第3話 吸血鬼と地下迷宮






 吸血鬼を代表する能力は何か、と問われれば、ほとんどの者が『吸血』と答えるだろう。

 だが、古の時代から血を受け継いできた生来の吸血鬼からすれば、その能力は『吸血』ではなく『吸魂』あるいはシンプルに『吸収』が正しいと言うだろう。

 吸血鬼が吸収するのは対象の生命力であり、それは別に血を介する必要が無い。古い魔法使いや、現代の魔術師達に分かりやすく伝えるなら【生命吸収ドレイン】のようなもの、と言うべきだろう。類似魔法が多く開発された今の世では、さして珍しい能力では無い。


 とはいえ、吸血鬼の『吸魂』は【生命吸収ドレイン】と一線を画す能力であることは確かだ。なにしろ、加減を間違えれば対象が一瞬で塵になってしまうのだから。


「……この方法は空腹を満たすのにはいいですが、味気ないですね」

「おなかいっぱいになるのは、いいことですよ?」


 散歩をするような気軽さで歩く青年に、ちょこまかと足元にまとわりついていた幼女が首を傾げる。脱げかけのフードから覗く顔は、成長すればどれほどの美女に育つのかと思わせるほど整っていた。ただし、口は常に半開きである。


「食事は美味しいほうが嬉しくありませんか?」

「おいしいはせいぎなのです」


 真面目に問う青年に、幼女は大きく頷く。脱げたフードを深く被り直させながら、青年は周囲に目をやった。


「それにしても、獲物がいませんね……」


 彼等がいるのは、リーヌスの街の傍らにある地下迷宮ダンジョンだ。探索者組合に入会料を払って『探索者の証』を手に入れれば誰でも入れるとあって、出て来る魔物の弱い上層はいつも人で混んでいる。

 人の目を惹きやすい顔をしている二人は、愛用している地味な外套を目深く被って地下迷宮(ダンジョン)へと入った。幼女は流石にその年恰好で人目を惹いたが、入口近くで薬草を採取する幼子も少なくないし、大人に混じって荷物持ちとしてついていく子供もそれなりにいる。そのため、顔を出して動くよりは目立たずにすんだ。


「アル。フード邪魔なの。外しちゃ駄目?」

「駄目ですよ、リリーナ。顔を出すと人が貴族と誤解するでしょう?」

「きぞくじゃないのに……」

「俺もそう思うのですが、いつも誤解されますから、そういうものなのだと割り切りましょう」


 アルことアルノルトも、リリーナも、生まれてからこのかた一度も貴族になったことは無い。それでもこちらを見た多くの人間はそう誤解するのだから、もうそういう誤解を招く顔なのだと納得するしかないだろう。当然、そういう顔の者は色々な人間から絡まれる。穏やかな生活を希望するアルノルト達には迷惑な誤解だった。


「もっと深い階層に進めば、運悪く・・・遭遇することも無くなるでしょう。そこまで進んだら、フードも外しましょう。俺も視界が悪くてせっかくの地下迷宮を楽しめないのが苦痛です」

「アルはダンジョン、楽しいの?」

「色んな光景が見られるので楽しいですね。場所によっては周り一面水晶だったり、地底湖だったり、大森林だったりと、地下なのに思いもよらない光景に出会ったりします。なにより、食べ物が豊富なのがいいですね」

「それはだいじですな!」


 大きく賛同するリリーナに、アルノルトも大きく頷く。


「人より大喰らいな私達は、こういうほぼ無限に食べ物が沸いて来る場所で食事をしないと、他の方々に迷惑をかけてしまいますからね。どんどん狩りをして、沢山貯えながら、どんどん食べていきましょう」

「あい!」


 二人の腰にあるポーチと背負い袋は、それぞれ空間魔法のかかった魔法の品だ。アルノルトはそれに加えて魔法の鞄も持っている。それらの中には、地下迷宮に入ってから倒してきた獲物が数多く入っているのだが、アルノルトはその量では不十分だと思っていた。数日で空になると予想している。


