南山城の交差点を右折して、月ヶ瀬に向かう。


 信号のほぼ無い、くねくね道を走る……


 ……楽しい……


 カーブの度に前より、ホンの少しだけスロットルを開ける……無茶はしない……ホンの少し……

 細いタイヤと軽い車体は、俺の入力でペタりと倒れてくれる。

 だからGBはカーブが待ち遠しい。

 両手の力を抜く。

 両足はやんわりとタンクを挟む。

 背筋で自身の身体を支える。両手で突っ張って身体を支えてはイケない……GBのセルフステアの邪魔になるからだ。


 バイクは、自身で曲がってくれる……

 バイクは、傾いたら曲がる……

 俺は、それを邪魔しない……

 お互いの協力関係で成り立つバイクの運転……

 車とは違う……主従関係ではない……


 バイクの気持ちを無視すれば、バイクに裏切られても仕方無い……コイツとは対等なんだ……


 月ヶ瀬の湖畔を横目に観ながら走る。

 梅の時期はまだまだ……少し寒々しい景色……


 スピードには気を付ける……冬の路面状況では尚更……そんな僕をリッターSSが軽々と抜く……リアタイヤの上のナンバーは大阪だった。


『ブラインドコーナーに、そのスピードで突っ込むのはダメな経営管理手法だな……』とぶち抜かれたSSへの苛立ちを心の中で仕事の用語で反撃する……俺の長所はリスクマネジメントだからだ……

 そのカーブの先に何が待ち構えて居るのか……

 それを考えずにコーナーに飛び込む……安全マージンが取れ無いまま、もしかしたら存在する前方の障害と対面する……避けれない……少なくとも俺の運転技術では……


 SSに続いてコーナーに入る……障害物も路面の状況も快適……SSは既に次のコーナーに入り、俺との距離を拡げている……

『俺はこれから仕事なんだよ……無茶な運転はしない』再度、俺は自分に言い聞かせる。

 そんな俺の思いを知ってか知らずか、SSは結構なスピードで俺の視界から消えた……もしかしたら超絶テクのライダーなのかも知れない……俺はそう思い直して安全運転で名阪国道の高架下付近までもう少しの所……


 突然「ギャシャー」という音……

 その後「ザザザザーーーー」という重い物体が滑る音……

 それに混じる……小さな「ゴッ……」という短い打撃音……嫌な予感……いや、今までの前提条件から判っている……予感ではない。

 見る前からおおよその想像はつく。


 ……減速する……

 ……コーナーを抜ける……ここはカーブの途中で左折がある、こっちは伊賀市方面……しかし大阪に帰るなら左折せずにそのままコーナーをクリアして五月橋で名阪国道に合流だ……


 ……カーブの外側、ガードレールの下に食い込む様にバイクが挟まっている。


 ……左折かコーナークリアかで迷ったのだろうか?


