悲しくなくても人は泣く

第1話

 四月。大学を卒業し晴れて新社会人となった俺は、ゴールデンウィーク突入と同時にうつ病を発症して休職し、その一か月後、親父が急死したと母から連絡があった。

 うつ病になってからわかったことだが、人は気力が枯渇すると身体が重たくなる。スマホを持ち上げることすら億劫で、ベッドに寝転がったまま画面を操作することでなんとか片道分の航空券を購入した。

 眠ると起きられない予感があったのでそのまま朝まで動画配信サイトの焚き火動画を観て過ごした。不幸中の幸いと言おうか、不眠症状があったため徹夜は苦にならなかった。

 空が明るくなってきた頃、財布とスマホだけを持って家を出る。一応荷造りを試みてはみたものの、それだけで疲れ果てそうな気がしたので途中で止めてしまった。どうせ喪服はレンタルだ。替えの衣類も実家に残してきた高校時代のものを使えばどうとでもなるだろう。とにかく俺はあれこれ考えることをやめ、自分の身体を実家にたどり着かせることだけに集中することにした。


 三時間後。俺はなんとか無事に北海道の旭川空港に到着した。動き出してしまえば思いのほかあっさりとくることができた気がする。準備して家から出るのが一番の難関だったのではないか。

 預けた手荷物がない俺は受取所をスルーしてロビーへと向かいつつ、最後に地元に帰ってきたのは何年前だったろうとぼんやり考えた。まさか次に帰ってくる機会が親父の葬式になるとは思いもしなかったが。

 空港から外に出た途端に獣の臭いが鼻孔を突いてきた。何かと思えば空港の目の前に牧場がある。いつのまにできたんだろう。「さすが北海道」と、出身者のくせに妙に感心してしまった。ほどなく滑り込んできたバスに乗り込み、旭川へと向かう。


 実家にはすでに俺以外の親族が勢揃いしていた。リビングに集まって沈んだ表情を浮かべていた彼らの視線が一斉に向けられ、俺はたまらず目を伏せて逃げるような気分で和室へと移動する。

 和室の真ん中には大きな棺桶が横たわっていた。

「顔を見てあげて」

 母が促すまで、自分が立ち尽くしていたことに気づかなかった。

 顔を見る? 俺が? 親父の顔を?

 俺は戸惑って、後ろに立っている母の顔を見た。母も俺を見返しながら「ほら」と顎をしゃくって再度促した。俺はほとんど思考停止したような状態で、指示されるまま白い木製の箱へと近づいてゆく。膝の関節が油の切れた機械みたいにぎしぎしいっている。上手く歩く方法を忘れてしまったようにぎこちない足取りの自分がなんだかわざとらしく感じて苛ついた。

 正直に言うと、俺は親父の顔なんて見たくなかった。

 親父はアル中だった。俺が幼い頃から、酔って暴れる、難癖つけて母や俺を殴るなんてことは日常茶飯事だった。中学校に上がってから俺は親父とたびたびぶつかった。ひどい時には互いに包丁を突きつけながら怒鳴り合いをすることもあったほどだ。

 俺は親父を憎んだ。

 親父に似ている自分の顔が嫌いだった。親父の一挙手一投足が気に障った。あいつが起きてくると俺はさっさと自分の部屋に引っ込んだ。食事もタイミングをずらした。とにかく視界に存在があるだけで気分がささくれ立つので、顔を合わせることを避け続けた。

 アルバイトで貯めた金と母の援助のおかげで大学に進学することができ、それを機に念願の一人暮らしを始めた俺は、精神的にも非常に安定した学生生活を過ごすことができたと思う。

 俺はいつしか親父への憎悪を忘れていた。一方で、残されたわだかまりはいかんともしがたかった。

 親父に会いたくない俺がそれでも何度か帰省したのは、俺と会いたそうにする母のためのつもりだった。だから前回の帰省でも親父とまともな会話なんかしなかった。

 そんな俺が今さら殊勝なふりをすることに意味があるとは思えなかった。想像するだけでも空々しくて寒気がする。

 いくら葬儀だからといっても、帰ってなどこなければよかったのだ。病気で判断力が落ちてさえいなければ、俺はきっと戻らなかっただろう。

 親父が死んだと母から聞かされた時も、驚きはしたが悲しいとは思わなかった。今だって悲しい気持ちはこれっぽっちもない。先日観た映画で犬が死んだ時のほうがよっぽど悲しかった。