「リリーナにもやり方に慣れてほしいのですが、『食事』は人の目が無い時でないと出来ませんからね……タイミングが難しいです」

「アル、さっき食べてた」

「あれはちょうど人の目が無いタイミングでしたからね」


 空腹に負けたのではないと主張してみたが、幼子の無垢でつぶらな眼差しに目が泳ぐ。


「今は駄目なの?」

「数キロ後ろに他の探索者がいますからね。ほとんど豆粒にしか見えないでしょうが、万が一見られたら面倒ですから」


 ちなみに数キロ先の相手を肉眼で見れる人間はいない。だが、そんな指摘をしてくれる常識人はいなかった。


「私でも出来るのですから、人間だって出来るでしょう」


 というのがアルノルトの言だが、無論、そんなわけがない。


「じゃあ、あの女の人達がいなくなったら、食べていい?」


 同じことが出来るリリーナも、当然その知識が間違っていると気づかない。大真面目に話し合った二人は、出来るだけ人がいない場所を探して奥へ奥へと進んでいった。

 そんな二人の遥か後ろにいた女性探索者達は、彼女たちの視力では見えなくなった二人に慌てて話し合いをしていた。


「どうしよう? チビちゃん達見失っちゃったんだけど?」

「やっぱ上の階じゃない? 小さい子連れてこんなに深く潜るのは無理でしょ?」

「でも、階段降りたあたりまでは目撃者いたじゃん」

「あ~……貴族っぽいイケメンと幼子とか、絶対訳アリなのに、お金になりそうなのにぃ!」

「護衛が必要ならきっと傭兵とか雇ってるだろうから、押し売りしたって雇ってもらえるか分からないけどねー?」


 二人を金蔓かねづると見込んで追いかけていた女性達は、これ以上進むと帰れなくなるからと引き返しはじめる。いつもより魔物の出現率が低いせいで深追いしてしまったが、彼女たちの力量ではこの階層は厳しいのだ。ちなみに魔物の出現率が低いのは、先行する誰かが目の色を変えて食糧確保に勤しんだせいである。


「幼児と言えば、聞いた? 孤児の幼い娘を探す依頼が教会から出てるって」

「人探し? お貴族様の娘?」

「そうじゃない? 探索者組合にも依頼が来るんじゃないかって噂よ」

「孤児で幼い娘なんて、いっぱいいるんだけどねー」


 孤児じゃない幼子の倍はいるだろう該当者に、女性達は笑う。男女で分ければ半分ぐらいに減るだろうが、一見して性別が分からない子も少なくない。栄養不足で背が低い子も多いし、性差が無い年だと一目見ただけでは分からないのだ。


「王家の落とし子だったりして!」

「おお! 夢があるねぇ!」

「そんな夢のある話ならいいんだけど、教会が探してるってのが意味深だよねー」

「実は聖女の神託が降りたとみた!」

「それも夢のある話だよね」


 新しい噂を皆で楽しむ彼女達は、その話声を目で追えないほど遠くの誰かが聞いていたことに気づかなかった。





 ※





 探索者組合は、地下迷宮ダンジョン等で探索を行う者達を支援する為に始まった組織だ。

 地下であれ地上であれ、魔物を生み出す類の迷宮は、沢山の資源をその領域に抱え込んでいる。また、そこで発生する魔物は放置しておくと際限なく増える為、適宜間引かないと領域を超えて外に飛び出してしまう。領域の外といえば、普通の旅人が行きかう場所や人々が暮らす場所だ。魔物と戦う術をもっていない彼等の前に魔物が現れれば、悲劇しか起きない。そのため、迷宮が発生すると、その領域内で魔物を間引く為の人員を配置する必要がでてくる。

 それらを国家を超えて実行する組織が探索者組合であり、そこに集い迷宮と関わる人は全て『探索者』と呼ばれた。ちなみに組合を運営する側は組合員と呼ばれ、探索者とは呼ばれない。

 探索者の多くは地元民で、農家の次男以降の畑を継げない者や、街人でも実家の家業を継げない者達が多い。親を失った子がなることも多いし、老いてなお現役でいる者も少なくないため、老若男女問わずの組織となっていた。

