港にて
有木 としもと
第1話
「いや、それも要らない」
異国の商人は、癪に障るぐらい流暢な言葉でそう語り、掌をこちらに向けて四本の指を折った。交渉拒否の仕草。
困った。もう三日間何も食べていない。その前の十日ばかりも、小さなパンくずを口にしていただけだ。
最近になって異国の船が立ち寄るようになった港町。ここならば手持ちの品を買ってくれる人が居るのではないかと期待したのだが、どうやら考えが甘かったらしい。
異国の商人達は商品を見る目が実に肥えていた。私の差し出すつまらぬ品の価値など先刻承知。碌に口上も聞いてもらえぬまま追い払われ続けている。
異国の商人は振り返って停泊する帆船を見た。
もう時間が無いから帰りたい。そう言わんばかりだ。
とは言えこちらも引き下がれない。
空腹に耐えかね、いっそのこと商人の足下に置かれた袋を奪って逃げだそうかとまで思ったが、なんとかその衝動を抑えた。
二日前、魚を釣ろうとして漁民達に追いかけ回されたことを思い出す。あのときはかろうじて逃げ切ったが、この体調ではもう無理だろう。
捕まって袋叩きにされるのが落ちだ。
他に差し出せる物が無いか。私は背負い袋を一杯に広げ中身を確かめる。
かがんだ私に、商人が不思議そうな声を掛けた。
「何だ、それは? アクセサリーの一種か?」
私は商人が指さした先を見る。
私の服に、草の種が絡みついていた。
丸みを帯びた太った種に沢山のトゲが生えたやつ。
、獣の毛や人の服などに引っ付くアレだ。
おそらく先日森の中を歩いた時、気づかぬうちに付いてしまったのだろう。
私は思わず舌打ちしそうになる。
一度絡みつくと外すのは面倒だ。服の生地を傷めてしまう。私はさっさとそれを取ろうと手を伸ばしかけ。
そして相手の視線に気づく。
商人の目には僅かな興味の光があった。
一般的には厄介者扱いをされる類いの草だが、ひょっとしたら、異国の地には無い草なのかもしれない。
私は直感する。こいつはカモだ。絶対に逃してはいけない。
「ええ、珍しい草でしょう」
そう言って私はそれを異国の商人に見せた。
直接に触れられるよう、服の生地を前に出す。
「随分と硬いな。それに、なかなか取れそうにない」
そうなのだ。私も子供の頃、髪に絡みついたこれが取れずに母に泣きついたことが幾度かある。
「こうして付ければなかなか落ちないのよ。そうそう、こんな使い方もあるし」
私は適当な思いつきで、引っ付いた種の上に服の別の部分を乗せた。
二枚の布が種のトゲで留められていることを示す。
「ほら、こうするとボタンの代わりになるでしょう? 山の方の人々は、服をこうして作っているのよ」
口から出任せも良いところだが、異国の風習となれば少々奇妙であっても信じて貰える余地はあるだろう。と言うか。
信じてくださいお願いします。
「トゲを焼けば食べることもできるわ」
これも一応嘘では無い。不味いけど。実際、種が引っ付いているのに気づいていたら私自身これを食べていたと思う。それほど空腹なのだ。
「育てるのも簡単よ。適当に地面に埋めて水をやれば大丈夫」
雑草なのだから手入れなど不要だろう。簡単に育つに決まっている。
もっとも、こんなものをわざわざ育てる物好きを見たことは無いが。
「興味があるなら、お譲りするわよ」
そう言った瞬間、相手は百戦錬磨の商人の表情になった。私が飢えかけていること、安値で買い叩かれても引き下がるしか無いことを理解している顔。
それはそれで好都合。
私は異国の商人の自負を逆手に取ることにした。
本当はもっと高値で売れるのに、やむを得ず貴重な品を手放さなければならない哀れな弱者を装うことにする。まず最初は値段を吹っ掛けて、と。
「そうね。この種一揃いで銀、いいえ銅貨で・・・・・・」
交渉を終えると、私は旨そうな匂いを放つ屋台へと駆け寄った。
数枚の銅貨を出し、椀にスープをよそってもらう。
久しぶりのまともな食事。
野菜くずと魚の腑が入ったそれは、信じられないぐらいに美味しかった。
港に視線を移すと、先ほどの帆船がゆっくりと桟橋を離れるのが見えた。
異国の商人は、あの種を海の向こうに持って行く。
物珍しい頃は良いだろうが、一度広まってしまえばとにかく害しかなさない草だ。
沢山の子供達が髪や服についたそれに泣き叫び、家畜を飼う人々にとって、文字通り悩みの種となるだろう。
その原因は私にある。
僅かな銅貨を得るために。数え切れない人が被る迷惑を知りつつそれをした。
ひょっとしたら、それはひどく罪深い行いだったのかも知れない。
しかし、一口スープを含むとそんな思いはどこかに吹き飛んだ。
ああ、食事が出来るって素晴らしい。
全身に力が戻ってくるのが分かる。
異国の商人にどう応じれば良いのかについても見えてきた。
彼等がどんなものに興味を持つのかは予測出来ないのだ。
むしろ、私が価値があると思うようなものは既に港の商人がそれを売りつけているだろう。だとすれば普通は港の市に並ばない、価値は無くとも珍しいものの方が上手く行くのではないだろうか。普通の商品と共に下らぬガラクタを適当に並べ、相手が興味を示したところで交渉を始めれば、意外な高値が付くかも知れない。
私はゆっくりと食事を終えると、残った銅貨を数え直した。
幾ばくかのパンは買える。
一度町を離れ、森の中を探してみようか。
この季節に採れそうな草花を思い出す。
しかし困ったことに、異国にそれが無いかどうかは分からない。
上手く売れれば良いが、失敗したら無駄足だ。
いや、待てよ。
私はふと思いつく。苦労して実際に品物を探しに行くよりも、今回の話を情報として売る方が早いのではないだろうか。
そうだ、その方がきっと楽だ。
絶対儲かる方法と称して酒場を回れば、銅貨を掻き集めることは難しくない。
私はにんまりとした笑みを浮かべる。
明日を生き残る希望が生まれたことに感謝しつつ、私は元気に立ち上がった。
異国の商人を騙す技。
その種と仕掛けを広めるために。
港にて 有木 としもと @Arigirisu
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