第4話 ヨルセン村の娘

 ライオネル王国の直轄領である【ヨルセン】は貧しかった。先のモール王国との戦争で働き手となる男達の大半を失い、田畑は荒れるに任せていた。

 本年の年貢は例年のおおよそ半分にも満たず、村には活気と呼べるような物は何も無い。飢えと貧困によってこの冬を無事に越せる者は少ないであろう。

 一人の男が村長の家を訪ね、接待を受けていた。彼はこの地域の年貢を徴収する役目をになっていた役人だったが、彼の上役から規定通りの年貢徴収を厳命されていた。

 彼はこの村の現状を必死に上役に説いたが、陳情ちんじょうも聞き入れられずに決定された処分を村長に伝える為に村を訪れてた。


「村の北の外れにある、フォルケンの娘のことだ……」


 村長とは言えど、茶の一杯も出せないことに文句も言わずに黙って白湯さゆすすっていた男が村長に要件を話し始める。村長も男の要件については薄々勘付いていたがえて黙っていた。

 男も非常に心苦しかったのであろう。村長の顔をあまり見ようとはしていなかった。


「エリーナのことですね」


 村長の表情は暗く、これからの話題が良いものではないことを承知しているとその顔が物語っている。


然様さようだ。先のモールとの戦にて父を失い。母も昨年流行り病で亡くしているあの娘のことを考えると不憫ふびんでならぬのだが、『国法にて人頭税及び田地への課税の未納は財産を没収した後に奴隷とする』とある。私はそれを施行する為に来たのだ。済まぬが、娘のところに案内してくれぬか」


 男が立ち上がり、戸口の方へ向かおうとするのを慌てて村長が止めた。


「もう少しだけ、待ってやることは出来ませんか! あの子も頑張って田地を耕しています! 人頭税も年貢も何とかあの子の分まで工面します。労役もエリックの奴が倍の期間出ても良いとまで言っております! だから、お願いですから待ってやって下さい……」


 男の言葉を聞いた村長は土間で男に対して額が土で汚れるのも全く気にせずに懇願こんがんする。村長は何としてもあの娘を奴隷などにさせたくなかった。


「村長……無理なことは最初から言うものでは無い。たびかさなるモール王国との戦や魔人の人狩りによって甚大じんだいな被害を出しておるこの村にそんな余裕があるとは上役の誰も思わなかったのだ。だから、私が派遣されてきたのだ……」


 土下座をする村長に男は膝を曲げ、村長の肩に手を置きながら村長をさとした。


「私もあの娘のことを知らぬわけでもないゆえ、辛いことだ……だが、これは役目でもある。娘一人の為に法を曲げることがあってはならぬ。分かってくれぬか、村長」


「でも、そんな! あんない良い子が! あんまりじゃあないですか! あの子が何をしたって言うんですか! 父親だって先の戦で奪われちまって……それでも、皆の前で気丈に振る舞って畑仕事をしてる! 村の奴らだってエリーナが両親の墓の前で泣いているのを知ってるんだ! そんな娘が何故なぜ、奴隷に身をとさなきゃならないんですか! あの子を孤児にした貴族の玩具おもちゃにあの子を差し出せって言うんですか! それはあまりにも無情と言うものでしょう……あの子はまだ十六になったばかりなのに、嫁の話もこれからだったのに!」


 顔を上げた村長は役人の男に掴み掛らんばかりの勢いで、まくし立てた。男も村長の唾が顔に掛かるのに身を任せている。


「村長、もうそのくらいにしておいて欲しいものだ。これ以上、御政道ごせいどうに対して批判するのであるならば、役目上そなたを捕らえなければならなくなる。それにあの娘にある話を持って来たのだ。良いか悪いかは別であろうが、もしかしたらあの娘に奴隷以外の選択を与えられるかも知れぬ」


 男は泣き崩れていた村長を優しく抱き起し、村長にもう一つの話を告げる。その話を村長はゆっくりと立ち上がり、男をエリーナの家まで案内を決めた。

 その頃、ヨルセンの村の外れに住んでいるエリーナは夕食の準備をしていた。ひえあわと少量の青菜あおなを炊いた物に小指の爪先程の塩を入れただけの貧しい食事だが、彼女にとっては精一杯の御馳走だった。

 食事の途中で、戸を叩く音を聞いた彼女は箸を置いて土間の戸を開けた。

 戸を開いて、村長と役人の顔を見たとき、彼女は遂にこの日が来たことを自覚した。

 先月の戦に徴兵された父は帰ってくることはなかった。父と同じ部隊に配属されていた方が父の遺髪を持って来てくれた時には既に自らの運命は決まっていたのだ。

 貴族の慰み者として奴隷として売られるしかないことを……

 農耕に使う牛馬も無く、少女一人の力では田地に掛けられる年貢も人頭税も払えず、労役にも就けない。全てを失ってから奴隷に身を堕とす以外に彼女には道が残っていなかった。

 役人の男がエリーナにその非常な現実を言葉にして伝えた。


「エリーナ、今日お前を尋ねた件はお前も気付いていると思う。昨日お前を奴隷とすることが決定された」


 予想はしていた心算つもりだった。だが、これからの自分の人生が既に自分の物ではないと告げられた時の衝撃は彼女には強過ぎ、軽い眩暈めまいを思える。そして、その場に座り込んだまましばら呆然ぼうぜんとした。

 次第に彼女の瞳から涙が溢れ、頬に軽い跡を残して土に消えていった。


「エリーナ! 話はそれで終わりじゃあないんだ。もう一つ話があるんだよ……」


 村長がエリーナの両肩を掴み、勇気づけるように言った。役人の男は村長の言葉に重ねるように話を続けていく。


「実はある男から一人の男の面倒を見て欲しいと役所に申し出があり、その居住場所にここを指定してきたのだ。お主が奴隷となることも承知しておったのであろうな。役所に申し込んできた男が言うにはその面倒をお主に見て欲しいとのことだった。承知してくれるならば、二人の諸税しょぜい及び労役免除金は毎年必ず支払うとの約束で、手付として二人の十年分の課税金に当るオーリン金貨六枚を置いて行った。私はこの話を受けるべきだと思う。おそらくお主はその預かった男の慰み者とされるであろう。しかし、少なくとも奴隷には堕ちずに済む。村から見知らぬ土地に流されず、両親の墓の世話も出来る。どうであろうか?」


 エリーナにとってもこの話が自分を救えるただひとつの道であることは理解できる。彼女は溢れた涙と同じで元の道へは戻れないのだ。

 村長と御役人様が自分の為に心を砕いた上でこの話を受けるように勧めている。彼女に断る理由は無かった。


「そのお話をお受けします……ありがとうございました……」


 エリーナは今の自分に出来る精一杯の笑顔を二人に向け、小さな声ながらもお礼を言った。

 エリーナを救う手段はこれしか無かったとは言え、彼女のその気丈な振る舞いを見た村長はエリーナを見て素直に喜べなかった。


 そして、ここから二人の物語が始まる……

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