 ……いや、違う……路面のアスファルトが一部剥がれて砂利が出ている……これか……砂利が周囲にばら蒔かれている。

 SSはそこを走って滑ったらしい……

 剥がれた場所は丁度バイクのコーナーの一番良いラインだった……

 スピードがあともう少し遅かったら、ラインの修正も出来たかもしれない。

 俺はアスファルトの穴を避けて、コーナー外周、ガードレールの脇にバイクを停める。

 どうして良いか判らないまま、ヘルメットを脱いで近付く。

 ……道路端に横たわる人……

 ……革ツナギの背中に残る擦過跡……

 ……胸が上下しているのを見て少し安心する……

 ゆっくりとヘルメットがこっちを向く、ミラーシールドだから顔は見えないが、俺を見ている……意識も在る……

 俺は彼の元に片膝を付いて

「大丈夫ですか?痛い所は無いですか?」と訊いた。

「ッ……クソが!!」ミラーシールドを弾きあげて……彼は精一杯の悪態……そこそこ若い、俺よりも……

「もう一度訊きますが、痛い所は無いですか?」年下だが敬語で再度優しく訊く。

「クソッ、何だよ!この道!」また俺の質問に答えない……

 俺は直ぐにコイツの相手が面倒臭くなってきた。

「あなた、自分で立てますか?」俺は催促する。

「何だよ!五月蝿いな!」助けてあげようとしている俺を邪魔者扱いするこの男に嫌気がさす。

 だが、俺の言葉をようやく理解したのか、彼は身体をくの字にして起きようとする……が……

「!!!何だ……俺の脚……動かない……」悲鳴の様な彼の囁き……

「脚が動かねぇ!動かねぇ!どうなってんだよ!」今度は渓谷中に轟く怒声……

 良く見れば、格好の良さだけを追求したけ彼の革ツナギにはプロテクターが付いていない……そのまま路面に激突したんだ。

「携帯で救急車呼びますね、安静にしてください」俺は彼に言うと携帯をポケットから引っ張り出し、『119』に掛け、相手に救急である事と、現場の住所、目印を伝える……俺の名前を訊かれたので答える……

 そして「救急車が現地に到着するまで現場で待っていて欲しい」と言われる。

 ……あぁ、これは出勤に間に合わない……

『119』との電話を終えるや否や、俺は店に電話を掛ける。

「お電話ありがとうございます。レンタルビデオショップ○○名張店です」と事務所内の声からは1オクターブ上げたタマちゃんの接客モードの挨拶。

「おやようございます○○です」

「なんや、店長か……気合い入れて損したわ」あからさまなテンション⤵️。

「あの~、一寸事故で出勤遅れます……」僕はタマちゃんに伝える。

「どしたん?オカマ掘られた?」タマちゃん興味津々。

「ちがいます……僕の前でバイク事故が起きて救急車来るまで現場に居ないと、怪我人の容体が悪化したら大変ですから……」僕はタマちゃんに言う。

「あら、そりゃ大変……大丈夫だよ今日は欠員も居ないし、夕方までに出勤してくれたら問題なし」タマちゃんはこういう時は頼りになる。女性だけど男気があるんだ。

「すみません、なるだけ早く出勤します」そういい僕は電話を切った。

 俺が電話を切った後も、彼は自身の脚が動かない事の不満を喚き続けた……それは救急車が来るまで続いた……そして途中から、「お前がチンタラ前を走っているから悪いんだ……」とか「お前がさっさと走っていたら、お前が先に事故って……」とか俺への罵詈雑言が続く……その最中に救急車がやって来た……それでも悪口は収まらず、救急救命士に「安静にしてください」と押さえ付けられ担架に載せられていた……救急車内でも叫んでいたが、観音開きの後部ドアを閉めたらあまり聞こえなくなって助かった。

 暫くしたら警察の車が走って来て路肩に駐車した。

 中から警察官が出てきて、簡単な挨拶の後、俺の名前と住所、電話番号を訊いてきた。

 俺は質問に答え、状況も話した。

 入れ替わりで救命士がこちらにやって来て俺を慰める。

「彼の為に今まで有り難う……彼は脚が麻痺した事でかなり動揺してたんやわ、そやから君にあんな悪口を……」

「えぇ、構わないですよ……気にしていません」俺は嘘をついた。

『気にしているさ』大いに……けど仕方無い。

「彼は大丈夫なんでしょうか?」俺は救命士に尋ねる。

「さぁ、君は気にしなくて良いよ、後は我々の仕事やから……」と救命士は返答を濁す。

 その後「お時間取って有り難う」と言い……救命士は救急車に戻り発車した。


 …… 

 

 俺はもう離れても良い……んだが……

 ガードレールに挟まったバイクをみる……

 この子も、もうすぐしたら、レッカーで運ばれる……

 カウル擦れ、割れ、散らばっている……

 片方のミラーは道路端に転がっている……

 メーターケースも割れて、セパレートのハンドルも歪んでしまっている……道路に撒かれた多くの残骸は、遅れてきた駐在所の警察官が拾って道脇の邪魔にならない所にまとめて置いている。

