22.光と影と窓

 家に帰り着いたのは、ちょうど日が沈んだ頃だった。


 結局、あれでリリシェラの怒りは収まったようだ。そして帰り道、何やらご機嫌な彼女からエミララと仲良くなっても良い、という許可をとりつけることができたのは収穫だった。わざわざ許可を貰わなければならなかったというのは、元兄としては情け無い限りなのだが……。

「ただいま……」

 リリシェラを家に送り届け、無事に終わったと安心してから、大事な事に気付いた。


(……やべぇ、もう一人お怒りな人が居たのを忘れてた……)


 背筋が寒くなるようなオーラを間近に感じ、唾を飲み込む。

 恐る恐る首を横に向けると、凄まじい怒りを内包したようなドス黒い微笑みがそこに有った。

「な、なんでしょうか、ミューリナさん?」

「ふふふ……。兄様、リリシェラ姉様と仲直りはされたのですか?」

 笑っているようだが、物凄い圧を感じる。

「あ……、ああ、さっきな。以前のように話し合って……」

「そうですか、それは良かったですね……」

 怒っていたのはリリシェラの件だったはずだが、仲直りについて良かったですねと言いつつも、怒りのオーラがなぜか消えない。だが、この雰囲気で何故なのか、と理由は聞けるはずもない。聞けるとしたら、それは精神的強者ツワモノだ。

「まあ、とりあえず……ひと安心だ……」

 って、目の前の状況は全然安心できないのだが。


「なうほど……、だからあんなに仲良さそうに、帰って来られたのですね……」


 ああ……、そこですか?

 と思ったものの、ミューリナの「ゴゴゴゴゴゴ……」とエフェクトが入りそうな、圧倒的恐怖が渦巻く闇オーラがそれを言わせない。

(怖い怖い怖い……!)

 俺たちが帰ってくるところを窓から見ていたのだろう。こうなると、言い訳のしようも無い気がする。それでもここは、真実を混ぜて逃げ切るしかない。

「リリシェラが転んで足を怪我したから、歩かせるのもなんだし、家まで送り届けた……んだよ……」

 説明する間も、ミューリナの闇の微笑は一切変わらない。

「そうですか、それは大変でしたね……」

 言葉と表情が合っていない。そこは、屈託の無い笑顔で言う台詞じゃないのか?


「あ、俺ちょっとやる事があるから、部屋に戻るわ……」

 これはもう逃げるしかない。そう思って、そそくさと部屋に戻ろうとした瞬間だった。

「あっ……!」

 背後からミューリナの声と共に、激突音がした。ゆっくりと振り返ると、案の定、ミューリナが床に倒れていた。

 アレだよな。お約束の足が痛いから部屋まで連れて行ってください的な、自作自演だよな? それが分かっていても今までの流れから、放置はできない。こういう所が無ければ可愛い妹なんだが、ブラコン全開の変な独占欲が強くて困る。


「にー!」


 天使の声が聞こえた。

 シエス様、まさに俺を救ってくれる天使か女神か! 今ならミューリナの転倒に気付かない振りをして、逃げられる。

「ごめん、シエスに呼ばれたみたいだから、ちょっと行ってくるわ」

「ちっ……」

 二歩ほど踏み出したところで背後から舌打ちのようなものが聞こえた。言っておくがシエスは悪くないからな。


 救いの主は、実にかぐわしい香りをまとわせて俺を出迎えてくれた。つまりはオムツの中が気持ち悪かったため、声が聞こえた俺に助けを求めた、という事だ。

 まあ、あの状態のミューリナを相手にするよりは良いけどね。


「はい、兄様」

 洗い立てのオムツを差し出してくれたのはミューリナだった。

「ああ、ありがとう。助かった」

「いいえ、兄様のお役に立てたなら私も嬉しいです」

 柔らかな笑顔が返って来た。

 闇落ちしないで、いつもこっちのモードでいてくれると可愛いんだけどなあ。と思い、大きくため息をつこうとしたところで、汚れたオムツの匂いをがっつり吸い込んで、思い切りむせてしまった。

 そんな姿が面白かったのかシエスに爆笑されたが、腹が立つどころか笑顔が天使すぎて癒されたのは言うまでも無い。


 夕食の匂いのする中、自分の部屋へ戻ると、窓からリリシェラの部屋の明かりが見えた。部屋に居るのだろう、ちらりと後姿が覗く。

 俺の部屋の明かりが灯ると、それに気づいたのか彼女は窓を開けて顔を出した。そうやって自主的に顔を出すのは、寂しい時か、機嫌が良い時だ。


 光と影が混じりあいながら、彼女の美しさを際立たせる。中身が理紗だと分かっていても、不意に色々な感情を持っていかれそうで恐ろしい。

「どうした?」

 足が痛いのか、それとも何か別の用だろうかと思い、先に問いかける。

 リリシェラは俺の顔を見て「いひひっ」と笑った。

『お兄ちゃん、ありがとう』

 屈託の無い笑顔を浮かべたまま、日本語で言われると照れるじゃないか。小悪魔め。

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