第4話

 学校までの道。校内の廊下。講義室のなか。上階から見下ろす道路。思えば、毎日いろいろな人間とすれ違い、顔を合わせ、ときには一方的に認識している。私は無数の人のなかで生きている。ギボルさんとやりとりをするようになってから、その無数の人のなかに彼がいるのではないかと思うようになった。

 例えば、いま友人たちと講義室を出た村上宏昌むらかみひろまさ。彼は手芸サークルの幽霊会員である。例えば、黒板の前で教授とおしゃべりをしている米沢拓海よねざわたくみ。彼は数か月前、私が落としたプリントを拾ってくれた。例えば、チャイムが鳴るまで始終寝ていた有馬祐樹ありまゆうき。彼は、私が大学に入ってから一番はじめにすれ違った人。例えば――……。

 ギボルという人物とつながったこと自体、かなり低い確率で起こったものであるのに、自意識過剰な私は、さらに起こりえないような奇跡を本気で期待しているのであった。

 しかし、他愛のない会話をしているとき。

『僕、いま大学生なんですけど、お金なくて全然旅行いけてないんですよー(泣)』

 突然、彼は暴露したのだ。思わずギュウと携帯を握りしめた。

『私もいま大学生です! 奇遇ですね!』

 送ったあとに、しまったと思った。いまだに山田さんという人物のプロフィールがほとんどわかっていないのに、テンションにまかせて自分の立場を顧みずに身分を明かしてしまった。

『ほんとですか!? 山田さんって、てっきり社会人かと思ってました(笑) いま何年生ですか? 僕は二年です』

 だが、嬉しい誤算。話は急に加速し始めた。彼と山田さんはあまりお互いのことをわからないままやりとりをしていたようだった。この際、私は本当の身分を伝えようと画面を指でなぞる。

『私も二年です! ほんとに奇遇ですね(笑) ちなみに学部は、文学部の――』

 私は、学部からサークル、大学名まで事細かに教えた。送信したあとに、メッセージの膨大さからちょっとやりすぎたかなと思ったが、すぐに既読がついたことに興奮して、どうでもよくなった。

『わ! まさかの同じ大学(笑)(笑) 僕、理学部です! すごいですね! 山田さんがこんなに身近な人だとは思いませんでした! 正直ほんとにびっくりしてます(笑)』

 反射のようにベッドから立ち上がって、しばらく部屋の真ん中で固まっていた。

 同じ大学? 嘘でしょ。

 こんなの、運命。運命だわ。それ以外は、絶対に認めない。


 私のリストに理学部の人間はいなかった。だから、彼が誰なのか、まったくわからなかった。彼いはく、部活やサークルには所属していなくて、ひたすらアルバイトに精を出しているらしい。なんの授業をとっているのか聞けばよかったが、さすがにそれはためらった。急に積極的になるとと引かれるかもしれないし、それに、いままでの穏やかな関係を壊したくなかった。

『手芸サークルって、なにやってるんですか? やっぱり手芸ですか? 山田さんも何か作ってるんですか?』

「はい、いろいろ作ってます。最近は手編みでセーターを作ってみました。思ったよりも時間がかかってびっくりしてます。もし、よかったら、何か作って差し上げましょうか。最近とくに寒いですし、マフラーとか手袋だったらすぐ作れます。一度会って、寸法をとらせてもらえないでしょうか……」

 関係を壊したくないなんて、大嘘。会いたくてしょうがない。返信する文面を考えながら、打ち込んでは消してを繰り返していた。

「理学部、二年生……」

 彼が、いったいどんな生活をしているのか。どんなときに私からのメッセージを返しているのか。どんなことを思って携帯の画面をつけるのか。私のことをどう思っているのか。どんな顔か。どんなカバンを使っているのか。どんなファッションを好むのか。どんなときに笑い、どんなときに悲しむのか。全部知りたい。全部この目で確かめたい。いますぐにでも。

「私に会って、幻滅したりしないかな」

 しかしその反面、こんな気持ちもあった。画面上だけなら、まだなんとか誤魔化せているが、実際に対面すれば、すぐにつまらない人間であることがばれてしまうかもしれない。そうなったら、私はかつてないこの幸福感を、すべて泥沼に放り込むことになるだろう。

 そんなの、いや。でも、会いたい。

「……いっそ、先に、伝えてしまう?」

 悩んだ末、会う前に彼に伝えてしまえば、幻滅しないのではと思い至った。我ながら天才だと感心した。

『すみません、ちょっと重い話になっちゃうんですけど、いいですか?』

『どうしましたか?』

『実は、私、学校で友達が一人もいなくて、サークルでも、空気よりも空気みたいな存在なんです……。なんていうか、学校では、ギボルさんとこうして会話しているときみたいな感じじゃないんです。なんか、浮いちゃってて、うまく人と付き合えてなくて。……もし、この先、会うことがあって、実際に私と話したら、きっとつまらないと思います。……がっかりさせちゃう前に、伝えようと思いました』

 勢いで送ったものの、既読がついてから反応がなく、私は焦り始めた。

『なんて、重い話、ごめんなさい(笑) いくら同じ大学とはいえ、実際に会うことなんてないですよね(笑) 忘れてください』

 いてもたってもいられなくなって、私はさらにメッセージを重ねた。すぐに既読がついた。

 一分、二分、三分。

 反応がない。

 どうして返信してくれないの?

 やっぱり引いた?

 もしかして、これでジ・エンド……なんて。

「やだ、そんなのやだ……返信してよ、無視しないでよ。やっと巡り会えたのに、こんな終わり方やだよ……。もっと私のことを思ってよ。もっと私を心に刻んでよ。刻み付けてよ。そんな簡単に断ち切らないでよ。私のことを特別に思ってよ。あなたの特別になりたいのに。あなたの心をつかみたいのに。こんなにあなたのことが好きなのに。いままでの誰よりも好きなのに。やだ。早く返信して。早くして。これ以上不安にさせないで。おかしくなっちゃう。狂っちゃう。きっと、このまま返ってこなかったら、躍起になってあなたのことを探し出して、逃げられないようにして、私のことだけを考えさせるから。そんなのやでしょ? 私だってやだよ。でも、返信してこないってことは、そういうことなんだからね? 覚悟してよね」

 ピンコン。

 殺気立っていた部屋の空気を弾き飛ばすかのように、間の抜けたメロディが響いた。

 きた!

 私は、世界中のなによりも画面に集中した。

『返信遅くなってごめんなさい。ちょっと考えてました。……あなたと知り合って、こうしてやりとりするようになってから、毎日、結構楽しかったです。とても充実してたと思います。あなたが同じ大学だと知ってからは、講義室とかであなたのことを探したりしてました。わかるわけもないのに。自分でもキモいなって思ってました。でも、あなたと会ったときのことをどこかで想像してました。ほんとキモくてすみません。……だから、えっと、うまく言葉にできませんが、自分のことをつまらないなんて言わないでください。僕は、いままであなたと会話をして、すごく楽しかったんです。会いたくなるくらいに。……その、だから、絶対にがっかりなんかしたりしないと証明したいです。……日本語おかしいですね。えっと、つまり、』

 スクロール。

『僕と会ってくれませんか?』

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