第55話 奴隷市

 隆之は執事を連れて市場に訪れていた。


「旦那様、本日の奴隷市には御参加なされるのですか?」


 市場に来ても何も買物をしない隆之に執事が声を掛けて来る。彼は隆之がこの地に訪れた際に買った最初の奴隷だった。

 スフィーリアに連れて来られた隆之は多くの人々が奴隷に身を堕とし、虐げられていることに我慢がならなかった。

 隆之にもこのことが偽善に過ぎないことは分かっていたが、何もしない善よりは何かをする偽善の方が彼の心に安息を与えてくれるのも事実だった。


「ああ……そうするつもりだ」


 隆之は歩みを止めること無く、執事に答える。

 老齢の執事は人込みの中で主人を見失うことの無き用に懸命に後を付いて来ていた。


僭越せんえつながら申し上げますと、これ以上の奴隷は必要ないのでは?」


 執事の言葉は真実だ。隆之の館の規模でこれ以上の奴隷を買う必要性は無く、多くの奴隷達に与える仕事すら無い有様だった。


「ジャスパーの言う通りだろうな。だが、これは俺の数少ない我侭わがままの一つだから、従ってくれ」


 隆之にジャスパーと呼ばれた執事はそれ以上は口を開くことを止め、黙って隆之の後に従った。

 広場に設けられた奴隷市では多くの見物客がいた。

 壇上では淫らな格好の女性進行役が奴隷の説明を行い、少しでも値を吊り上げようと創意工夫を凝らした趣向を披露している。

 全裸の上に手枷てかせめられた老若男女ろうにゃくなんにょの様々な奴隷達は虚ろな目で薄ら笑いを浮かべながら台の上で競り落とされていく。

 これが人間のごうと言うべきなのか。

 絶対的な強者の支配するこの街で絶対的弱者である人が更に弱い人を虐げている。

 人権思想の無い世界において、物権の客体として扱われる人は確かに存在すると言う現実が隆之の精神を蝕んでいった。


(『すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である……』※か。くそっ! どこがだよ!)


 隆之はいきどおりを覚えるも、目の前で年端も行かぬ少女が買われていく現実は変わらない。

 彼が広場の中心に急いで向かって行く内に彼を避けるようにして道が開いていく。


「タカユキ様だ……おいっ、道を開けろよ」


「魔人様だぞ……」


 見物人達は争って、隆之の為の道を開いていく。


(また買い占めるつもりかよ……下種げすが……)


(ちっ、だから何時いつもよりも時間を早めたって言うのによ)


 隆之の耳に見物人からの小さな罵倒が届くも、彼は一向に気にすること無く、足早に広場の中心へと向かう。


「おおっ! 本日、光栄にも【魔王ビス美酒ケス】様が御来場下さいました! しかし、誠に遺憾ながら残す品は私を含めて後僅あとわずかとなっておりまーす! タカユキさまぁ……どうか私を貴方様の女にして下さいませぇ……」


 彼の姿を目にした女性進行役が場を更に盛り上げる為に声を上げた。彼女は体をくねらせ、自らの胸部を抱き寄せながら隆之にしなを作る。彼女はこの街の支配者たる魔人の隆之に少しでも自分を売り込みたかっただけだったが、隆之はそんな彼女に冷たく言い放つ。


「黙れ……死にたいのか……」


 隆之を馬鹿にしたかのような口調の女性進行役は彼の静かな怒りを悟って口篭(くちごも)った。

 進行役の彼女も所詮しょせんは商品の一人であり、被害者なのだと言うことは隆之も理解していたが、彼にはどうしても感情が抑えられなかった。奴隷達の立つ台の真下に来た隆之は此処に居るはずの無い者と目を合わしたからだ。

 髪を全て剃られ、右頬に刺青いれずみを入れられ、手の甲に焼印を施された少年の姿を確認した隆之は後ろに控える執事のジャスパーに声を掛ける。


「ジャスパー……俺が自由に出来る金はいくらだ……」


 嗚咽を搾り出すかの様な声にジャスパーは主人の様子を訝しむも答える。彼の主人は壇上をじっと見つめて下唇を噛み、両のこぶしを強く握り締めて震えていた。


「館に戻りますれば、オーリン金貨で三十枚は御用意出来ます」


 主人の尋常ならざる様子に若干の振るえを混ぜながらのジャスパーの返答に対して、


「駄目だ……五百は用意しろ……シンクレア様に掛け合ってでも今直ぐに工面して来い……」


 隆之は彼に厳命を下した。

 飽くまでも静かに命じる主人にジャスパーは反論する事無く、ただ頭を下げてこの場を後にした。


(どいつも、こいつも、人の大切な者を踏みにじりやがって……思い出さえも俺から奪っていくのか!)


 隆之の静かで、それでいて狂いそうな程の怒りを意にも介さず、


「それではっ! 次の品はライオネル王国のヨルセンから連れて来たこの小汚い男の子です! 銀貨二十枚からのスタートとなります! それでは張り切ってどうぞ!」


 進行役が首の鎖を引いて、少年を壇上に連れ出した。


「おい、おい、ミィーシャちゃん。銀貨二十枚も払って、そんな糞ガキなんて買ってどうしろって言うんだよ!」


 見物人から罵声が上がり、誰も値を付けようとしない中で、


「金貨二百」


 隆之の一声がこの場を支配した。


※「世界人権宣言訳文より引用」

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