第3話

 頭が変形しそうな毎日を送っていた私に、小さな転機が訪れた。

 親と連絡を取りやすくするためにインストールしたSNSに、知らない人が友だち追加されていたのだ。

『ギボル』

 おそらくニックネームかなにかだろうが、誰なのか予想もつかない。ステータスメッセージはなかった。アイコンは、知らない国の風景。ベージュ色の城の後ろで透き通った湖が広がっている。ホーム画面は『異端自慢大会なう』と呟いているシュールな猫だった。ちょっと形の崩れた、フェルトペンで一発書きしたかのような猫さん。自分で描いたのかしら? 

 どこにでもいそうな人にも思えるし、わりと身近な人のような気もした。ほんとに誰だろう? どうして私のアカウントに?

「騒ぐな、騒ぐな私。こんなのただの偶然。私知ってるよ。携帯を変えたあと、前の番号が違う人に振り分けられて、アカウントが勝手に引き継がれちゃうことがあるって。知ってる。だからこれは私のことなんか全然知らない人。まったくの他人。私とは全然違う世界に生きている人。きっと海外旅行が好きで、シュールな猫さんが好きな男性。いや、なんで男性なんだ。女性かもしれねえだろ。ってそこじゃねえよ、自重しろ」

 得体のしれない相手に思いをはせて、無数の靴に汚された雪の上をスキップした。もちろん誰も見ていないことを確認してから、ほんの二、三歩だけ。他人の目に映る自分を想像できなくなるほど、私はまだ、ずれていない。頭のなかは別として、見た目や行動はごく一般的な女子大生だから。女子大生のノーマルタイプを決める全国大会で優勝できるくらいありふれた私だから。


『こんにちは。山田やまださんですよね?』

 ついに。

『僕のことわかります?』

 ついに。

 メッセージがきた。友だち追加されてから三日後のことだった。授業中に気づき、湧き上がってきた興奮を抑えるのに必死になり、ノートがまったく取れなかった。

「僕。僕だって。これはもう男性だと確定してもいいんじゃない? しかも山田さんって。いったいどこの山田さんと間違えているんだろう。でも、間違っていても、この人は私にメッセージを送ってきているんだから、ちゃんと答えてあげるべきよね? この勘違いから、二人の出会いは始まった……なんて、あるわけないよね。でも、期待しちゃうな。ああ、なんて返信しよう。既読にしてからだいぶ時間がたってしまった」

 帰宅し、自室にこもったあとも、携帯の画面とにらめっこしていた。私を悩ませていたことは、二つ。間違っていると教えてあげるか、山田さんになりきるか。前者を選べば、「あ、すみませんでした」でジ・エンドになるだろう。しかし、後者を選ぶにはまだ情報が足りない。ギボルと山田さんの関係性がまったくわからないのだ。下手に偽って、ぼろを出したらどうなることやら。

 しかし、偶然とはいえ、せっかくつながったギボルさん。

 逃すわけにはいかないでしょ。


『猫ってかわいくないですか?』

『かわいいですよね(笑) これはどうです?』

『いいですね! 僕好きです、これ』

 それから、毎日のように、得体のしれないギボルさんとメッセージを交わしている。結局私は山田さんだと偽ることにした。自分的には勝負に出たつもりであったが、慎重に進めたその後のやりとりのなかでも、ギボルさんは当たり障りのない会話をするばかりだった。きっと山田さんと彼はいわゆる『メル友』のような関係なのかもしれないと思うことにした。

 いまの時点で彼についてわかっていることは、猫好きなこと、海外の美しい風景の写真を集めていること、落書きのような絵をよく描くこと、これくらいか。居住地や、学校または仕事などは、まだつかめていない。しかし、それよりも、彼と猫の話や、旅行の話をすることがなによりも楽しかった。

 彼は、私を見てくれている。山田さんという誰かの像を通して、私のことを思っている。こんな素晴らしいことはないでしょう。もっと、私に興味をもってほしい。私を面白みのある人間だと思ってほしい。そのためだったら、私、なんだってします。だって、あなたの存在を知った瞬間から、あなたのことが――。

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