第2話 吸血鬼と傭兵組合





 ロータル王国の東、リーヌスの街は早朝から朝市で賑わっていた。

 徒歩一日ほどで国境街のランプレヒトに着くこともあって、この街は国境を目指す旅人や、隣国から来た旅人が多くやって来る。街の規模としてはランプレヒトの方が大きいのだが、あちらは物価がやや高めなため、足を伸ばしてリーヌスで落ち着く者が多いのだ。もちろん、宿もリーヌスの方が安い。

 また、この街が賑わっている理由の一つとして、街の傍らにある中規模の地下迷宮ダンジョンの存在が挙げられるだろう。国境街とさほど離れていない場所にこの街が出来たのも、元々はその地下迷宮ダンジョンで産出される鉱物や魔物素材等の取引が盛んだったためだ。鉱山のある場所に鉱山都市が出来るように、地下迷宮ダンジョン地上迷宮ラビリンスがある場所に迷宮都市が出来るのは、この世界ではよくあることだった。

 迷宮の産物の多くは市で売られる。市は所定の金額を払えば誰でも茣蓙一枚分のスペースで物を売れる為、迷宮に潜る探索者だけでなく、周囲の村からも肉や皮、野菜等が持ち込まれる。市に行けばたいていの物は揃う為、リーヌスに来た者は必ず一度は市に訪れると言われていた。そのため、買い物客には街ではあまり見かけない類の人物も多い。

 今、茣蓙の上に迷宮で手に入れた肉を並べていた少年の前に来た青年も、そういった部類の一人だ。


「これは何の肉ですか?」


 こんな街では滅多にお目にかかれないような美貌の青年だった。艶のある黒髪のせいで、その肌の白さが目立つ。穏やかで深みのある声は、若さと不釣り合いな貫禄があった。どこかの貴族の若様だろうと当たりをつけ、少年は勢いよく商品を売り込んだ。


「旦那、これは普通のより一際デカかった大兎の特異体の肉でさぁ! 滅多に食卓にはあがらない逸品ですよ!」

「おいしいのです?」


 身を乗り出して説明する少年にかけられた声は、青年の傍らから聞こえた。見れば、青年の外套をしっかりと握った幼女が目をキラキラさせながら葉に包んだ肉を見下ろしている。半開きになった口から今にもよがれが落ちそうだ。


「美味いなんてもんじゃないっすよ! 炙った肉を一口食べれば肉汁がじゅわっと口の中にしみ出して、噛めば噛むほど肉の旨味が後から後から溢れてくるんでさぁ! 特にこっちの香草と一緒に焼いたものが最高で、肉に香りがうつっていっそう美味くなるんですよ!」

「おおお……」


 味を想像したのか幼女がゴクリと喉を鳴らす。相変わらず口を半開きにしたまま、青年を期待に満ちた目で見上げた。その動きで幼女の首にかけられたネックレスが見えた。銀貨に穴を空けたものをペンダントトップにしているようだ。この辺の銀貨より一回り大きい。

 幼子の無言のアピールに青年が片眉を上げ、肉に視線を戻す。今がチャンスだと少年はたたみかけた。


「今なら合わせて銀貨五枚……いや、三枚でどうだ!」


 肉単品で探索者組合や肉屋に卸せば銀貨一枚半ぐらいしか稼げない。銀貨三枚はやや割高だが、肉屋で売られている金額とほぼ同じだ。期待を胸に見上げる少年と幼女の視線に負けてか、青年は頷いた。


「では、そちらの肉と香草のセットに、そこの……」


 さらに追加で売られていた肉や香草、薬草の類を指示していく。それぞれ相場前後の値で売れて、少年は大いに満足した。売値としては相場だが、組合等に卸すよりはずっと高く売れたからだ。


(これで武器の手入れが出来る! 新しい武器にはちょっと足りない……旦那が皮も買ってくれたら儲かったんだが、流石に魔物の皮なんかいらないよなぁ)


 あきらかに貴族階級な青年は、お忍びなのか深くフードを被ったまま今も市を巡っている。食道楽なのか、買っているのは食べ物ばかりのようだ。


(貴族なのに、使用人に任せないんだな)


