a39 一人旅の電車



 電車に乗って、考え事をしていた……。


〝あの子たちと同じ年頃に、そんな事をしたの……?〟


 あの時、同じ車内に乗っていた仲の良さそうな幼稚園児の男児と女児の二人の姿を見つけると、詩織が口を突いて言った言葉……。

 そう。そうだった。

 そんな楽しそうな幼児たちと同じ歳の頃に百色は、それをヤッたのだ。きゃはは、とハシャぐ無邪気な幼児たちだった。そんな幼児たちと同じ歳の時に自分は大人が見ていない場所であんなに進んだことをした。

 男児と女児の肌が触れ合う体温の感触。それをあれほどまでに暴いてしまう。


 右の座席と左の座席とを、通路を跨いで行ったり来たりして騒いでいる幼児たちを見て、あの頃の自分は何を考えていたのだろうかと、百色は真剣に思い出していた。

 きっと先を走る女児の躰のことしか考えていなかったのだろう。追い駆けて掴んでは肌を触って追い駆けて掴んでは顔に顔を近づけていた。早く異性の味と感触が知りたい。当時の百色はそれだけしか考えていなかった。


「その時に、わたしたちにも同じ事をすればよかったのに……っ」


 恨めしそうに睨んできた幼馴染みたちの四人の顔が忘れられない。それだけ、彼女たちは百色が潔白だと信じていた。

 まだ女子と付き合った事も無いただの童貞だと……。

 その女子達の見くびりは、かえって百色を安堵させていた。それと同時に優越感も。百色は他の幼馴染み達よりも異性の経験に秀でたことに優越感を感じていたのだ。

 自分だけが女子の唇の知っている。自分だけが女子の反応を知っていると……。

 もしこれが逆に詩織たちが他の男と同じ事を経験していたのなら、やはり百色は捨てただろう。これから先の人生で他の男とAでもすれば、すぐにその浮気した幼馴染みの女は捨てる覚悟つもりだった。


〝これからおまえたちが他の男とキスでもしたら、おれはもう付き合わないからな。そいつと付き合ってろっ〟


 百色は躊躇いもなく彼女たちに断言した。百色は中古のオンナには心底興味がなかった。それが例えキスだけであったとしても。

 やはり女は新品の女に限った。他の男の唾を少しでも入れた女は虫唾が走る。百色はキスまでしたら絶対に女体カラダも襲う。百色であればAまで行ったら、それだけで済ませるなんてことは絶対にしない。全てを食い尽くす。だからこそ百色以外に唇を許したら、その女は確実に捨てると決めていた。唇を許す事は体まで許す事を完全に意味する。

 自分が他の女に性的な事をするのはいいが、相手の女が他の男としたらそれは絶対に許さない。それが身勝手な男である百色のどうしても譲れない生来の拘りだった。


 ……と、そんな事を考えながら、流れる車窓を百色は眺めていた。


 時は既に夏休みの半ば、あの海水浴から帰ってきて既に二週間が流れていた……。

外は快晴で、反対の車窓では海が見えているが水平線ではなく遥か向こう岸には対岸の陸地が見えている。ここは瀬戸内の海だった。

 たった男一人旅による四人席ボックスシート


 四人の幼馴染みたちは地元に置いてきた。百色は一人だけで旅がしたかった。その為にお盆の前に宿を予約して一人でここまで出かけてきたのだ。

 窓を開けて走る車内は暑く、外からの潮風と車内で回る扇風機の風が生温く混ざっている。


 きっと今ごろ四人の幼馴染み達は裏切られた腹いせに他の男たちに唇を許していることだろう。それでやっと縁も切れる。心のどこかで百色はそんな事でも望んでいるのかもしれない。四人の女子たちに囲まれる生活は楽しい時もあるが殆どの場合は鬱陶しかった。男は都合のいい時だけ女の躰と匂いと臭いと声と感触と体温と味だけが欲しいのだ。それ以外は特に一人で居ることを強く望む。

 なのに女どもときたら男が一人で居たい時こそ腕を絡めて胸を当ててお喋りを求めてくる。正直に言ってウンザリだった。


 男は常に、女には『都合のいい女』を求めている。その究極が、今の百色の孤独じょうきょうだったのだが……。それなのに。


「……でねー?」

「うわ、なにそれー。きっも」

「だけど、そっれてさぁー?」


 車内の四人席に一人で座っていたら、いつの間にか私服の女子中学生三人組が乗り込んできた。しかも他にも席は空いているのに、わざわざ男一人が座っている百色の席に躊躇いなく近づくと、どっしりと腰を据えて座り込んで賑やかな談笑を始めている。

 百色は努めて周囲の三人組を気にしないように車窓に目を向けて見ていた。


「……でさー。わたしはそう思うのよ」

「あ、ちょっとそれ飲ませてスズリン」

「いいよ。わたしもそっち、ちょうだい」


 白と赤と水色の薄地の女子の服。日に焼けた肌が見えて真っ白な肌も見えた。夏の服の腋下から覗く白い肌と暗がりから見える下着の色と小振りな胸の輪郭。全て、ここではまた新鮮な異性との出逢いの瞬間を感じさせた。


「……ね。いま見たよ」

「わかるー。ちょっとタイプなんだよね」

「学校では見ないよねー」


 確信犯なのか……。またもウンザリする百色は、見知らぬ周囲の地元女子たちにいらない情報を与えたくない。すると車内の車掌音声が、百色が次に降りようとしている駅名を読み上げた。


 助かった。それが百色の率直な実感だった。降りる駅が近くなり、さり気に上の棚に置いてあった荷物を取り上げると「降りるので」と断りを入れて座る女子たちの膝の間をすり抜けていく。

 やっと、あの地獄から解放された。


 唐突に囲まれた女子三人組の地獄からやっと離れられたと思った百色が、開いたドアから駅に降りると背後から声が掛けられた。


「七紀百色くん……ですか?」


 旅行用のバッグを肩に担いだ少年に話しかけてきたのは、さっきまで隣に座っていた軽やかな夏服の少女だった。



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