3.「よく判ったね、今日も」
シートに身を沈めると、くすくす笑いを顔に張り付かせた彼は隣の相手を見た。
「探したことは、探した。今回も。どれにお前が居るか、まるで判らないからな」
「ご苦労なことで」
*
橋は「都市」の境にある。公安のある地区からは遠い。
やがて朝のラッシュにぶつかるだろう、と朱明と呼ばれた男は気付いた。カーステレオから流れるFMからは、今週の「中央」のヒットチャートの番組が始まっていた。
一ヶ月遅れのヒットチャート。月に一回仕入れるものは、食糧や工業原料だけではない。月遅れの「中央」の情報をも仕入れるのだ。
統制する必要のある情報以外は取り入れた方が有効だ、というのが公安の道理である――― が、朱明はこの番組がそう好きではない。
「ずいぶん眠そうだね、お前」
「眠いんだよ俺は」
吐き捨てるように朱明は言う。
黒の公安の制服のボタンは、上から三つ外れている。
中に着ている黒いタンクトップが、ややくたびれた顔をのぞかせている。袖は半分まで折られ、細いが筋肉質のその長い腕をむき出しにしている。
「用事があったから出向いてみりゃお前はいねえ。
「女の子じゃないのにヒステリー呼ばわりはおかしいよな」
「HAL《ハル》!」
怒号する。車内が一瞬びりびりと震えた。
「怖いなあ」
「お前なあ……」
「ああ…… 悪い」
HALと呼ばれた「彼」は、全く悪いと思っていないような顔でつぶやいた。
「でもな、そりゃそう簡単には見つからないようにしてるものな。でも朱明、お前よく見つけるな。藍地も芳ちゃんも絶対俺見つけられないのに」
くすくすくす。
「お前の行動は時々妙に分かりやすいからな」
声が更に低くなる。
「そうだよね。昔から朱明はそうだった。ずうっとそぉだったよな。お互い放浪癖あるからかなあ? きっと俺たち、遠い昔からのお友達なんだよ」
冗談はよせ、と朱明は眉をひそめた。
中心に向かう道路に入りかけていたのを、朱明は方向転換する。やや予期しなかった行動にHALはシートベルトを身体に食い込ませてしまう。
「あっぶないなあ」
「言える立場かよ、全く」
「まあ確かに言えないなあ」
「何かお前にあってみろ。俺だけじゃない。この都市がどうなるか考えたことがあるのか?」
HALは正面を見続ける。何百回と繰り返される台詞。
もう聞きあきている。そしてその言葉が全く効力の無いことも知っている。
だけどそんなこと言ってはいけない。何故ならそのたび彼らは本気なのだから。
「心配せんでも、俺そぉそぉそんな馬鹿なことはしないよ」
「本当か?」
「約束する」
それが信用できないのだ。朱明にとっては。
幾度そんな言葉を聞いたことだろう。そしてそのたびその言葉は意味を無くすのだ。
「朱明は意外に心配症だ。藍地より下手するとキミ、神経質と違う?」
部分的にはそうだ。それは昔から知っている。
「誰のせいだと思ってる?」
まっすぐ進行方向を見たまま、だが大真面目に朱明はHAL以上の低音で責める。視線は絡まない。
「俺のせいだな」
HALはつぶやく。全くそんなこと思ってもいないような口調で。
「俺のせいだよ。そぉんなことずっと昔から判ってることじゃないの。今さら何言ってんの。俺そんな繰り言いう奴嫌い」
「HAL!」
「ほらほら目は進行方向」
くすくすと笑いがHALの口もとから洩れる。
「あのな、朱明、あんまり怒るとシワが増えるよ。お前、もともと疲れとかすぐに出るしなぁ。俺、お前が年取りすぎた図なんてあまり見たくないもん」
ふう、と朱明はため息をつく。そして車をややサイドに寄せ、ブレーキを踏んだ。
二回目の思わぬ行動にようやくHALは隣の席の男に視線を飛ばす。
「ホント危ないなあ。俺に何かあったらお前どぉすんの?」
「本当にそう思うか?」
「思うよ」
「そう思うんだったら…… いい加減お前、目を覚ませ」
