a33 海の家



 海から上がって、親たちのいるビーチパラソルに戻ると時刻は既に午後を回っていた。海水でベタつく体を、海の家付近にある脱衣所のシャワー室で洗い流して真水に濡れたまま毎年行きつけの海の家で昼食を摂ることにした。


 この海水浴場には海の家が三軒ほどあり、百色たちがお気に入りなのは左端にある海の家である。方角的には北寄りと言えばいいだろうか。

 海水浴場の最も松林沿いにある海の家「サザン」。海の家「サザン歌」のメニューは海鮮系で勝負しており、大あさりやサザエの浜焼きなどと共に当然定番のイカ焼きや焼きトウモロコシなどがあった。それ以外にもオーソドックスなメニューも取り揃えている。


「いらっしゃいませー。何名様ですか?」

「15人です」

「じゅ、十五名様っ、少々お待ちくださーい」


 突如として出現した大口の顧客に、海の家の従業員も飛び上がって店の奥に消えていく。醤油の焼けた香ばしい匂いが空腹を誘った。百色たちはまだいいが、幼い小学生の妹たちは直ぐに空腹を訴えだすに違いない。


「た、ただいま混雑してきてまして。お席が離れてしまうかもしれませんがよろしいですか?」

「いいですよ。五人分の席を三つお願いできれば十分です」

「か、かしこまりましたー。五番さま、別れてもいいそうでーす!」


 戻ってきた肌の焼けた店員が店内に向かって言うと、百色の親たちも微笑んでいる。幸いなことに待ち時間はそれほど長くなく。結局、テーブルの配置は百色たち五人と家族たち残りの十人で二つに別れた。

 長ベンチで堂々と席を占領する親や姉妹きょうだいたちと、背中合わせに申し訳なくテーブルに着く。強い日射しを受けて切れ目の入った葦簀よしずの細長い涼し気な影が、百色たちの肌に映った。

 この海の家の屋根は木製の柱に葦簀を敷いていただけの簡素なものだった。


「えーっと、みんな何にする?」


 海の家特有のベタベタになったビニールカバーのメニューを見てピンクのビキニの詩織が言う。


「わたし焼きそば」

「カレーライスにしようかな」

「おれラーメンで」

「わ、わたしもラーメン」

「おとーさーん、こっち焼きそば二つとカレーひとつとラーメン二つねー」

「おーう」


 百色の背後に向けて詩織が叫ぶと詩織の父親の声が返ってきた。それと同時に水とおしぼりもやってきて、後は注文の品がやって来るのを待つばかりである。

 カランとお冷のグラスが鳴った。やはり海の家特有の塩によるベタベタ感が残るグラスには冷たい水滴が付いている。百色はこの塩分を思わせる不快感がやはり苦手だが、他の海水浴客は気にもしないのだろうかといつも不思議で仕方なかった。


「ねー見た? あの五人」

「うん。女の子の中に男の子がいるって」


 ヒソヒソとここでも好奇心に満ちあふれた風評の言葉が聞こえてくる。見ればこの海の家の店内にも、百色と同い年ほどの男子や女子はいるが、それでも男女が一緒にいるのは稀だった。


「わたしたちのこと噂されてるねー」

「どっちかっていうと噂されてるのはオレだけだよね」

「よ、この色男」

「冗談キツイって」

「なら、ここでキスでもすれないいんじゃない?」

「芳野のおじさんがここにいたら発狂してるな。そのセリフ」

「わたしたちのおっぱいも揉みまくってさ。見せつけてやればいいんだよ」

「やっぱり、おじさんたちにも来てもらうべきだった」

「残念だけどウチのお父さんとお母さんは今ごろシオリんトコロのモモとタマん所の可愛い弟の面倒を見てるからダメ」

「ミっちゃん。本当にありがたいと思ってる」

「ごめんね。みっちゃん」


 詩織と珠美から言われて、ミドリも肩で竦めてみせた。


「まあいいけどね。猫のモモはともかくタマの弟は男だもん。ウチって男には恵まれなくてさァ。お父さんもお母さんも男の子が欲しかったみたいだから……」


 テーブルに頬杖をついて遠くを見る。


「男はオレ一人だけだもんな」

「ライバルが増えたよね」

「10歳下のライバルか。不足はないね」

「チンチン可愛いよね。イジメたくなるし」

「そ、それはダメぇ!」

「あの凶暴なオチンチンがタマのモノ……か……。弟って罪だねぇ」


 どうしても下半身の話になるのか、とウンザリしながらペットボトルの栓をプシッと開ける。


「あ、また炭酸水」


 目ざとくミドリが百色の口に含んだペットボトルを見た。海の家の壁際に備え付けてある普段より価格が高くなった自販機で買った、無糖の炭酸水。


「モモって炭酸水、好きだよね」

「慣れると、コレが一番うまいんだ」

「ね。それ頂戴」

「え?」

「頂戴よ。わたしも飲んでみたい」

「買えばいいじゃないか」

「そんなマズそうな物を250円も払って買うのってハードル高いでしょ。お願い」

「まって。だったら最初はわたしが欲しいッ」

「シオリが?」

「そうよ。わたしが最初。みどりは次! ……それでいい?」


 詩織が伺い見ると、いつもならケンカ腰になる筈のミドリは何故か今回は素っ気なく頷いて退いた。


「いいよ。じゃあ最初は詩織に譲ってあげる」

「やった。ありがとう。じゃあさっそく、ヒャッくん、ソレちょーだい」


 詩織が無邪気に手を伸ばしてきたので仕方なく自分のペットボトルの炭酸水を渡す。渡された詩織は、それを遠慮なく口に含んだ。


「……ーんっぅ、マッズ。やっぱりわたしには甘くない炭酸なんてムリ」


 貴重な一口を奪っておいて、その言い草は百色をしかめっ面にさせるのに十分だった。


「はい。じゃあ次はみっちゃん」

「ごめん。やっぱいい」

「はぁ?」

「やっぱりいいって言ったの。いらない」


 突然の心変わりに不可解さを感じながらも、炭酸水が返ってきた百色は喉の渇きに負けてもう一口飲んだ。


「ゴメン。やっぱり要る」

「うぁぁぁッ?」


 遠慮なく伸びてきた手が、百色から炭酸を奪い盗る。


「うっぶっ! ホントにマッズいッ。よくこんなものが飲めるわね? アンタ」


 口を手で拭い、ゴミを見るような目で百色を睨んでくる。そして突き出された手には、一口分をやはり奪われた炭酸水があった。


「……もしかしてさ、サっちゃんやタマちゃんもコレの一口が欲しいとか思うの?」


 ペットボトルを受け取った百色が恐る恐る確認すると、複雑な表情をしている水着の紗穂璃と珠美が首を振る。それを見て、まだ怪訝な面持ちの百色がもう一口、ペットボトルの炭酸水を口に含むと……。


「……ごめん。やっぱり一口貰える? 百ちゃん」


ねだるように訂正してきたサホリの顔を見て、自分の予想が当たった事に気付くのだった。


「……みんな、オレが口を付けたのが飲みたいワケ?」


 男との接吻キスを欲しがる、水着の女子たちの心はどこまでも分からない……。



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