 そういう道楽なのだろうと決めつけ、少年は残りの皮を売るべく次のターゲットへと視線を転じるのだった。




 ※





 傭兵組合には、仕事の種類が幾つかある。

 大別すると三つで、一つは護衛、もう一つは戦争、最後の一つは討伐だ。

 護衛は街から街への道中の安全の為に雇われる。戦争は、大きいものは領地間や国家間の人間を相手にした戦いで、小規模のものは貴族の子弟同士でのものなどがある。戦う相手も自分達と同じ傭兵であることが多いため、護衛に比べて死亡率が高いが、その分報奨金は莫大だ。

 討伐は、魔物や盗賊などの討伐をさす。相手の強さによって金額が変わる為、あまりに少額だと誰も相手にしないこともある。リーヌスのように近くに地下迷宮がある場合、そういった少額報酬のものは探索者組合の方に持ち込まれることが多かった。傭兵組合に所属する傭兵団長が許可しない限り新人が増えない傭兵と違い、探索者は子供でもなれるからだ。もっとも、その分傭兵組合に持ち込まれる依頼よりも依頼達成率は低い。


 そんな、ある種のプロだけが集まった傭兵組合に、一人の男が足を踏み入れた。真っすぐに受付に向かう足には怯みも驕りも無い。足音があまりしないのは、傭兵の誰もが斥候や待ち伏せを経験するからで、ほとんど無意識にそれらの癖が足に出るためだ。逆に言えば、無駄に足音高く歩く傭兵は、仲間達から一段低く見られる。

 受付に座っていた壮年の男は、やって来る男のくたびれた顔を見て軽く驚いてみせた。


「おぅ、ニコラスじゃないか。団長はどうした?」


 傭兵団を引退して組合の受付をしているパウルにとって、やって来た男は古馴染みの傭兵だった。国内でも最大規模の傭兵団に所属する傭兵で、ニコラスはそこの副団長を務めている。もうそろそろ引退の年だと言うのが彼の口癖で、そのたびに若い傭兵団長に引き留められていた。

 実力はあるが向こう見ずなところのある団長を思い出しながら問うたパウルは、そこで予想もしなかった答えを聞いた。


「死んだ」


 一言。

 パウルは一瞬ニコラスを凝視し、次いで一秒だけ黙祷を捧げた。傭兵は、いつ何処で死ぬか分からない。死はとても身近なものだった。

 だが、次の問いの答えは衝撃だった。


「他の団員は休暇をとらせてるのか?」

「全滅した」

「!?」


 パウルは愕然とした。ニコラスの所属していた傭兵団は、百人を超える傭兵を抱えていた。それが全滅となれば、とんでもない話だ。よほど大きな戦争で雇い主の司令官が無能だったか、あるいは途轍もない化け物を相手にしたか――


「戦争か、それとも――」

「吸血鬼だ」

「馬鹿野郎! なんで手を出した!!」


 返ってきた答えのあまりの愚かさにパウルは大喝した。

 世界には化け物が溢れている。動植物が変異した魔物ですら時に人知を越えた化け物に至る。だが、古き時代から綿々と受け継がれる化け物の血脈はそれに勝る怪物だ。吸血鬼などはその代名詞とも言われるほど有名な怪物ではないか。


「吸血鬼狩りの連中に声をかけられた。誕生して間もない吸血鬼がいるから、その殲滅に協力してくれ、と」


 訥々とつとつと語るニコラスに、パウルは頭を掻きむしる。吸血鬼狩りへの呪詛が口から洩れたが、傭兵であればそれを咎める者はいないだろう。宗教上の理由や先祖の恨みの為に吸血鬼を執拗に狙う狩人が『吸血鬼狩り』と呼ばれる連中だ。だが、普通一般の傭兵からすれば、好んで化け物に喧嘩を売りに行く馬鹿であり、放っておけば大人しい化け物に手を出して被害を拡大化させる迷惑野郎共だった。

 そんな連中に、普通なら誰も近づきたくは無い。だが――


「大金を積まれた。ちょうど依頼を急にキャンセルされて、金が入り用な者が多かった」


 吸血鬼狩りの連中は、金に糸目を付けない。

 裏によほどの大物がいるのか、彼等は驚くほど惜しみない金品を差し出して助力を請うてくるのだ。その金が甘い毒なのを知っていても、手を出してしまう者は多い。


「……お前達の所は、孤児仲間に送金してる連中も多かったな」

「先の依頼が完遂出来ていれば問題なかった。だが、戦うために遠出して、伝手のない場所で、支払われるべき金も無しになれば……団員を養う為に何かの仕事を受けなければならない」


