第17話 laid-back
「意味不明な事言うんじゃねえよ」とヒロユキ。
ヒロユキを無視して俺は質問。
「おいソイツ、前に会った時から変わっているな……」俺は目敏くSRのフロントを見る……ドラムがディスクに変わっていた。
「なんだよ、ドラムが良いんじゃ無かったのかよ……」俺は苦笑……わざわざ、ドラムブレーキ仕様のSR400を買ったのに、結局ディスクブレーキに変更するなんて……
「……いやー、やっぱ、ディスクだわ、まぁ、ドラムもよく効くんだけどな……」ヒロユキは俺の呆れ顔をスルー……
ここで一寸余談……
SR400は1978年に発売されたオフロードバイクのエンジン資産を活用したオールドルックなバイクだ。
永きに渡り生産された為、数回のモデルチェンジを行っている、ヒロユキのSR400はその中でも一寸変わった変更があった1985年のマイナーチェンジだ。
その変わった変更とはフロントブレーキがディスク式からドラム式へと退行した点だった。
ブレーキの歴史全容を俺は知らないが、少なくとも、ドラム式とディスク式のどちらが先進的であるかは知っている。
先ず、ドラム式があり、ブレーキの進化の過程でディスク式が開発され、今はフロントブレーキに関してはディスク式が基本だ。
但し、現在でもドラム式は一部の四輪やバイクのリアブレーキに使用されている。
ドラム式は制動面でディスク式に劣っているわけではない、どちらかと言えばブレーキシューがドラム全体に押し付けられる為、ブレーキパッド一部分で摩擦力を発生させるディスク式より制動力は優れている。(だから、ディスク式でも高性能なブレーキはパッドが尋常でなく大きいものが装着されている、スポーツカー等のブレーキ部分を見れば判る筈……)
では、『制動力の強力なドラム式で良いじゃん!』と言いたい所だが、そうはいかない理由がある。
それは『ブレーキの冷却』だ……ブレーキは冷やさないとイケない、というか……ブレーキを使用すると摩擦で暖かいどころか、触れない位に高温になる、この熱がブレーキの性能に悪影響を及ぼす重大な問題。
ドラム式は構造上外気に晒されていない為、熱を溜めやすい……するとブレーキ性能を低下させる『フェード現象』が起き易い。
その現象はブレーキ内部が摩擦により高温となり、摩擦力を発揮できず、運転手がブレーキペダルを踏んでいるのにブレーキの効きが悪くなる、或いは効かなくなる、という現象だ。
「長い下り坂ではエンジンブレーキを使ってください」なんて言葉を聞いた事はないだろうか?
これは、ブレーキを継続的に踏み続ける下り坂で『フェード現象』が起きてしまうことを防ぐ為に言われていた事だ。
これに対してディスク式は構造上、常に外気に晒されて、走行風で冷やされ続ける。
上記で言った『フェード現象』はドラム式と比較して起きにくい……しかしあくまで起きにくいのであって絶対起きない訳じゃない。
そんな感じ……余談は終わる……
ヒロユキのSRはノスタルジックなstyleを創る為に敢えてドラム式ブレーキを採用した……当初はディスク式ブレーキを装備していたのに……だがそれが良い。
laid-backという音楽用語があるけど……俺はヒロユキのSRにソイツを感じていた。
敢えて譜面通りに演奏せず、少しゆったり、緩める、それが良い。それが粋。
『それなのに、ディスクにしやがって』俺は口に出さないが、ヒロユキのSRからlaid-backが減ったと感じた……だが、他人のカスタムにクレームをいれるなんて一番してはイケない事……俺はヒロユキの意見を聞く。
「最近、バイクで遠出する事が多くなって、泊まったりするんだ、1日目は晴天でも、翌日は雨なんて事も多い……」ヒロユキは頭を掻いて言う。
ヒロユキの意図が分かった。
シングルシートを外してダブルのシートに変更しているのもその為か?人を乗せる為じゃない……荷物を載せる為。
「雨の日のドラムブレーキはやっぱり慣れなくてな……」予想通りのヒロユキの言葉。