 その組合を運営するのは、主に第一線を退いた探索者や、領主縁の血縁者だ。前者は現役時代の多くの知識を後世に伝え、若手を育成したり、適切な依頼を捌き探索者の生存率をあげることに尽力している。後者は主に利権争いを制し、組合とその組織に係わる人々の利益を守るために尽力している。迷宮のある領域周辺の領主縁なのは、それが力を振るうのに最適だからだ。

 だが、そういった地位のある者には、それゆえに撥ね退けることが難しい『依頼』が舞い込むことがある。

 今まさに、組合長であるカルステンの前に突き付けられた依頼がそうだ。


「……吸血鬼を探せ、と?」


 嫌々開いた口が苦い口調でそう問う。対面に座った大男から迸る狂気のような熱気に、その口元は引きつっていた。


「化け物をそうと知っていてあえて手を出せと?」

「探索者達は勇敢で勇猛だと聞くが?」


 返された問いに、カルステンは咄嗟に罵声を飲み込んだ。

 探索者達は勇敢なのではない。金になるから、そして金がなければ生活が出来ないから迷宮に挑んでいるだけにすぎない。勇猛なのではない。生きる為に必要だからやっているだけのことだ。彼等のほとんどは自分の身を知っている。そうであるように組合が教え続けていたからだ。逆に、自分では戦えないような化け物に挑もうとする者は、多くの組合にとって問題児でしかない。身の程知らずの蛮勇は死に直結するからだ。


「過大評価でしょう。貴方方のような勇猛な方々と比べるべくもありません」


 カルステンは言葉を選んで言う。

 正直に言えば「貴方方のような狂人と一緒にしないでくれ」という言葉になってしまう。化け物を狙い、化け物を倒すために自ら化け物になった彼等のような狂人と、日々の糧を得るのに一生懸命な人々を一緒にしないでくれと言いたい。


「フン……勇気は必要ない。獲物を狩るのは狩人の仕事だ。だが、逃げた小娘一人を探すには世界は広すぎる。そういう意味で人手が必要なのだ」

「……目撃情報の収集、で構いませんな?」

「出来れば包囲につきあってもらいたいものだがなぁ? また逃げられると事だからな」

「……御冗談を。貴方方のような一騎当千の力の持ち主と違い、探索者達はか弱い。貴方方が守ろうとしているか弱き民の一員です」

「ハッ……魔物相手に剣をへっぴり腰で剣を振るうことは出来ても、本物の化け物とは相対できんか」


 カルステンは嘲笑を聞き流す。多くの人々の暮らしを支える組合の長は、短気ではやっていけないのだ。


「万が一戦いに巻き込まれれば探索者など紙のように吹き飛ばされるでしょう。ですが、紙のような彼等がいることで維持されている平和というのもあるのです」

「化け物を野放しにして、か?」

「自分達が倒せる魔物を倒し続け、数を減らし続けることで、戦うことの出来ない多くの人々を守っているのです。その働きは司教様達もお認めです」

「チッ……」


 行儀悪く舌打ちする大男に、カルステンは気を緩めず告げる。一矢報いれたなどと気を緩めれば、その瞬間に食い散らかされるだろう。


「広く情報を集めることで協力させていただきます。けれど、戦うのでしたら可能な限り人里離れた場所でお願いいたします。人の子はちょっとのことで死んでしまうほどか弱いですから」


 大男は嫌な笑みを浮かべて言う。


「俺も人の子だけどなぁ?」


 ご冗談を、とは言わず、カルステンは真面目な顔で言った。


「化け物に相対できる真なる強者とお見受けしましたが?」

「ハンッ……弱い鼠は鼠らしく情報だけ集めて縮こまってるのが似合いか。いいだろう。せいぜいオレが金を払うに相応しい情報を集めてこい」

「……努力しましょう」







 大男が退出し、その姿が街の中に消えたのを確認してからカルステンは小声で叫んだ。


「(化け物の相手なんぞやってられるかーッ!!)」

「器用ですね組合長」


 呆れ声をあげるのは、新しい依頼書を受け取りにやってきた女性組合員だ。どうせ上流階級繋がりで断れない無理難題を押し付けられたのだろうと当たりをつけて来たのだが、不幸なことに当たりだったようだ。