 力の無いニコラスの声に、パウルは嫌な考えが頭を過ぎるのを感じた。邪推の類だ。だが、もし当たっていればこれほど悍ましいことは無い。

 そう、もし、ニコラス達の傭兵を雇った『先の依頼主』が、彼等の事情を知っていてわざと仕事をキャンセルしたとすれば――


「……俺は止めた。古い団員も。……だが、団長や、若いのは飛びついた」


 パウルは盛大なため息をつく。向こう見ずな若者だと思っていた。いつか何かやらかすのではないか、とも。だが、腕は良く頭も悪くなかった。いずれ経験を積んで良い団長になるだろうと他の傭兵団長ともども将来を楽しみにしていたのだ。それが、無謀な博打に出た挙句、本物の化け物を引き当ててしまうとは……

 

「本物の吸血鬼だったわけか」


 世の中には偽物と呼ばれる吸血鬼がいる。死者となった後、魔物に変じ、偶然にも吸血鬼に似た能力を得た不死族がそれだ。吸血鬼もどきとよばれるそれらもかなりの化け物だが、本物の吸血鬼には劣る。


「本物だった……ああ、本物だったんだ……しかも、連中が見つけたのは幼児だった。親がいたんだ」

「……最悪だ……」


 本物の吸血鬼は、吸血鬼もどきと違ってほとんど世に現れない。もっている強大な力に反し、ひっそりと僻地で暮らしていることが多いのだ。だが、一度(ひとたび)世に現れればその脅威は甚大なものになる。まして、幼子を養育している時の吸血鬼は竜に勝る。強さも、苛烈さも、執拗さもだ。


「吸血鬼狩り共はどうした?」

「三十人いたが、逃げた一人以外、皆殺された。屋敷を包囲していた俺達も……あっという間に……」


 我が子を襲われた吸血鬼からすれば、吸血鬼狩りの連中も包囲していた傭兵団の連中も同じく『敵』でしかない。

 恐るべきは、三十人もの吸血鬼狩りをほぼ全滅に追い込んだ吸血鬼だろう。吸血鬼狩りと呼ばれる連中は、一人一人が化け物のような強さをもつ。化け物と戦う為に自分も化け物になった連中だ。それが三十人集まっても一人しか逃げ延びれなかったのだ。尋常では無い。


「吸血鬼はどうなった?」


 下手をすれば、怒りのままに生き残りを追い求めて来るかもしれない。顔を青ざめさせながら問うたパウルに、ニコラスは呻くように答えた。


「子供だけ生き残った」


 では、親の吸血鬼は殺したというのか。強大な力を持つ化け物を殺したというのか。

 だが、それは決して安心には繋がらない。親を殺された子供の吸血鬼が復讐を誓わないと何故言える?


「子供は、どうした。逃げたのか、それとも、逃げた吸血鬼狩りを追ったのか?」

「分からない……俺はあの時、あの子供を隠した……娘と同じ年だ……狩人達は怒った……親が来て血塗れになった……方々を逃げた時には、子供の姿は遠くにあった……俺を見てどこかへ行った……親を探していたと思う……だが、親は……」


 ニコラスが語るには、二十人近い吸血鬼狩りが命がけで一人を殺し、残りの吸血鬼狩りでもう一人も殺したのを見たという。伝承にあるようにほぼ不死だったが、何度も何度も繰り返し殺すうちに再生力が落ちるのか死んだという。戦いは一昼夜にわたり、意識も絶え絶えとしていたニコラスには、それらの詳しい内容は分からないという。

 ニコラス以外の傭兵達はほぼ一瞬で殺されたらしい。当然だ。化け物を相手に出来るのは、化け物だけだ。


「俺がここに来たのは、警告を伝えるためだ。吸血鬼狩りに係わるな。どんなに金を積まれても関わるな。連中は狂っている。あいつらにあるのは狂気だ。考えれば分かったはずなんだ……生まれたての吸血鬼を襲うのに三十人も狩人を揃えるはずがない……あいつらは親がいることを知っていたんだ……あんな子供を殺そうとしたんだ……」


 ぶつぶつと呟くニコラスの目は、恐怖と疲労にくぼんでいた。着ぶくれていたから分からなかったが、手や頬は驚くほど痩せている。長年の習性で足さばきこそ常と変わらなかったが、纏う気配も希薄だ。気配を消しているのではなく、希薄になっているのだ。