ドラムブレーキは内部のブレーキシューが濡れていると、遊びがなくガツンと効いてしまい、ブレーキレバーの操作に非常にナーバスになってしまうのが難点だった。
ディスクブレーキなら雨でも比較的リニアに制動力が立ち上がるので操作にストレスが無い。
「遠出って何処まで行ってるんだ?」俺は訊く。
「四国……」とヒロユキ……
「???うどんか……」予想外の返答に俺は自分が考えうる唯一の目的を答える。
「いや、霊場巡り……」ヒロユキが小声で……
「……へっ、何て?れいじょうって何だ??」
「いや、だから、四国八十八ヶ所霊場巡り……」更に小さいヒロユキの声……ヒロユキの言葉を漢字に変換するのに時間が掛かる。
「お遍路さん……」俺は漸く理解した。
「お前……幾つよ……」俺は可笑しくなる……判ってるヒロユキは俺と同い年だ……
「うるせーよ、良いんだよ、SRは寺にも合うんだよ」ヒロユキの反論だが、『そりゃSRは合うだろうよ……俺はお前と寺巡りが似合って無いって思うんだよ』と俺の心の声。
「……laid-backした良い趣味だな」俺は思わず感想を述べる。
「レイド……何だって?」とヒロユキ。
「すまん、渋い良い趣味だなって事だよ」俺は訂正する。
「そうか!まぁ、ついでに一眼レフも」サドルバッグからゴソゴソ……
「うわっ!!ライカかよ……」俺は仰天……
これは!……
豚に真珠……
猫に小判……
馬の耳に念仏……
犬に論語 ……
馬子にも衣装……
最後は一寸違うか……
「……んっ??ライカ??なんだそれ?まぁ、じいさんが持っててよ、貸してもらってんだ……」屈託の無いヒロユキ……
『そのカメラを売ればSRが新車で2台、下手すりゃ3台は買えるぞ』俺は相変わらず口には出さず思うだけ。
「大事にしろよ、ライカ……」万が一でも盗られたらおじいさん泣くだろう。
「ライカって言うのかこのカメラ……使い難いんだよ……ニコンが欲しかったよ」ヒロユキは続ける
「ライカなんて、犬しか知らないぜ……」
「カメラのライカは知らなくても、宇宙を飛行したライカ犬は知っているんだ……」俺は少し驚く……
ライカ犬……
片道切符の宇宙旅行へ強制連行された従順なワンコ……真空の宇宙で微かな酸素を貯めた狭いカプセルに独りぼっち……そしてロケットから断熱材が外れた為、カプセルが高温になり、ライカは身動きとれない狭い空間で、熱さから逃れる事も出来ずゆっくりと死んだ……人類の偉大なる宇宙進出の礎、否、贄として……
「ひどい話だよな……よく子供の頃、『自分の嫌な事は相手にもしちゃダメ!』なんて言われたもんだが、いい年の大人が実行してるじゃん,
ワンコに……」ヒロユキは口を歪に上げて言う。
……そうだ、人間じゃ無かったらしても良いという暗黙の了解……本当はそんな事は無い……命を奪う行為はどちらも同じ……ヒロユキとはバイクでしか繋がっていなかった、だからこんな考えを持っているなんて考えてもいなかった。
……ヒロユキ、他者の事を自分の事の様に考えられるお前はエライよ……
……人間の賢さとは……何だろう?IQ・偏差値・計算能力・etc そんなもので計れるのか?
カメラのライカを知らなくても、言葉も知らなくても、他者の痛みを感じられる人間こそが賢い……出世の為に他人を病気にさせる人間に賢さなど無い……ズル賢さなら在るかもしれないが……俺の頭に会社の上司が浮かぶ……
嫌だ嫌だ……仕事前に思い出すなんて……
……。。。……
「おい、昼飯食おうぜ」ヒロユキが俺の肩を叩く。
「……おう!俺、3時から仕事だから……」俺は頭を振り返事する。
「判ってる、俺も夜勤だから少し寝たいし、南山城まで戻ろうぜ」俺は頷く。
俺達は互いのバイクに跨がり少しの距離をツインで走る。
信号が無い快適な川沿いの道を二人で走り道脇の定食屋に辿り着く。
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