種を播く

常盤木雀

種を播く


 腹膜播種という言葉を知った。

 お腹の中に腫瘍の細胞が散在する病気。種を播くように、腫瘍細胞が広がっていく。

 この言葉を知った日から、私の世界は変わってしまった。



 まず、私のお腹に種が播かれた。

 腹膜播種の想像から、私のお腹の中にニンジンの細かい種が播かれた。お腹は痛くない。


 一週間後、種から芽が出た。

 小さな芽は、もちろん私には見えない。お腹の中にあるのだから。けれども、芽が出たことは分かった。そう感じたのだから、きっと芽が出たのだ。

 まだ芽が出ていない種も、たくさんある。


 三週間後、おへその上あたりから、葉が現れた。

 切り紙細工のような、繊細な葉だった。軽く指で摘まむと、ニンジンのようなハーブのような香りがする。


 一か月後、友人のお腹にもニンジンの葉が生えた。

 友人はニンジンが嫌いで、今まで食べてもいないと言う。

 私が、私のお腹に種が播かれたことを伝えると、友人は、それが感染したのだろうと溜息を吐いた。お腹の中にあるものが、どうやって感染するというのか。私のお腹から生えた葉はまだ若々しく、種をつくる様子もない。


 一か月半後、私はお腹から出た葉の先端を、少しちぎってスープに浮かべた。

 風味は、普通のニンジンの葉と変わらなかった。柔らかくて、良い香りだった。


 二か月後、職場の人たちのお腹にもニンジンが生えていることを知った。

 どうやら、ひと月前くらいから生え始めたらしい。皆、恥ずかしさから人に言えなかったようだ。一人が公開すると、実は自分も、と皆が口々に同意し出した。私もこっそりそこに加わった。

 その夜、友人に電話をすると、友人の職場でも数日前に話題になったと告げられた。

 友人は、お腹から生えた葉はすぐにむしり取り、存在をなかったことにしているらしい。「だから私から伝染したわけじゃないのに」と、友人は声を落とした。


 三か月後、同窓会に出席すると、お腹から生える葉の話で盛り上がった。

 皆、友人と同じくらいのタイミングで生えだしたようで、決まってニンジンだそうだ。私がスープで食べた話をすると、せっかくだからニンジンを食べたいと言い出す人がいた。育てたらニンジンができるのだろうか。



 ニンジンの葉が生える現象は、話を聞く限り、最初は私に起きているらしい。

 心当たりは、腹膜播種を想像したことだけ。

 試しに他の人に腹膜播種の話をしてみたところ、そんな言葉は知らないという人ばかりで、皆がそれを原因にこの現象が起きているわけではなさそうだった。



 半年後、葉が生える現象がニュースになった。

 多くの人に葉が生えるようになり、それを公にする人も出て、研究が始まったのだ。声の大きい人に現象が起きたため、広く知られるようになった。

 協力者の元に研究が進められ、私の感覚は間違っていなかったと知るところになった。腹腔鏡で見ると、お腹の中にたくさんの種が播かれていたという。その協力者はその場で種を取り除いたようだ。


 手術をした人に、葉が生えた。

 数週間前に手術をしたときには、お腹の中には臓器しかなかったらしい。しかし、葉が生え、再度お腹の中を確認すると、中には種が播かれていた。

 この報告は、ニュースでも新聞でも大々的に取り上げられた。



 研究の結果、種は自発的に移動していると結論付けられた。

 たくさんの種は、それぞれが自分の生きやすいように移動している。数の多いところから少ないところへ。拡散していると言える。

 私は疑問に思ってお腹に感覚を集中させた。

 ――論文は正しい。

 私のお腹の中の種は、減っているように思えた。


 しばらくして、初期に腹腔鏡で種を確認した人が、お腹の中の種の数が減っていたと報告された。きちんと継続的に検査をしていたようだ。



 私は、私の想像からこの現象が始まったかもしれないとは言い出せずにいる。申し出たところで、まともに取り合ってくれる人がいるとも思えないが。

 けれども、この現象が拡散であるのなら。

 きっと、一人に一個の種まで分散したところで、この現象は収束するだろう。

 そのあと、この葉が枯れるのか、ニンジンができるのか、新たな種を作るのかは分からない。しかし私は、悪いものではないように思っている。

 本物の腹膜播種より、こっちの種の方が絶対に良い。お腹も痛くないし、具合も悪くなく、おいしいニンジンの葉スープも食べられるのだから。


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