第10話 婚姻の祈り

 本日は月に一度のジゼルの街へ出かける日ではなかったが、我儘わがままを言って馬車を用意して貰い、ある手続きをする為に隆之とエリーナは街を目指していた。

 隆之はエリーナの手を引いて馬車に乗せてあげてから自らも乗り込む。

 月日が経つのも早いもので彼らの生活も一年が過ぎようとしている。隆之はスルドに無理矢理この世界に連れて来られた時にはこんな穏やかな生活を営むことが出来るとは思ってもいなかった。

魔王ビス美酒ケス】である彼を魔人達が血眼ちまなこで探しているはずなのだが、ライオネル王国に魔人が侵略してくることは滅多に無いらしい。

 この国に隣接する魔人の領主が仲間内で【怠惰】と呼ばれる程に人間領を侵略しないのが理由だそうだ。これは【カタール商会】のスティルが彼に教えてくれた情報だ。

 一方で、北国のモール王国側では魔人のすさまじい人間狩りの脅威にさらされていた。このヨルセンの村にも何組かの家族が北のモール王国から逃げて来ている。

 今日は朝から雪が散らついており、防寒の為に隆之は仕立てたばかりの服の上に毛皮のコートを着込んでいる。エリーナには先月に彼が買い与えた貴族の令嬢用にあつらえた服と装飾品を身に付けさせている。

 彼女は慣れない格好に気恥ずかしいのか、隆之が彼女を見つめる度に下を向いていた。

 先月、遂に隆之はエリーナに結婚を申し込んだ。この一年間、彼女の人柄に触れた隆之は心の底から彼女を愛していた。


 ──彼がその一大決心を実行した日──


 隆之はエリーナに彼女の為に誂えた服を渡し、着替えて貰った。

 エリーナが照れながらもその服に着替えてくれた後、彼は彼女の瞳を見つめ、真摯しんしに言葉をつむいでいった。


「エリーナ……私は貴方の事を愛しています……これからは主従では無く、伴侶はんりょとして私を支えてくれませんか……貴方に私の本当の名前を伝えます……毛利隆之が私の本当の名前です。貴方に受け取って欲しい……」


 声が震え、喉が渇く。隆之が彼女の事を愛し始めていたのは何時いつからだったかは本人にも分からない。彼の突然の言葉にエリーナが驚いているのが分かった。心臓の鼓動が頭に直接響いてくる。硬く握りしめた掌は汗で一杯だった。

 彼にとっては永遠に感じられるほどの沈黙の中で、エリーナがクスリと笑った。


「嘘吐き……今まで貴族では無いとおっしゃっていましたのに、家名をお持ちではないですか……」


「いや、俺の故郷では家名を持つのが当たり前で、貴族でも何でも無いんだよ」


 隆之が慌てて説明する。彼は身分違いを理由に断られるのだけは絶対に嫌だった。


「はい。承知しておりますよ、貴方が貴族でない事は……でも、本当に尊い御心をお持ちだということも知っています……モーリ・タカユキ様……」


 エリーナの最初にあった作り笑顔ではない、彼女の本当の笑顔が隆之はたまらなく好きだった。


「返事を聞かせて貰えないかな、エリーナ……そろそろ、脚が震えて限界なんだ……」


 隆之の申し出にエリーナが目を細めて、ゆっくりと答える。


「喜んでお受けします、タカユキ様……私を貴方様の妻にして下さい……」


 エリーナが満面の笑みで隆之のプロポーズを了承してくれた。

 彼はエリーナの返事を聞いた瞬間、絶叫して彼女に抱きつく。そして、二人は初めての口づけを交わした。

 ず、二人はエリーナの両親の墓前で報告を行い、隆之はエリーナの両親に彼女を必ず幸せにすると誓いを立てた。

 その後で村長のバルパスに結婚するむねを伝え、その夜にバルパスの呼び掛けに応えてくれた村人の皆に祝福されながら祝言しゅうげんを挙げた。

 隆之はそれほど強くない酒をしこたま飲まされた挙句あげくに村の男性陣に子供を含めて一発ずつ殴られたし、あの男の子ヴァンからは「誓いを忘れたら、おらがエリーナ姉ちゃんを救い出す!」と略奪愛宣言までされる始末だった。