「ははは! 笑えるぞぅ? 吸血鬼退治のために情報を集めろときやがった!」

「全力で『笑えない』のですが――本気ですか?」

「連中はいつだって本気だ。……強力無比な吸血鬼の幼子を逃がしたと、大聖堂から伝書バトで知らされたそうだぞ」

「『逃がした』? あの矜持の高い吸血鬼狩り共がそんな不手際を周囲に漏らしたのですか?」

「矜持が高すぎる連中は、仲間の失敗は自分の成功だと思ってるからな。化け物より化け物な連中が、わざわざ大人しく暮らしていた化け物に喧嘩を売って大きな被害を出すのは大昔からだ」

「暴走する魔物と違って、吸血鬼って伝説の中にしかいない生き物ですものね。正直、私は架空の生物だと思ってました」

「組合の書物にも一応、吸血鬼を調べた本があるはずなんだが……?」

「アレは、不死族系の魔物が変異した吸血鬼もどきでしょう? 吸血鬼狩りが動くのであれば、伝説にある本物の吸血鬼では?」

「まぁ、そうなんだがな……個人的には、連中が本物と間違って『もどき』を追っている説を支持したいね」


 カルステンの声に、女性組合員は苦笑する。

 魔物が変異して成る吸血鬼もどきは時折世に現れる。それでも他の魔物に比べれば出現数が驚くほど少ないのだが、決してゼロでは無い。だが、本物の吸血鬼ともなれば、それはもう伝説の領域である。だからこそ、吸血鬼狩りはその発見と抹殺に血眼になっているのだが。


「寝た子を起こすような真似までして、吸血鬼に挑みたい彼等はいったい何なんでしょう?」

「狂人さ。敢えて言うなら……そうだなぁ……吸血鬼に狂うほど執着したストーカーだろうか?」

「……聞かれたら吸血鬼狩りのついでに殺されちゃいますよ?」

「本物の吸血鬼と連中の戦いが近くで始まれば、どうせ俺なんか余波で死ぬだろ」


 真面目なカルステンの言葉に、女性組合員も「確かに……」と納得する。


「でも、幼子なんですか……? その件の吸血鬼は」

「そうらしいな。どうやら親は討伐済みらしい」

「吸血鬼狩りは一人残らず死ねばいいのに」

「本音が漏れてるぞ、気をつけろ。――その親があんまりにも強かったんで、幼いうちに討伐してしまおうという腹のようだ」

「吸血鬼狩りは一人残らずハゲればいいのに」

「危険物の目印になっていいな。――ただ、情報を集めようにも、似顔絵があるわけでもないし……さすがにこんな街にやってくることは無いと思うんだが、やってきていても見分けがつくかどうか怪しいな。孤児であることと、十歳以下の女の子であることぐらいしか分かってない」

「吸血鬼って赤目じゃないんですか?」

「『暗闇に光る赤目』は人外の特徴として有名だが、二千年ぐらい前の記述に出ている吸血鬼は黒目だったそうだぞ」

「黒目って南国だとほぼ国民全員じゃないですか……どうやって探せって言うんです?」

「まぁ、一応、年恰好と年齢を書いて、この辺じゃ見たことのない幼女が一人で動いていれば怪しい、と」

「無茶苦茶じゃないですか。誤認も多そうですよ。下手したら誤解で殺されるんでしょう?」

「それが一番キツイんだよな。……吸血鬼よりあいつらのほうがよっぽど化け物だよ、まったく」


 忌々し気なカルステンの手から作成されたばかりの依頼書を受け取って、女性組合員はため息をつく。


「まぁ、情報の精査を組合で頑張るしかありませんね。……功に逸って直接あの連中に報せに行く馬鹿がいないことを祈りましょう」

「まったくだ」


 そうして貼られた依頼書は、人探しの情報だけでお金をもらえるとあって、力の無い探索者や下層の人々の興味をおおいに惹いたが、残念ながら目ぼしい情報はなかなか集まらなかった。

 孤児となった幼い吸血鬼が、すでに他の吸血鬼の保護下に入って一緒に行動しているなど、その存在の希少さから彼等の想像の外にあったのだ。

 吸血鬼狩りがその情報を得るのは、女性探索者達が食堂で「この辺では見ない幼児を連れた貴族っぽい青年」の話をした後のことである。







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