 それも暫くしたら終わり、警官は道路を一回り見て、落下物が無いのを確認したら、俺に向かって大きく会釈をし、パトカーを走らせ、駐在所に戻って行った。

 可哀想なSS:スーパースポーツはサラブレッドだ、俺のGBの様に日常で生活と共に走るバイクじゃない。

 サーキットで本領を発揮する……逆に言えば、日常ではその性能を持て余すバイク。

 速く走る事に特化したバイク。

 GBみたいに、時速40km~80kmが一番楽しいバイクじゃない。

 速度は出せば出す程、楽しいのだろう……

 彼はその誘惑に負けて道路で限界を超えた……彼自身の制御可能な限界を……

 俺より若い彼にSSのスピードは麻薬だったんだ。


 俺はGBのセルを押す。

「ドッ……ストトトッ……」容易にエンジンは始動してGBは俺が操縦するのを待っていてくれる。

 ヘルメットを被り……跨がる。

 ギアを1に入れる……小さなショックと共にエンジンとミッションが繋がる。

 左手を緩めてクラッチを繋ぐ……ジリリと車体が前進しだす……ウインカーを右に出して俺は発車する。


 名張への道をやんわりと走りながら想う。


 彼はこのまま治らないのだろうか?

 脚は麻痺したままなのだろうか?

 彼は麻痺した自分を受け入れられるだろうか?


 人生は一度きりだ……だから自分のやりたい事や夢に向かってチャレンジしたい……彼も自分の欲求に忠実にバイクで走り、そして事故った……彼が自身の欲求を満たす為に公道でプロテクター無しに、オーバースピードで走った事は誉められないが、サーキットでも大なり小なり同様の事は起きる。


 彼の人生は今、恐ろしい程のターニングポイントを迎えている。


 名前も知らない彼……もう会う事も無いだろう。


 俺に罵詈雑言を浴びせた彼のこれからを想い、そして自分が事故なく走れている幸運を噛み締める。


 制御不能なエリアに自分から入らない。

 俺の未来も、GBの未来も、喪う事は堪えられない。

 彼の事故を見て、俺はブラインドコーナーを慎重に走らざるをえない。

 公道は危険だらけだ……

 飛ばすなら生死の覚悟しないといけない……と俺は思う。


……少し前に観たDVDの内容を思い出す……


 マン島ツーリストトロフィーという公道レースが在る。

イギリスの属国マン島で行われる年功行事の様なレース。

 公道を馬鹿みたいなスピードで走る、毎年死亡者が出るレース……


 彼はそのレースの最高速の半分にも満たないスピードだったけど……あんな事になった。

 そりゃ、時速40kmで転けても運が悪ければ死ぬ。

 そして、時速300km付近で転けても生きてる事もある。

 理不尽……そう言うものだ、人生は理不尽。

 悪人でも長生きし、善人が早死にする……そんな事も多々ある。

 ヒロユキから、「お前は達観しているというか、老成しているよな……」と言われた事がある。

 そうかも知れない……

 努力しても善行を積んでも報われるとは限らない……

 ……ただ、しなければ可能性は『0ゼロ』だ。


 マン島TTの選手も可能性を少しでも上げる為に練習し、恐ろしい覚悟で走っていた。

 気楽な口調でインタビューに応じていたが、走行中の姿勢や身体の移動、ヘルメットの動きから……恐ろしい程の集中力を感じる……正に生き死にが掛かっている……

 サーキットの様にカーブで膨らんだ際のランオフエリアや速度を減速するグラベル等の設備が無い公道レースは、少しでもラインを外したら家の石垣や……鉄柵、そして後続車両にぶち当たる……ありとあらゆる障害物に身体を破壊される……落車はほぼ『死』だ……


 俺は想う……マン島TTのヒーロー……彼はレースで友人を亡くしても、弟を亡くしても……自身が公道レースで命を落とすまで……ロートルと揶揄される歳になっても走り続けた……それは覚悟だ……後悔しない唯一の方法……自分で決断して覚悟する……選択を他人に委ねない……


 彼はあの時覚悟して走ったか?

 俺はこれから覚悟して走れるか?

 自問自答する。

 俺のバイクはレースじゃない……もっと日常に在る。

 コンビニに行く、会社に行く、一寸近くの道の駅まで半日ツーリング……そんな細やかな喜び。


 それでも、覚悟するんだ……少なくとも他人のせいにはしない様に……

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