ため息を一つ。大きな手で朱明は顔を半分隠した。
ちら、と窓の外を見る。ああ、とHALはここが何処だったか気付く。
もと高速道路だ。
昔は「都市」の外へ続く高速用の道路だったが、今となっては郊外を「ただ走る」ためのコースになっているに過ぎない。
少しだけ開けた窓から、タイマーの狂った小学校のチャイムが聞こえてきた。
「それでは次に今週の第三位……」
受信状態は良好。都市内あまたあるFM局の一つのパーソナリティが一つのロック・ユニットの名前を告げた。朱明は不快そうにスイッチを切る。
「冗談はよそうね」
HALはベルトの食い込んだ胸をさする。別に痛みがある訳ではない。これがもし胸を切り裂いていてしまったとしても、自分には痛みは感じない。
淡々としたHALの声とは裏腹に、逆に朱明の声はだんだん真剣になる。
「どうしようもないのかよ?」
「どうしようって?」
「この都市がこうなる前のようにできねえかって言うんだよ!」
「時間は戻りはしないよ、あいにく」
「そういう意味じゃねえ」
そんなことは判っている。
「お前は知ってるんじゃねえのか? 何か手だてがあるんだろ? 俺は知らないが、何か。いい加減答えろ。お前が知らないはずねえんだ!」
「何焦ってんの? そりゃあね、全く知らない訳ではないけど」
HALは何気なく言った。朱明は顔を覆っていた手を思わず外し相手を見る。
この答は初めてだった。この十年。
「ねえ朱明、いくら俺だって全く何も感じてない訳じゃないよ。でもね、今俺が、お前が、あいつらが、動いたところでどぉにもならないことばかりだ。どぉにもならん」
「じゃあどうにかなる奴があるってのか? 言ってみろよ、そいつは誰なんだ?」
「……」
「言えねえのか? 言えないってことは、やっぱりそんな奴、いねえんじゃねえか?」
HALの顔からくすくす笑いはいつの間にか消えていた。
「あーあ、消しちゃって。俺今のうた聞きたいんだけどな」
HALは再びスイッチを入れた。ヘヴィで華やかなサウンドと一緒にひどくウェットな声が飛び出してくる。
「俺はこいつは嫌いなんだ」
「へえ」
「ふざけてないで、俺の聞いたことに答えろよ」
朱明は再び乱暴にスイッチを切る。その勢いに、壊れるんじゃないか、と一瞬HALは思う。そしてその口から言葉がもれた。
「朱明さぁ、お前の聞き方、いつも真っ直ぐすぎて俺嫌い」
「おい」
「冗談。でも俺、今は言えない。今ここで言ったところでどうにもならないよ。種はずっと昔に蒔いてある。でもその花がどう開くかは俺にだって想像つかんもの」
「それは無責任だぞ」
「むせきにん?」
手だてがあるならするのが義務というものだろう? と論外に朱明は含める。無論聞こえている。だけど。
「……最大の無責任やらかしたのが俺なんだもの。それ以上の無責任なんて何処にあるの」
HALはうつむく。
無造作すぎる長い髪は重力に従って、彼の顔を隠した。
笑っているのか、泣いているのか、声の表情は、どちらともとれたから。だけどそのカーテンをこじ開けることは。
「でももしかしたら、今度こそは上手くいくかもしれない。俺の望んでいるものが現れるかもしれない」
「だからそれは何なんだ」
やや苛立たしげな問いをHALはあえて無視する。
「動かさなくてはならないものがあるんだ」
朱明は彼の表情を捕らえようとする。顔をのぞき込むべく体勢を変える。
だがシャッターの降りたウインドウは上手くのぞきこめない。
「それに、それを動かしたところでそれが本当に奴を見つけるかどうか、俺にも全く見当がつかん」
「奴―――」
「それに俺は本当にそれを―――」
語尾の抜ける感じ。朱明はハッとして前のめりになる彼を支えた。
助手席のHALは、ただの抜け殻になっていた。
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