第8話 人として生きる

 あの勇敢な男の子ヴァンは村長のバルパスと一緒に自宅に帰っていった。

 三人はスティルに案内されて家の中に入り、彼から説明を受けた。現代日本の生活に慣れた隆之にとっては別段に驚く事は無くとも、エリーナにとっては目もくらむ思いだ。

 調理場に置いてある鉄や銅製の鍋は彼女にとってはお金のかたまりでしかなく、包丁も鋼鉄製で名のある武器職人に無理を言って作って貰った物らしい。

  食材も豊富で保存の効く根菜と豚二頭分の加工肉が貯蔵庫に置いてあった。肉などエリーナはここ何年も食べた記憶が無かった。

 何よりもエリーナを驚かせたのは塩が大きな入物いれもの一杯にあることだった。塩は非常に高価だ。

 ライオネル王国も他国の例に漏れず、塩は国の専売制であり、長引く戦争により貴族諸家きぞくしょけ以外の庶民に対しては元値の約七〇倍もの税金が掛かっている。

 砂糖がある事をスティルから説明された時、エリーナは自分の耳を疑った。そんな物は大貴族の邸宅で使用されるものであるからだ。

 主人の寝室には大きめのベッドに綿入りの敷物、羊毛を編み込んで作られた毛布、羽毛の掛物等は彼女が見た事も聞いた事も無い物であり、寝具と言えばわらが常識の彼女にとっては信じられない話だった。

 この村ヨルセンには山の中に滾々こんこんと温泉が湧いており、その温泉をといを使ってこの家の風呂と調理場まで引いている。滾々こんこんと湧き出す温泉は少し熱い位だが、すぐ近くの小川から水も同時に引いているので問題は無かった。

 更に室内の温度調節の為に石造りのといが床下を走っているとのことで、温泉と小川の水を調整出来るようになっており、夏は涼しく、冬は暖かくする事が出来るそうだ。切り替えは家の裏側で出来るらしい。

 エリーナにとってここは小さな王宮であり、御伽おとぎの国の世界の話に満ちている。

 家主である隆之は温泉があることに異常に興奮していただけで、後のことはエリーナに丸投げしていた。スティルの二人の住む新居に関しての説明はその後も長々と続いたが、


「食事に関しましてはオネット様より私共が用意致すようにとのことでしたので用意してございます。朝と夜に料理人を参らせますので、タカユキ様はお召し上がりになりたい物を御命令下さい。本日の分はこちらに用意してございますのでどうぞ御賞味下さい。それと、ヨルセンより外出される場合は馬車を用意するむねを料理人にお伝え頂けましたら翌日には御用意させて頂きます。では、これにて失礼をさせて頂きます」


「スティルさん、色々とお世話になりました」


 スティルはヴァンとの一件以来、隆之の口調に何も言わなくなった。その上、営業用の作り笑顔では無い本当の笑顔を隆之に向けてくれるようになっている。

 隆之の労いの言葉に軽い会釈を行った後で商会に戻っていった。


「じゃあ、エリーナ食事にしようか」


 突然の隆之の申し出に彼女はしどろもどろになりながらも懸命に主人と一緒に食事を取る訳にはいけないと断る。


「エリーナ、君は俺に何でも申し付けろって言ったでしょ。俺が君と一緒に食べたいの。一人だけの生活なら一人で食べるけど、折角せっかく二人いるのならば二人で食べよう」


 隆之はエリーナを誘い、食堂に二人で入った。

 そこには確かに二人分の食事が用意されてあったが、その内容に違いがあった。

 食堂には長方形の木製のテーブルが置かれ、クロスが敷いてある。椅子は来客の為に四脚用意してあった。

  テーブルの上に並んだ料理の一方は豚肉と野菜をソースで煮込んだ物、白米のご飯、卵と野菜を主体にしたスープ、葉物野菜のサラダ、柑橘類のデザート、更に飲料として果実酒とミルクがえてある。

