夏休み 中学一年

a32 海水浴場



 水着売り場で出会った南栞みなみしおり涙雫なみだしずくとは特に会話をする事もできないまま、四人の幼馴染みたちと一緒に水着を買った日から、何事もなく数日が過ぎて間もなく。

 ようやく中学校生活、最初の一学期は終わりを告げた。面倒くさい油引きもする学校の大掃除の翌日には終業式も終わり、ついに念願の夏休みが始まった。


 暑さと青い空と白い雲と途方もない解放感が待っている筈の期待しかない賑わった夏には、清々しいクチナシの白い花の匂いが充満している。


「じゃー、先に行ってるねぇ」

「はーい。子供たちだけだからってあんまりハシャがないでよ」


 ガチャリと車のスライドドアを開けて、まだ荷物を運び込んでいる親たちの苦労を後にして、

いずみ詩織しおりと芳野みどりと都木つづき紗穂璃さほり佐糖さとう珠美たまみの幼馴染み四人は、最後尾を離れて付いてくる七紀ななき百色ひゃくしきを何気に確認しながら、緑の林の奥にある海水浴場へと向かった。


「ほらヒャッくん。もっと早く歩いて」

「ちょっと、一人だけ遅いんじゃないのぉ?」

「早くしないとわたしたちナンパされるかも」

「七くん、行こ?」


 既に水着に着替え終えた幼馴染みの四人に言われて、一人だけハーフパンツ状の海水パンツ、通称海パンを穿いた百色はウンザリとついていく。


 ビキニが三人、レオタードワンピースが一人の四原色だ。色は、ピンク、黄色、水色、白。

 この夏、買ったばかりの賑やかな水着の新色たちは、手に手に浮き輪やビーチボールを持って、緑の暗い影の中へと進んでいく。林の暗がりになった木陰の一本道の、脇に溜まっている砂の量が多くなってきた。きっとこの先にある砂浜の砂が、ここまで風で流れてきたのだろう。

 心なしか砂の焼けたサンオイルのような匂いも漂ってくる。百色はこの匂いが好きだったがすぐに潮の香りまで混ざってきた。

 見えてきたのは、緑の林の終わりでそびえる灰色のコンクリートの堤防の壁。この灰色の硬そうな壁を越えれば恐らくすぐに……。

 見えた。

 階段状になったコンクリートの無機質な堤防を上って越えると、すでにビーチパラソルがあちこちに広がった砂浜に出てきた。


 ここは百色たちの住む同県内にある海水浴場の一つだ。毎年、夏になると決まって幼馴染みたち五組の家族ぐるみでやって来ている海。


「お父さんたちのビーチパラソルはぁ、あった……あそこだ! みんなはこれからどうする? わたしは先に泳ぎたいんたいんだけど」


 すでに子供っぽい浮き輪を持った詩織が言う。当然それに続いて黄色のみどりと水色の紗穂里、白の珠美が賛同して偏っていく。


「おれはおじさんたちの所に行ってるよ。これお前たちの荷物だろ?」


 嫌味も込めて、ここまで荷物持ちをさせられた百色が両肩で担いでいる手提げバッグを見せた。この二つのバッグの中身は全てこの四人の女子たちの荷物だ。日焼け止めに空気入れにその他諸々の女子には必需品の荷物グッズが入っているらしい。


「ちゃんと目印わかる?」

「シオちゃんたちの水着は目立つから分かるよ」

「よーし。では荷物を置いたらすぐに来てよ。女の子から男の子に一番大事なご褒美あげる」


「期待しないで、ゆっくり行くよ。あと、さっちゃんは、それいるの?」


 百色がそれとなく、上と下が一繋ぎのワンピースの水着を着ている紗穂璃の腰に巻かれたカラフルな腰巻上の布パレオを指差した。紗穂璃の水着はスクール水着のように前の露出は少ないが、背中は腰の上辺りまで丸見えになっている。


「邪魔になりそう?」

「なるでしょ。一緒に持ってくよ」


 両肩で食い込んだ重いバッグたちを担ぎ直して、紗穂璃のパレオを受け取ると海に走っていく四人を見送りながら、先行していた別動の保護者たちが作ってくれていたビーチパラソルに辿りついて荷物を置く。


「おじさんたち、どこか行ったのかな?」


 ビーチパラソルを最初に発見した時には確かに見慣れた一人、二人の大人の人影を見かけたのだが、砂浜を歩くのに夢中になっている内に百色を確認した大人たちは波打ち際とは反対の海の家の方角に行ったようだった。


(なら、しばらく待った方がいいのか……)


 ……などと思っていたら、百色がやって来た松林の方からどこかで見た家族たちが手を振ってきた。あれはどうやら、宿に止めた車から荷物を出していた他の親たちが追い付いてきたのだろう。水着の人ゴミに紛れながらも、背伸びをして、百色に海に行けと指を差している。


「荷物ここだよー!」


 大声で言って、百色も手を振った。団体でやって来る家族たちも大きく頷くと、早く海に入って来いと手振りで返している。

 小さな妹たちが既に海に走っていく姿が見えた。どうやらもう待ちきれない様子だ。


 それを見て、百色も打ち寄せる海の方へと向かって歩いてみた。


 刺し込む日射しで熱い砂浜の砂が、足の裏とサンダルの間に入ってくる不快感。渇いた砂の熱い感触が、冷たく堅い濡れた足跡を残していく砂利の感覚に変わっていく。泡を乗せて寄せてきた白波の端が、足のくるぶしまで浸った。

 引いていく波が足元の砂ごと百色を吸い込むように引き摺り込んでいく。


 誘われている。


 これ以上進めば……百色は涼しく生温い海水に肩まで浸かる事になる。一年ぶりとなる懐かしい母なる海との邂逅は、すぐ目の前にあった。

 広がる水平線の先には対岸の他県の陸地が見える。この海水浴場は内海うちうみにあった。県内の二つある湾の内の一つにある海水浴場。波は穏やかだがその代償に海の色は濁っている。百色はそんな濁った海質が好きだった。


「なーに、してるの?」


 日光に火照った背中に突然襲って来たのは、想い出した濡れる水着の冷たい感触。女子の胸の柔らかさがみだす布で邪魔された、あの特有の違和感ある感触だ。


「シオちゃんか」

「シオリだけだと思わないでよ」


 右腕に絡みつく、濡れた髪と両腕と腹部の体温に水着の谷間の質感。


「ねぇ、わたしの場所は残ってる?」


 左腕に回ってきた細い腕は、白昼堂々と露出の少ない水分で潤いを与えた。


「待ってたよ。七くん」


 一番背の低い水着の十分過ぎる膨らみが腹部にぶつかると丸身を帯びた鼻先が肋骨に当たる。海水か汗か分からない惑わす感触が、百色の体に広がっていくのが分かった。

 思春期に従う女子たちと怯む男子が濡れた肌で触れ合う瞬間は、冷たく水滴と温かい体温。


「浮き輪やビーチボールは?」


 男子の疑問に、止まった時間は答えない。打ち寄せる波に、落ちたレジャー用品は渚の動きを繰り返していた。



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