第7話 小さな勇者

(ここで、生きていかなければならないのか……)


 隆之が平屋の石造りの家を眺めていると、不意に後ろから声を掛けられた。


「タカユキ様であられますか?」


 隆之が振り返ると、恰幅かっぷくの良い中年の男が笑顔で話している。男はこの村には似つかわしくない綿入りの暖かそうな服を着ていた。

 その男の一歩後ろにほつれとぎの目立つ服の痩せこけた老人と白の上着に藍色あいいろに染められたスカートを身に着けた若い娘が緊張した面持ちで姿勢を正して控えている。

 おそらく、老人は男の召使か何かで、娘の方は男の子供だろうと隆之は当りを付けていた。


「申し遅れました。私はジゼルの街で両替等の商いを取り扱わせて頂いております【カタール商会】で番頭をしておりますスティルと申す者にございます。タカユキ様には当商会を御贔屓ごひいきにして頂きまして誠にありがとうございます」


 スティルと名乗った男はそう言った後で、深々と隆之に頭を下げてきた。


「これは、これは御丁寧にこちらこそお世話になりまして……」


 隆之は営業の時の癖が未だ抜けておらず、スティルに対してこれまた深々と頭を下げる。


「タカユキ様、お顔をお上げ下さい! タカユキ様が我々のような者に対してそのような礼を取り、それを我々が受けることなど分に過ぎると申すもの……」


 スティルは慌てて、隆之に顔を上げさせる。彼は隆之のことを高貴な身分の方であると商会のおさから聞き及んでおり、隆之にそのようなことをさせたことが長に漏れたならば叱責しっせきを受けるに決まっていた。


(そうか、俺は何処どこかの貴族の御曹司おんぞうしだと思われているから、俺が頭を下げる事は間違った事なのか……)


 隆之は実質的に身分の無い現代日本とこの世界の常識である身分制度との乖離かいりに戸惑いを覚えた。ここで謝ってはいけないのが彼にはつらい。ついつい、スティルに対して謝ってしまいそうだった。

  しかし、彼に尊大に振る舞う気はなく、そのような態度で相手に臨むことは彼の性格上出来かねることだ。相手を蔑むことは自らを卑しめるものにしか彼には思えなかった。


「後ろにおられるのはスティル殿の御息女ですかな?」


(無理だ! 尊大にしようとしてもどうしても敬語になる……)


「タカユキ様、そのような言葉遣いをなさらなくて宜しいのですよ」


 スティルが少し諦め口調で言うが、隆之には無理なものは無理だ。このままの口調で押し通すことにする。彼にとってはこれが精一杯の尊大な態度と言うものだ。


「いえ、幼き頃よりのくせゆえ御寛恕ごかんじょ願いたい」


然様さようでございますか。ならばお言葉に甘えさせて頂くことに致します」


 スティルは諦めたらしい。そして、振り返って後ろの二人に自己紹介をうながした。


「タカユキ様、お初にお目に掛かります。私はこの村【ヨルセン】の村長を務めております、バルパスと申します。見ての通り何もないところではございますが、お気の向くままにお過ごし下さいませ」


 隆之は目の前の老人が村長だと言うこと実が信じられなかった。大変失礼な話だが、物乞いと言われる方がまだ納得がいった。


「タカユキ様、お初にお目に掛かり光栄でございます……エリーナと申します……この度はタカユキ様の身の回りの全ての世話をするよう申し付けられましたので、何なりとお申し付け下さいませ……」


 エリーナと名乗った娘は更に深刻だ。声が小さく震えている。隆之はオネットから身の回りの世話役を付けると確かに聞いていたが、お手伝いさんみたいな感じで捉えていた。

 隆之は目の前の少女のあまりの緊張ぶりにこの少女が隆之の性欲の方も世話をするよう申しつけられていることに直ぐにかんいた。

 確かに隆之も成人男性である以上は性欲が無い訳ではない。しかし、それを望まぬ相手に無理強いすることは彼の矜持きょうじに反した。


(これは、誤解を解くのは大変そうだな……)


