2.月曜日の早朝。まだ普通の人々が活動を始める時間には早い。
安岐がここにいるのは仕事だった。
満月が近いから、次の取引になりそうな橋の辺りの様子をうかがってこい、と上司から命じられた。
再び橋の上から彼は「川」を眺めた。霧で半分も見えないが、水の流れの速さはごうごうと鳴り響く音で容易に想像できる。
もともとは何本かの小さな川だったらしい。
決して今の様にぐるりと繋がっていた訳ではない。元々のこの都市は海に面していて、大きな港を有していた。
十年である。この「都市」が「外」と切り離されてから。
現在とて、使われてはいないが、かつて工業系の港町だったことを思わせるような広大な土地が南西の地には残っている。
大気条例のせいで使われることのない大量の新車が、雨ざらしになって朽ちるのを待っている。
「こんな高さではありえない」ともともとこの地に長く住んでいた人々は言う。
過去の大型台風の際、高波でやられたことがある位、海抜は高くない地方である。
そんなに水と地面の差が大きくなることなどありえない、と誰もが思った。
だけど現実、そうじゃないか、と安岐は橋から下を眺めながら思う。
現在のこの「都市」は、中心部である「SK」現在のメトロの中心がある「KY」などを中心にしている。かつて「外」とつながっていた線の駅前は、利用価値の低下により、その地位を明け渡した。
「都市」には現在名前がない。いや、外側の人間にしてみれば、呼ぶ名はあるのかもしれないが、この中に住む人々にとっては、どうでもいいことだった。
彼のもと保護者でもあり、彼の現在の仕事の上司でもある壱岐にとっては、「人生最良の時代」の記憶だったので大切だったのだろうが。
十年は、大人にとっては短いが、子供にとっては長い。
以前の都市が嫌いとかいうのではない。ただ、愛着が湧くほど安岐は以前の都市に記憶が無いのだ。閉じた後の都市で関わった記憶の方が鮮明だった。
そしてその「都市」は満月の夜だけその扉を開く。
次の満月は今度の日曜だった。
橋は「都市」の中心「SK」から見て放射状に八本掛かっている。
そのうちの一本だけが満月の夜「つながる」。
遮断されたこの「都市」が外の世界とつながり、その時必要な物資が補給され、必要とまで言われない物資も補給するチャンスなのである。
だがそれは月一回のその機会、そしてたった一本の橋、しかもそれがどれなのか全く予測がつけられないものである。
誰かの意志が感じられる、と壱岐がいまいましそうに言ったこともある。
基本的には安岐はこの保護者の独り言のような疑問には反応しないことにしていた。だが一度だけ、どうして、と安岐は訊ねたことがある。
「裏をかくのが上手すぎる。遊んでるみたいだ」
「だけどそれは優秀なコンピュータだったら」
反論するこざかしい子供に、保護者は厳しかった。
「だがな安岐、たった八本なんだぞ」
つながり方に法則があるなら、それは自分達でも予測ができうる程度の数なのだ。「たった八本」なのだから。
「八つの目があるサイコロを転がしているようなものだ」
「サイコロは六つしか目がないよ」
そう言ったら、壱岐にぱこんと音がする程殴られた。思い出してくっ、と安岐は笑う。だがその笑いはやがて消えていった。
この小さな都市から脱出しようとする人々が年々増えている。だが脱出はまず成功しない。
都市の出入りは制限されている。
閉じた時点で居ただけの数。それが「適数」であり、それ以上でもそれ以下でも、都市の空間のバランスが狂うのだという。
許可された人数しか、出ることも入ることも許されない。
出る者にはたいてい人質のように家族が公安に監視されている。
「川」に墜ちる分には、「都市」のバランスは崩れないのだという。「川」に墜ちたとしても、撃たれて死んだとしても、「外」へ出る訳ではないから、空間は安定している、ということらしい。
現在この「都市」で最も権力を持っているとされる公安部は、「都市」を守ることを第一義としているから、「都市」のバランスを保つためには「脱出者に対し実力を行使することを許可する」のだそうだ。
つまりそれは、脱出は命がけだ、ということになる。
やれやれ、と安岐はため息をついた。
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