「……組合で宿を用意してやる。今は休め」


 馴染みのあまりの姿に、パウルはそう告げた。組合の中に匿うことは出来ない。万が一幼い吸血鬼が復讐の目を向けた時、組合に所属する他の傭兵団が巻き添えになってはならないからだ。本来であれば今すぐに追い出すべきなのだろう。だが、パウルにはそこまで感情を排して徹底することが出来なかった。死がすぐ傍らにある傭兵業の中で、古馴染みの傭兵はあまりにも得難い友なのだ。


「これ、を……」


 ニコラスはぎこちない動きで背負い袋を下ろす。音から察するに、中に金の入った財布があるのだろう。件の依頼で得た金なのかもしれない。それを渡そうとするニコラスの手をパウルは遮った。


「おまえが持っておけ。もう廃業するしかないんだから、金はいるはずだ。それを持って何処かで静かに暮らせ」


 呪われた金を手にしたいとは誰も思わないだろう。ニコラスもそうに違いない。だが、生きるのには金がいるのだ。


「情報感謝する。もし、馬鹿共が来たとしても、決して依頼を受けるなと通達しておく。今はこの宿でひとまず休め……」


 ニコラスに渡した木札は、門前宿の一室を借りている証の木札だ。パウルが定宿にしている部屋だが、しばらくは組合に泊まって凌ぐつもりだ。

 ニコラスは落ちくぼんだ目をしばたかせて、木札を抱き込むように受け取る。覇気の無い背が遠ざかり、戸の向こうに消えて、パウルは目を瞑った。幾つもの顔馴染みの顔が浮かんだ。彼等と会えることはもう無い。


「……馬鹿野郎共が……」





 ※





 ロータル王国の王都には、ライムント教会の大聖堂がある。

 多くの化け物を退治し、魔の森を切り開いてか弱き人間達を助けたとされるライムントを主神とする教会では、今、一人の男を助ける為に必死の治療が続けられていた。


「流石は吸血鬼の呪詛、と言うべきか……」

「此度の吸血鬼は余程に高位だったのでは? 十年前の吸血鬼討伐とは比べものにならない被害ですぞ」

「あのヨルダンがここまで追い詰められるとは……」

「アミル様まで討たれてしまったなんて……」


 教会で今も治癒魔法を繰り返す聖職者や巫女達を見ながら、魔力が尽きてしまった為に回復のため待機している男女が小声で話し合う。

 教会に駆け込んで来た男が吸血鬼狩りの一人であることは司教により知らされていた。聖務のため、三十人からなる熟練の吸血鬼狩り達が悍ましい吸血鬼を退治する為に出陣したことも。――だが、そのほとんどが殺され、一人が命からがら逃げ延びるなどという事態は今までになかったことだ。


「もしや、始祖と呼ばれる連中だったのでは……?」


 まことしやかにそう囁かれる噂は、教会同士の繋がりを経て多くの吸血鬼狩りの耳に入ることになる。

 一命をとりとめた男から両親を討伐したことが報告されても、血と名誉を欲する吸血鬼狩りの熱は冷めない。親は死んだが、子はまだ生きているのだ。始祖の子であれば、その子もまた始祖の力を持つに違いない。

 吸血鬼よりよほど吸血鬼らしい血を望む悪鬼達は、一人また一人と災禍に呼ばれるようにロータル王国に集まろうとしていた。







 その頃、迷宮産の食糧を大量に買い付けた青年と幼女は、ほくほくとした表情で調理に勤しんでいた。

 魔道具の鞄の中に入れられた沢山の食糧も、二人のほぼ無尽蔵な胃袋の前にすぐさま消えることだろう。


「美味しい料理と温かい寝床と穏やかな気候があれば、人生幸せですよね」

「おいしいごはんは正義なのですよ」


 調理する傍らから二人して食べる為、皿の上はいつも空だ。新たな肉を焼きながら、青年は独り言つ。


「それでも、我々の要望に反して、人の世界の食糧は乏しい……憂鬱ですね」


 多くの乙女が恋に落ちそうな憂いに満ちた横顔に、幼女もまたしたり顔で頷いた。


「この世はいつも、ゆううつなのです」


 彼等の世界はまだ、平和だった。






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