 もう一方は堅そうな黒いパン二つに水がえてあるだけだった。

 隆之の為に用意された物がどちらであるかは疑問の余地すら無い。これは料理人の責任ではない。主人と使用人の食事が同じである方が可笑しいのだから。


「明日の食事は同じ物を二つ用意して貰う事にしよう。エリーナ、今日は二人でこの食事を分け合おう、仲良く半分ずつね」


「そんな、タカユキ様……困ります……」


 隆之の言動に驚かされてばかりのエリーナはこの主人のことが理解できなかった。


「俺がそうしたいんだ。君が遠慮することじゃあない……」


 彼は育ち盛りの若い娘に粗末な食事をさせておきながら、自分が豪勢な食事を共にする事は出来ない。

 確かにこの世界の常識に照らし合わせるならば、彼の提案は奇行に他ならない。だが、そんなことをしても彼の心が満たされない。

 少なくとも一緒に暮らし、一緒に食事をする以上は彼女に同じ食事を取らせなければ彼は納得しない。


「スティルさんの話が長かったから少し冷めてしまっているけど、十分に美味しいよ。エリーナ、さあ君も食べなさい……」


 中々椅子に座ろうとしない彼女を隆之は少しだけ強引に勧める。エリーナは諦めて椅子に座り、彼に促されるままに食事をしていく。

 それは彼女が今まで食べたどんな物よりも美味しくて、彼女は思わず泣いてしまいそうだった。

 食事を済ませた二人は新居の設備を今一度二人で確認し合い、午後を過ごした。

 現代日本と違って、照明の無いこの世界では日没後には寝ることになる。

 隆之は温泉で一日の疲れをいやした。この世界の洗髪剤で髪を洗い、香料入りの石鹸せっけんで身体を洗ったので身も心も爽快そうかいになった彼はエリーナにも入浴してくるよう命じた後で寝室に入る。

 寝室の暖炉のまきの燃え残りが微かに辺りを照らしている。毛布と羽毛の掛け布団が彼を暖かく包んでくれており、彼はウトウトとし始めていた。


(あの子は藁の上で寝るんだよな。こればかりは同じ寝台で寝る訳にもいかないしな。でも、女の子を床の上で眠らせて、自分はベッドで寝るのも寝覚めが悪い気もするなあ……まあ、今日は我慢して貰って明日何とかしよう……)


 隆之は眠り始めていたが、小さな物音がしたので彼はぼんやりとした意識で辺りを見回した。

 彼はエリーナが風呂から上がったのだろうと思い、再び眠りに就こうとしたのだが、彼女の次の行動によってはっきりと目が覚めた。

 エリーナが自分のベッドの中に入り、身を寄せて来たのだ。彼女は何も身に着けず、隆之の背中に抱きついてくる。小刻みに震えるその彼女の姿に隆之は怒りを覚えた。

 彼女に背を向けたまま彼は言った。


「エリーナ……これだけは言っておく。君の行動は君を護ろうと命を懸けたヴァンとそのヴァンに対して誓いを立てた俺に対する侮辱ぶじょくでしか無い。言い訳は聞かない。震えながら抱きついておいて、『抱いて欲しい』なんて言われても俺は絶対に信じない! 藁の上で寝ろとは言わないが、俺が君に手を付けることは絶対に無い!」


 薄暗い寝室で沈黙が続いた。エリーナが意を決したように隆之に質問を投げかける。


「タカユキ様……一つだけお教え下さい。何故なぜなのですか……」


 質問の内容は漠然ばくぜんとしていたが、彼には彼女の質問の意味が分っていた。だから、簡単に答えが出てくる。


「俺が嫌なんだ。君達を踏みにじり、もてあそぶのが……だって、まるで魔人みたいじゃあないか。俺は魔人じゃあ無い。同じ人間なんだから、きっと仲良く出来るし、分かり合える。そうだろう、エリーナ……」


 そう、彼は嫌だったのだ。彼を無理矢理この世界に連れてきて、彼の尊厳そんげんを踏みにじり、玩具おもちゃとして扱ったスルドのようになるのが……


「タカユキ様、ヴァンの事、本当にありがとうございました」


 エリーナの口調は優しかった。今まで隆之に対してどうしても恐れがあったのだろう。だが、今の言葉は彼女の本心からの彼への感謝の現れだった。

 彼女との距離が縮まった事で、急に隆之の心臓が早鐘はやがねを鳴らし始めた。

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