 隆之が、


「お前ら祝う気ねえだろ!」


 と言ったところ、エリックが男性一同を代表して、


「当り前だ! 一年前にふらっと現れた馬の骨に村の大切な娘が奪われちまったんだからな! タカユキ、エリーナを不幸にしたら、俺たち全員が相手になってやる!」


 と、ドスの効いた声で返してきたので、隆之は黙って首を上下に振った。

 その後、村人全員が大笑いして楽しい時間は夜遅くまで続いた。

 街に到着した二人は【カタール商会】を先ず尋ね、番頭のスティルに結婚したことを報告する。


「それはおめでとうございます。私も心よりお祝い申し上げます」


 スティルは村の男共とは違って笑顔で祝福してくれた。


「これは神殿が出している家内安全の御守りですので、奥様、宜しければお受け取り下さい」


 スティルはエリーナに不可思議な文字の書かれた護符を手渡し、「お幸せに」と二人の門出を祝ってくれた。

 隆之とエリーナの二人はスティルにお礼を言った後、街の南に位置する神殿で結婚の手続きを行うことにしている。普通の村人はここまでしないが、村長に勧められて二人は神殿に報告することに決めた。


「タカユキ様、街の人たちは祝言を終えた後で神殿にまつられておられる女神スフィールド様に報告を行います。それが済んでから神官より祝福を受けて夫婦となるのが一般的ですね……」


 エリーナが説明してくれるが、


「エリーナ、【様】は付けない約束だろう」


「あっ、すみません……」


 いきなり、今まで様付で呼んでいた者を呼び捨てに出来るとは隆之も思っていない。だが、時間はあるのだからゆっくり時間を掛けて直していけば良い。

 これからはずっと、伴侶としてお互いを支えていくのだから……

 馬車が神殿に到着し、隆之とエリーナは手を繋いで中に入っていった。大人の男女が手を繋いで歩くことはこの世界では見られない。

 恥ずかしがっているエリーナだったが、雪の降る中で隆之の手の温もりが感じられて嬉しかった。

  神殿の中はおごそかな空気に包まれ、人々は神殿の奥の女神像に熱心に祈りを捧げている。

 しかし、その女神像を見た瞬間、隆之は身体を震わせた。寒さによるものではなく、心に刻まれた恐怖から来るものだった。


「スルド……」


 その女神の姿は彼をこの世界に招いた【爵一位明星のスルド】にとても良く似ていた。


「タカユキ、どうかされました?」


 聖堂にある彫像を見た途端とたんに黙ってしまった隆之をエリーナが心配そうにうかがう。


「いや、何でもないよ……早くお祈りを済ませて村に帰ろう……」


 明らかに顔を強張らせ、尋常ではない隆之の様子にエリーナはますます不安になってくる。つい先程まではあんなに嬉しそうにしていたのに、態度を急変させた彼の様子が彼女には不思議でならなかった。


(違う……あれはスルドじゃあない……あんな奴が神様としてまつられていると考えるなんて、俺がどうかしている……)


 エリーナに心配を掛けたくない隆之は彼女の手を取る。しかし、その握られた手は緊張により汗ばんでいた。

 エリーナは不審ふしんに思いながらも彼との「婚姻の祈り」を済ませ、早々に二人は聖堂を後にすることに決める。

 祈りを捧げ、神官からの二人の婚姻への祝福を受けた後に隆之が神官に質問する。


何分なにぶん、無学な者でお恥ずかしい限りなのですが、スフィールド様はどのような女神なのでしょうか? 出来ましたら、御教授願いたいのですが……」


 彼の質問に対して、神官は嫌な顔一つせずに衣装を正し、二人に説明を授けてくれる。


「神託の女神スフィールド様は魔人達の王の覚醒を促(うなが)す禍(わざわい)である【魔王まおう美酒びしゅ】がこの世界に現れた時に我ら人間を救いたまう【勇者】を授けてくれるお方です。大地の豊穣ほうじょうと時間をつかさどる女神でもあらせられますな。現在の【ライオネル】と【モール】の二王家も勇者をその祖とする王国であり、世界の危機を未然に防ぎ、我らを陰ながら見守ってくれる上級神の一柱いっちゅうです。お分かり頂けましたかな?」


 神官の説明にエリーナが感銘かんめいを受けたのに対して、隆之の顔色は悪いままだ。


(多分……スルドのことだ……)


「昨年、この【ライオネル】を含む全ての国の大神官長様に【魔王まおう美酒びしゅ】がもたらされたとの御神託がございましたが、それは同時に勇者の降臨こうりんも近いことと同義。ご案じなさますな。必ずやお二人に女神の祝福がございましょう……」


 神官の言葉に隆之とエリーナは感謝の言葉を述べてから、神殿に寄進をして村へと帰っていく。

 馬車の中で隆之は終始無言のままだった……

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