「いつものように大酒を飲んだ翌日、そのまま冷たくなっていた」という死に様も同情できない大きな要因になっているのだろう。その終わり方は親父らしくはあったが、自業自得で馬鹿らしいと俺は考えていた。

 そんなことをぐだぐだ考えながらのそのそ歩いていても、あっという間に棺桶に近づいてしまう。俺はため息をつきながらその傍らに跪く。蓋には飾り紐の取っ手が付いた小さな扉があり、それを開ければ親父の寝顔とご対面だ。

 ここに至っても、目の前に鎮座している箱の中で親父が眠っているというのが嘘みたいだった。

 嫌だな、見たくないなと思いつつ飾り紐に手を伸ばす。俺が思い出せる親父の寝顔は、酒に酔って醜態を晒した挙げ句のんきに眠りこけている時のものだ。こいつの寝顔にはいい思い出がない。まして相手は今や死人で俺は病人だ。見たとしても気分が悪くなるだけだろう。ああ嫌だ、嫌だ。

 俺は観念して扉を開き、小窓越しに親父の顔を見る。

 ぐるぐると渦巻いていた思考はすべて吹き飛んでいた。代わりのように涙がぼろぼろと溢れてくる。「堰を切ったように」というが、本当に顔を見た途端、涙が流れ出した。なぜ泣いているのか意味がわからなかった。悲しくなんかないはずなのに。

 大きな身体をしている親父が狭い木箱の中で文句も言わずに目を閉じている。鼻には脱脂綿を詰められ、顔色は土気色だ。

 涙で滲む視界でまじまじと親父の顔を見つめる。

 見覚えがあるのに見慣れない人がそこにいた。親父の髪はこんなに白かっただろうか。親父はこんなに皺やたるみのある肌をしていただろうか。俺はいつから親父の顔をちゃんと見ていなかったのだろう。

「何やってんだ」と、思わず声に出していた。

「あんた、何がしたかったんだ」

 何を言っているのか自分でもよくわからない。ただとにかく、文句を言いたい気持ちで胸が詰まった。それ以上は言葉にならず、涙は頬を伝って落ち続ける。

 親父の顔を見たくなかった本当の理由に気づく。見れば、親父が死んだのが現実だと受け容れなければならなくなる気がしたからだ。ばかげた話だ。見ないからといって嘘になるはずもないのに。


 親父と最期に顔を合わせた時のことが唐突に思い出される。

 親父は毎回、帰省を終え北海道を発つ日になると仕事を休んで俺を空港まで送った。

 滞在している間に俺と会話をしようがしなかろうが、戻る日の前日になると必ず「明日は空港まで送る」と言い出す。正直なところ、親父といると居心地が悪いので一人で向かうほうが気が楽だったが、そのくらいはやりたいようにやらせてやるかと考え特に拒否はしなかった。

 保安検査場のゲートへと向かう直前、親父は俺に向かって手を差し出す。俺は気まずさを覚えつつその手を握り返す。帰省のたびにお決まりのように行うそれは、俺たちがいまだ家族であることを確認するための儀式のようでもあった。

「身体に気をつけろよ」

 毎度親父が口にする台詞。それが俺にかけられた最期の言葉だった。

 俺は「そちらも」と言葉を返したように思う。親父のことを「親父」とか「父さん」と呼びたくなくて、「気をつけて」と気遣うようなことを口にするのが嫌で、そういう曖昧な返事をしたのだ。


 相も変わらず悲しい自覚はないのに、いつまでも涙が出るのはどうしてだろう。親父が死んで、俺のわだかまりはこれからどこにゆくのだろう。

「なんで死んでんだよ」

 そんな恨み言をこぼしても、親父が目を開けることはない。

 俺がよく見た酔顔とは違う、穏やかな表情で親父はいつまでも眠っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悲しくなくても人は泣く @akatsuki327

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