a34 宿の夜



 夕暮れ近くまで海で泳ぎ、砂浜から人影が少なくなると百色たちも仕方なく宿に戻った。百色たちが宿泊する旅館は、海水浴場から徒歩で五分もかからない使い勝手のいい場所にある。小学校の低学年の頃から毎年、贔屓にしているおなじみの旅館だ。

 今年は、建物を改装リニューアルして初めての夏だそうで、その気合の入りようったらなかった。


「お食事をお持ちしました」

「はーい」


 まだ新しい藺草イグサの香りがする和室の室内に、旅館の仲居さんたちが夕食の料理を持ってパタパタと入ってきた。


「こちらが今日のお夕食でございます」


 大きな座敷机に五人分の夕食が配膳されていく。船盛のお造りに固形燃料の肉料理の鍋物。茹でガニ、天ぷらと焼き魚、フライ。貝料理、小鉢、酢の物などの料理が、所狭しと並べられていく。地元で獲れた魚を奮段に使ったこの旅館自慢の海鮮料理だ。


「これ……全部食べるの?」

「お母さんたち何を頼んだの?いったい」

「え~と、自慢の豪華海鮮料理の竹だって。……梅でいいって言ったのに」

「おれ……お子様セットが良かったんだけどな」


 味覚が子供な百色のボヤキは、全ての女子たちに無視される。


「ではこちらで全部ですので、お済みになりましたらそちらのお電話でお呼びください」


 仲居さんたちが丁寧に説明してお辞儀をすると、音もなく襖を閉めて出ていった。


「……旅館の人たちの視線、意味ありげたったよね」

「気のせいでしょ。それより早く食べちゃおう。茶碗蒸しとか冷めるよ」

「あ、山芋の酢の物がある。はいヒャッくん」

「じゃあ、わたしも」

「わたしも」

「わ、わたしも」


女子達の苦手な、もずくの酢の物に白い山おろしが掛けられた小鉢が四つ、百色の席に集まっていく。


「……おい、さっきお子様膳でいいと言ったオレのセリフを返してくれ」


子供が背伸びなどするものではない。未成年の子供は、大人しく子供用のメニューに甘んじていればいいものを、マセて大人用の料理に挑戦するつもりで注文してみれば子供の食べられる料理など数少なかったという失敗談の黒歴史の数々は、枚挙に暇がないだろう。


「いいじゃない。山芋で精でも付けなさいよ。お父さん」

「そうよ。おとうさん」

「そうそう。おとうさん」

「そうだよ。パパ」


 夕餉の卓を囲んだ幼馴染みたち四人の女子が旅館の浴衣姿で、帯の下をやさしく擦りながら、ただ一人の男であり夫でもある百色を見る。


「今夜もいっぱい頑張ってね?」

「最初は誰がいい?」

「最初はシオリでしょ」

「その次は?」

「もちろんジャンケンで決める」


 何をジャンケンで決めるつもりなのか。そんな事も考えたくない百色は仕方なく醤油皿にお造り用のたまりを垂らすと、四人の女子達からそれぞれ茶碗を受け取って、開けたおひつから白飯をよそってやった。


「じゃあ、わたしはお茶を淹れる」

「まってシオリ」


 新婚さんらしく詩織が湯呑みに手を出そうとすると、それは隣のみどりに止められた。


「……なんで?」

「お茶より、もっとイイモノがあるから」


 ヒッヒッヒッと魔女のように笑って、髪をおろしたミドリが取り出したのは脇に置いてあった膳に用意されていた徳利トックリとお猪口ちょこだった


「ちょ、ちょっとアンタそれって……っ!」

「だ、ダメだよ。ミっちゃん! お酒なんてッ」



 お酒は20歳ハタチになってから。



「……ところがねぇ。これ、未成年わたしたちっていいヤツなんだよねぇ。

知ってる?新発売の『國殺し』ってヤツなんだけどさ?」

「く、國殺くにころし?」

「そう。國殺し。わたしもネットで探してやっと見つけたんだよね。ノンアルコール日本酒っていうの」


 ノンアルコール日本酒。それは数少ない未成年でも一応、飲用する事ができるノンアルコール飲料。


「要は普通の清涼飲料ドリンクと同じよ。オレンジジュースと一緒。でもコンビニとかだとお酒コーナーの場所で売られてるじゃない?メーカー側もまだ未成年への販売には煩いらしくてさ。大人用に開発したから未成年への販売は極力自粛してくれってヤツ。アルコール分は0パーセントなんだから法律的には違反してないのに。それで今日は試しに頼んじゃったんだ。お品書きを見たらあったもんだからさ」



 ……繰り返しますが、お酒は20歳ハタチになってから!(ノンアルコールは知らん)



「よくそんなもの注文したわね。アンタ」

「や~、まずはそんな堅いこと言わずに一献っちゃってよ!みんなっ」


 料理の並ぶ空いた片隅スペースにお猪口を五つ並べて、徳利に入った酒(※違ったノンアルコール飲料)を注いでいく。


「ほら」


 透明な液体を並々に注いだお猪口をトントントンと配ると、五人は一気にクイと呑み干す。


「わ」

「む」

「お」

「お~」

「お、おいしい~」


 酒の味(?)を覚えた四人の幼馴染み少女は気に入ったようだった。特にみどりは恍惚にほう、と色っぽく一息を吐いて、次のトックリを探している。

 ※重ねて言いますが、未成年の飲酒は法律で禁止されています。飲酒は20歳ハタチになってからです!(大事な事なので何回も言いました!)


「これはヤミつきになっちゃうかも~」

「ね、もう一本頼む?」

「ダメだって。これ見て値段。國殺し一本500円だってッ!」

「うわぁ。ホントに大人の飲み物じゃない」


 そんな大人の味を、子供が覚えたら間違いなく国が滅ぶ。故に國ころし。

 一人と四人の少年少女がワイのワイのりながら、豪華な料理の上を、袖をまくった細い腕たちが箸を持って行き交い始めた。女子たちが、用意された美味と美酒(?)に酔う饗宴。


「どこ見てるの?」


 料理の並んだ座敷机に身を乗り出して、次の賞味を探していた詩織が、百色を見た。前屈みになった詩織の垂れ下がった浴衣の胸元からは、柔肌の双房の谷間が暗闇を間にして見えている。


「もしかして……我慢できない?」


 パクパクと豪勢な食事を箸で抓んでいく油で濡れる笑った唇が男を煽っている。赤身の刺身が、カラリと揚がった天ぷらが、煮えた肉が、ことごとく浴衣のえりから覗く少女たちのまだささやかな胸の乳の養分になっていく。

 夜に子を宿すために男と結ばれて弄ばれるための乳房を……。


「食事が終わったら……温泉だからね? おとうさん?」


 しかし、残念かな。この宿の温泉は、公序良俗に都合よく男湯と女湯に分かれていた……。



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