a43 ひと夏の思春期



「二日間のご宿泊ありがとうございました」


 早朝早く、宿をチェックアウトすると駅の前で降ろしてもらった。宿から駅までは少女の祖父である旅館の支配人が運転する送迎車で送ってくれた。


「孫娘は気に入って貰えたかねぇ?」


 肌のシミがあざのように年期よく入った老骨に筋骨の血管が浮き出ている肉弾戦を好みそうな短い白髪の老人が、紺の漁師風の野球帽を被り直して言う。


「ぼ、ぼくにはもったいないお嬢さんです」

「っは……? かはは。なかなかお世辞な断り方だなぁ。どうするスズや。お前さん。この坊やが気に入ったんだろう?」

「ハーレムの一人になってもいい? おじいちゃん?」

「ハーレムぅ? はーれむってなんだぞ?」

「彼のめかけになってもいいか?ってこと」

「妾ぇっ? かわいい孫娘を愛人めかけにくれてやるだとっ? おい坊主、おまえさん。おれの孫娘をつまみ食いする気か?」

「そんなことなんてする気もないので、お付き合いもしません」

「ワシの孫娘では不満だとやッ?」

「お祖父さんが不満ですぅッ!」

「キサマぁっ! 祖父で女を選んでくれるかッ!」

「少なくとも、もう少し落ち着いてもらえないと尻尾巻いて逃げますっ」

「お祖父ちゃん。ここからはわたしたち若い子に任せて。ね?」


 鼻息を荒くする老爺の丸まった小さい背中を、同じ身長の少女が撫でて宥めている。

 孫娘に宥められた老爺はフンと鼻息混じりに駅前のロータリーに止めた軽のミニバンに乗り込むとそこで頑固に閉じこもった。


「そっくりですね、お祖父ちゃん」

「……なにか言った?」

「……い、いいえ……なにも……」


 目を逸らした百色が、目の前の駅舎に顔を向けた。自分が乗ろうとしている電車が来るまであと30分ほどある。


「わたしも駅の中までついていくから」

「いい。いいですよ。ここで。どうもお世話になりました」


 お辞儀をして駅に向かうと、やっぱり少女もついてきた。百色が切符を買うと少女も切符を買う。


「なに買ってんですか」

「入場券だけど?」


 素知らぬフリをして少女が券売機で券を買っている。入場券とはいえ200円はするはずだ。それを易々と払うなんて……。


「本当は七紀君と同じ切符がよかったんだけどさ……?」

「万はかかりますよ?」

「七紀君の住所は特定してあるからいつでも遊びに行けるし」

「泊まる所は自分で探してください」

「ふっふーん?♪」


 二人して駅の内部を歩きながら、会話をする。少女は改札から駅のプラットホームまで本当についてきた。まったく何を考えているのかが分らない。


「男の子の臭いは……しなかったよ」


 少女が百色に言う。


「七紀君のバッグからは他の男の子の臭いなんてしなかったから安心して」


 その言葉を信じる事は出来ない。

 少女の言葉に返事が出来ないまま、上り線のホームにある屋根付きのベンチに座った。駅独特の線路の鉄と油の臭いがここまでしている。


「処女しか興味がないんでしょ?百色君は」


 ついに呼び方が下の名前になった。


「なら他の女の子から男の影を否定するのは、わたしにとってはデメリットしかないと思うんだけどな」

「あとでぼくを苦しめる罠かもしれない」

「女の子は、好きな男の子を苦しめるよりもモノにしたいの」


 自分の一体どこがいいのだろう?

 百色は真剣にそう思っていた。詩織や他の幼馴染み達なら分かる。昔から知った男子と女子の仲だ。運命として自然と結ばれると思い込んでいても不思議ではない。その理由なら同じ同級生という意味では南栞や涙雫も同じように百色に惹かれていてもおかしくはないだろう。事実、百色も彼女たちの事は特別な異性として意識している。

 あわよくば全ての彼女達の初めての体を食い逃げしたいとまで欲望を抱いて……。


 しかしこの少女とはまだ一昨日おとといに会ったばかりの関係しかない。まだ知り合って三日しか経っていない。ヘタをすれば一昨日の夕暮れと今日の朝で丸二日だけの間柄だ。ほとんど知り合いとしか言いようがない関係。

 それのどこに異性として好意の対象として見てしまう特別な理由があるのか……。


「百色君……わたしを避けてるよね。避けられるとわたしって追い駆けたくなっちゃうから。追い駆けて何処までも探し回って見つけ出すと首筋に齧りついて息の根を止めたくなる……」


 怖いことを言う。


「こういうのって運命って言うのかな。一目ぼれっていう運命ヤツ。わたし、百色君のことしかもう考えられない」


 完全にメロドラマの観すぎだと思う。そう言えば同じような女子が同級生にもいた。


「そっちの学校の男子にだって、ぼくみたいなヤツはいると思いますよ」

「そうかな。女が28人で男は24人しかいないのにそんな子は一人もいなかった」

「それはきっとその子がみんなに隠しているだけです」

「何を隠すっていうの?」

「心の奥底で考えているこの世界の事……とか」


 例えば、この世の真理について……。


「もしそうなら、さっさと吐き出せばいいのに」

「大人がそれをさせてくれないんですよ。特に自分の親がね」


 分ったように百色は言う。子供とは得てしてそういうモノだ。子供は自分の親に逆らえない。


 と、ここで、駅のホームのスピーカーが鳴った。

 電車が近づいていることを知らせるベルが鳴り、線路の遥か彼方では各駅停車の電車が照らす昼間点灯の明かりがほのかに見えてくる。


「お別れだね」

「二日間お世話になりました」

「三日間でしょ」

「三日間っていうより二泊が辛かったです」

「観光に来といて、辛かったなんてヒドい」


 ウソ泣きで言っているのが分かるほど、荷物を担いで立ち上がった百色に、両目を瞑って唇を突き出す。


「……なんですか? それ」

「なにってお別れのキスじゃないっ」

「そんなことしません!」

「ヒドイっ。夜はわたしの体をあんなに好き放題にしておいて」

「勝手にお客の部屋に布団を敷いたのはどこの誰ですか?」

「でもちゃんと最後までシタでしょ?」

「我慢をね」


 少女のボケに少年がツッコむ。

 減速と同時に巻き起こった風圧と共に駅に滑り込んできた電車の速度に合わせて、百色が地面に示された電車の扉の番号のほうへと歩いていく。

 それを目で追って少女も舌を出しながら後をついて来た。


「百色君のおウチってドコにあるんだっけ」

「もう知ってるじゃないですか」

「百色君の口から聞きたいな」


 お願いをして言う少女の視線が、開いた扉から電車に乗り込んだ少年を見る。


「帰る場所、教えて」

「……名古屋です。愛知県の名古屋市。ぼくは名古屋そこに帰ります」


 そこでドアが閉まった。開閉扉のガラス窓越しに少女を見る少年の姿が、走り去って行く電車と共に小さくなっていく。


 少女と少年のひと夏の出会いはここで終わった。


「……名古屋……か……」


 少女の心の中で鳴る鈴の音が……思春期の夏の遠ざかる潮風の中で響いていた。



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思春期の方程式 挫刹 @wie

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