「まあ、取り敢えず宜しく頼むよ……」


 隆之はエリーナに向けて右手を差し出した。彼女には良く意味が分らないみたいなので説明する。


「これは握手と言って、簡単に言えばこれから仲良くなる為の俺の故郷にある挨拶だよ。同じ右手で握り返してくれたら嬉しいんだけど……」


 隆之は尊大な口調に飽きたので、意識して友好的にエリーナに話し掛ける。

 エリーナは戸惑いながらも隆之の手をゆっくりと握り返す。

 その時、家の方角から隆之に石が飛んできた。石が隆之の左肩に当り、鈍い音を立てる。


「エリーナ姉ちゃんを離せぇ!」


 家の方に小さな男の子が両手に石をいくつか持って隆之に投げつけてきた。


「あの餓鬼がき、タカユキ様に何てことを!」


 男の子の行為にいちはやく反応したのはスティルだった。彼は男の子を殴り飛ばし、地面に力一杯押さえつけた。


「ヴァン! お前、何をやっているんだ!」


 村長のバルパスが叫ぶ。エリーナは男の子を乱暴に扱うスティルに止めるように懇願していた。


(痛ぁぁ……)


 隆之は右手で左肩を抑える。男の子はスティルに力一杯地面に顔を押さえつけられても、隆之に対する罵倒ばとうを止めなかった。


「エリーナ姉ちゃんからフォルケンのおじちゃんを奪った貴族の癖に! その上、エリーナ姉ちゃんをいじめるなんて、おらが許さねえぞ!」


「このクソ餓鬼がき、黙ってろ!」


 スティルが更に殴り、


「ヴァン、謝れ! 謝るんだ!」


 村長のバルパスが男の子を必死に説得している。エリーナはタカユキに土下座をしてきた。


「タカユキ様! お願いします! 何卒なにとぞ、お許し下さい! 子供ですから自分のしでかした事が理解できていないのです! どうか、お慈悲じひを……」


「エリーナ姉ちゃんが謝る必要なんかねぇ! お前なんかおらが大きくなったら、やっつけてやる! おら絶対に謝らねぇ! エリーナ姉ちゃんを不幸にする奴に何でおら達が謝らきゃなんねんだ! 死んだって謝るもんか!」


 隆之はこの男の子の勇気に感動していた。彼は十歳くらいだろうか。

 この子は純粋にエリーナのことを想い、彼女を助けようとしている。自分が殺されることも覚悟して……

 彼がスルドと対峙たいじした時に言えなかった言葉を幼いこの子が持ち合わせていることを隆之は純粋にうらやましく思えた。


「スティル殿、その子を放されよ」


 隆之がスティルに命じる。普段の彼には無い有無を言わさぬ迫力が其処そこにはあった。


「宜しいのですか? タカユキ様……」


「良いと申しておる。今一度言う! 放されよ!」


 本当は隆之にもスティルが男の子を助けようとして殴っていたと言うことは理解している。スティルは表面上は納得のいかない顔をしているが、内面の安堵あんどは隠せていなかった。

 彼は男の子から手を放した。自由になった男の子は立ち上がると、隆之に向かって言い放つ。


「おら、礼なんか言わねえぞ……お前がエリーナ姉ちゃんを苛めるならおらは何度でもやってやる!」


「ヴァン、何てことを言うの!」


 エリーナも声を大きくして、彼を叱りつけた。


「エリーナさん、良いのですよ……」


 隆之はヴァンの正面に立ち、前屈まえかがみになり、ヴァンの視線に合わせた。


「何だよ!」


 警戒するヴァンは隆之に突っかかる。村長のバルパスとエリーナは気が気でなかった。


「ヴァン、君に約束するよ。絶対に君のエリーナ姉ちゃんに酷い事はしない!」


「嘘だ! 貴族なんかが約束なんか守るもんか! おらだって、そのくらい知ってるぞ!」


「俺は貴族なんかじゃあ無いよ、ヴァン。俺は君を一人の男として尊敬する……だから、誓わせて欲しい。君の大切なエリーナ姉ちゃんを絶対にいじめたり等しない。この誓いを受けてくれるかい?」


 隆之はヴァンの目を見て訴えた。大切な者を護ろうとするこの「小さな勇者」を少なくとも一人前の男として遇することこそが、本当の貴族なのかもしれない。その意味で言うならば、隆之は貴族であった。


「本当に苛めないんだな……」


 ヴァンは顔を横に向けて隆之に言った、少し力の無い声で……

 そんな横を向いたヴァンの目の前に隆之は右手の小指を差し出した。


「何だよ……」


「指切り、これも俺の故郷の風習。絶対に破ってはいけない約束をする時に使うんだ」


「どうするんだよ……」


「ヴァンの右手の小指と俺の小指をからませてから外すんだ」


「分かったよ……」


 隆之とヴァンが指切りを済ませると、ヴァンは年相応の笑顔で隆之を見上げてくれた。

 隆之はこの「小さな勇者」に認められたことがたまらなく誇らしくなり、この誓いを邪魔することなく黙って見守ってくれていた三人にお礼を言った。

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