仮面の下

あの泣いて帰った日からどれくらい後だったのか

タクミははっきり覚えていない。

何も考えずに

バイトだけをして過ごしていた。


そんなある日の夕方。

部屋のインターホンが鳴った。

まだ起きるには早い時間だ。

居留守を決めようと

タクミは布団に潜り込む。


それでも

ピンポンという呼び出しの電子音が鳴り続け

怒りを覚えたタクミは

布団を蹴り飛ばして玄関に向かった。


「うるせぇ!」


と。

勢いよくドアを開けると、ハルカが立っていた。


「待って!」


閉めかけたドアの隙間に

ハルカが腕を入れてきて、危なく挟みそうになる。


「待ってって言ってるでしょ」


みるみるうちに

ハルカの目からは涙があふれていた。

女の涙は卑怯だ。


どうして

タクミは胸の奥が苦しいのか。

自分が怒っているのか悲しいのか

区別がつかなくなる。


半袖のまま玄関に出たタクミの腕には鳥肌が立つ。

自分の感情のせいなのか、

季節が秋へと向かっているせいなのか

何も考えられない。


「アドレスとか消しちゃったから

 連絡も取れなくて……

 学校にも来ないし……」


「お前にはもう関係ないだろ。

 帰れよ。迷惑だ」


タクミのドアを閉めようとする腕に力が入る。

負けじとドアの隙間を広げようと

ハルカも泣きながら力任せにドアを開けようとする。


「謝りたくて。

 私が悪かったから!」


ハルカは

泣きながら、ありとあらゆる謝罪の言葉を言った。

それはほとんど聞き取ることができなかった。

タクミはハルカが

何と言っているのかは理解できなかったが、

彼女が自分の元に戻ってきてくれたということが

うれしかった。


今はハルカの謝罪の言葉もなくなり

ただ涙を流して出てくる小さな嗚咽と鼻をすする音がする。

タクミはドアを開けてハルカを玄関に入れ、

そのままハルカを抱きしめた。

このまま力を込めれば折れてしまいそうなくらい。


タクミの腕に温度が戻ってくる。

温かい。

今日は泣いても、ハルカに怒られることはなく

二人は長い長いキスをした。





そうして、二人はまた恋人となった。


だからと言って、

タクミは完全にハルカを許したわけではなかった。

前よりも嫉妬深く、束縛も激しく

疑り深く。


少しでも怪しいことがあれば

タクミが口をだし

そのたびにハルカに逆ギレされてケンカをする。

2、3日連絡を取らずに過ごして

大体ハルカが泣きながら謝って仲直りをする。

こんなことが

数か月の間に何回も続いて、

あっという間に冬になった。



タクミは大学に退学届を提出し、

はれてフリーターとなった。

夜の時間帯に働くことの多いタクミだったが

二人の時間が合えば

ハルカは学校帰りにタクミの部屋に寄り、

晩ごはんを一緒に食べた。

そうしてタクミはハルカを家に送るついでに出勤するという、前よりも充実した生活を送っている。



そして今夜も、学校帰りに食材を買って

ハルカがタクミの家にやってきた。

ハルカの料理は美味い。

見た目も味付けも、兄のツカサが作るよりずっといいが

一点だけ。

キッチンをめちゃくちゃ汚すという欠点があった。

これでどうしておいしいゴハンが作れるのかはわからないが、

なべ底も焦がすし、調味料をいたるところにこぼす。

シンクの中もみるみるうちに

洗い物や野菜くずで埋め尽くされていく。


タクミはその処理係だった。

兄のツカサは夕方になればホストをしに出て行ってしまうから

彼の出した洗い物や洗濯もしなければならない。

ハルカと二人でご飯を食べた後は

その家事とキッチンの片付けをするのが日課になっていた。



その間、

ハルカは参考書を広げたり

タクミのパソコンをいじったり。


今夜もその調子で

タクミは洗濯物を回し、

野菜くずが散乱しているシンクを掃除し始める。

タクミは夜の11時から

カラオケのバイトがある予定だったが

給料日前の今夜はずいぶん暇なようで、

バイトの人数が多いと店長から電話が入った。

ちょうど今夜が6連勤目で

今夜行けば久しぶりの2連休というタクミだったが

3連休にして良いぞ、という店長。

その言葉に甘えて

今夜から仕事が休みになったタクミは

いつにもなく高いテンションで

キッチンの掃除を再開した。


その高いテンションのまま

「ハルカ~?

 俺、今日休みになったから!」


と、

部屋で何かをしているハルカに話しかけるが

返事がない。


手を洗剤まみれにしながら

部屋をのぞくと

ハルカはソファーで小さく体育座りをして

器用に丸くなって眠っているようだ。


「うわー

 あれ、かわいいわ」


タクミは急いで手を洗い

ケータイのカメラでハルカの寝顔を撮影した。

もちろん、可愛い体育座りの姿も。


「疲れてるんだな、ハルカも」


タクミは独り言を言いながら

せっせと家事をこなし、

3連休に何をするか考えていた。




ブーブーブー



テーブルの上に置いてあるハルカのケータイが鳴った。

マナーモードのバイブが

さっきから何度も鳴っている。

タクミは少しだけ気になったが

今は楽しい気持ちの方が勝っていて

そのまま寝ているハルカの横に座り、

テレビを見始めた。


テレビでは

2時間のサスペンスドラマが放送されている。

タクミはなぜか

この2時間ドラマが好きだった。

特に今日は好きなシリーズの話だったため

あっという間にドラマは終わり、

テレビでは

ニュース番組でスポーツ速報が放送され始める。


ハルカはまだ眠ったままだった。

2時間サスペンスを見ている途中

一瞬起きて体制を変え

ソファーに足を長く伸ばしてまた寝息を立てた。

ハルカにソファーを占領されたタクミは

仕方なく床に寝そべり、2時間ドラマを見ていた。



ブー ブー ブー


床に転がったまま

タクミがテレビのチャンネルを変えていると、

ハルカのケータイがまた鳴った。


ドラマの途中にも

何度かハルカのケータイが鳴っていたことを思い出したタクミは

ふと、

とても不安な気持ちになった。

着信を知らせるライトが

ピカピカと光るハルカのケータイをじっと見つめる。

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