第60話 導き出すべき答え

 隆之がまぶたを開き、霞が掛かった視野で辺りを見回すと、其処そこには居るはずのない女性が目の前に存在していた。


「エリーナ……」


 目の前の女性が自分の愛する妻に重なり、彼は弱々しくも声を掛ける。


「久方ぶりに会うに対して、他の女の名前を呼ぶとはそなたも大概であるな」


 目の前に存在する女性は琥珀色の瞳を細め、少しだけ不快感を露にする。銀色の髪を肩で揃え、照り映える様な褐色の肌の女性は紅き唇から美しき声を更にさえずる。隆之も良く知るその女性は北を治める魔人である【暴虐ベアトリス】だった。


「そなたが無事で何よりであった。三日間も意識が無かったのだぞ、そなたは……の【蘇生魔法】もさしたる効果も無かったゆえ、そなたには悪いとは思ったが、そなたの【顕在けんざい魔力】を強引に引き出させて貰った」


 寝台の横に置かれた椅子に座ったベアトリスが直ぐ傍に置かれた銅製の洗面器から白い布を取り出し、軽く絞ってから彼の頭に乗せる。熱で火照った身体に冷水が心地良く隆之には感じ取れた。


「ベアトリス様……何故、貴方様が此処ここにおられるのですか……」


 隆之の質問にベアトリスが彼から視線を外し、窓の外の風景を眺めながら答えだす。


「正直に申せば、私にも分からない……何故なぜか、貴方の身に何かが起きたと胸騒ぎを感じた。だから、貴方の居る所に行きたいと強く願ったら、此処ここに居たとしか言いようが無い。【転移魔法】なんて、【明星のスルド】様とその分身にしか使えないはずなのに……」


 尊大では無いベアトリスの口調に隆之は軽い困惑を覚えるも、黙って彼女の言葉に耳を傾けることにする。


「今頃、【アスディアナ】では大騒ぎになっているかも知らないが、別に気にする程のことでは無いでしょう。此処ここに来た時、貴方は本当に危険な状態だったの。私に出来ることは貴方に貰った力を貴方に返すだけだったから……」


 ベアトリスが右の手首を左手でゆっくりとなぞる。その手首には包帯が巻かれ、紅い染みがにじんでいた。


「ベアトリス……君はまさか、自分の血を俺に浴びせたのか……【爵二位淑妃】である君が自らの血を【魔王ビス美酒ケス】である俺に浴びせることがどういう事なのか理解しているのか?」


 隆之の声には震えが混じっていた。

魔王ビス美酒ケス】は高位の魔人の血を浴びれば、浴びる程【顕在けんざい魔力】の高まる存在の為、高位の魔人が魔王の美酒に自らの血を浴びせるのは禁忌とされている。


「ええ……理解している。これで、私も母と同じ裏切り者になっただけ。貴方の言葉に一つだけ間違いがあるから訂正させて貰うけど、私は【爵二位淑妃】では無いの……私は【爵一位王妃ベアトリス】……我が君である貴方に全てを捧げるただの半人半魔に過ぎない……」


 隆之とベアトリスは無言で見つめ合い、軽く息を吐いたベアトリスがゆっくりと椅子から立ち上がり、隆之に別れの挨拶を告げる。


「さて、戯言は此処ここまでとして、予は【アスディアナ】へと戻ることにする。此処ここに予が居たことは他の誰にも気付かれておらぬ。屋敷の者は既に予の魔法によって、偽りの記憶を与えておるし、魔人達はこんな所に【暴虐ベアトリス】が居るとは想像すらせぬゆえ、そなたは案ずることは無い。今はゆっくりと養生し、そなたの答えを出すが良いぞ」


 その言葉を最後にベアトリスは虚空へと消えていった。残された隆之は自分の中で感じる胎動を少しだけ開放する。ほんの少しだけの筈なのに、今までとは比べ物にならない奔流が一瞬にして彼の疲労や体の傷を洗い流していく。

 今まで噛み合うことの無かった歯車が四年以上の時を掛けて漸く廻りだした瞬間だった。

 隆之が嗚咽と共に吐き出す言葉は意味を為さず、部屋の中で一人の男が唯々ただただ、号泣していた。

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