a23 10代のママごと



 今日は学校の荷物が少なくて助かった。スーパーカブキで購入した物をマイバッグに袋詰めしていた時の、それが正直な感想だった。下校時の荷物がリュックだけで済んでいたのが、そもそもの救いだ。

 パンパンに膨れた布のマイバッグを両手にって詩織と二人、通学路から大きく逸れてしまった道を歩いて家に帰った。

 今夜は百色と詩織が夕飯をつくる当番である。朝にメモを渡された時点で覚悟はしていた事だが、学校生活の直後に家事まで手伝わされる義務を与えられると、ほとほと嫌気しか差さない。

 やっとの思いで家に辿り着くと、重い荷物をキッチンに置いたまま二階で急ぎ部屋着に着替えて、また一階に戻った。


「支度はじめよっか」


 口に咥えた髪留め用の黒ゴムを後ろ髪でまとめるために使って、詩織が言う。


「服……着替えないのか?」


 買ってきた大量の荷物を、布のマイバッグから冷蔵庫に仕舞っている百色の傍らで、制服にエプロン姿の詩織が蛇口を捻り鍋に水を張り終えると、換気扇を点けて、カチカチカチとガスコンロの火を手際よく起こした。


「……いいでしょ? セーラー服にエプロンって。誰かさんはこれが大好きみたいだから」


 どこかで見たピンク色のエプロンにセーラー服が映える姿の少女は、笑って百色を見ながら、買ってきた野菜を掴むと生板まないたに置く。


「使わない分は冷蔵庫にちゃんとしまってよ。今日の献立はカレーだから」


 いちいち過去と比べてくるのは服装だけではないらしい。カレーを作るのに必要な分だけ残しておけと暗に命令される。


「ブロッコリーは?」

「沸騰したら入れて」


 火に掛けられている鍋の水。隣のヤカンと一緒に強火で全開に当てられていた。


「カレーにブロッコリーって入れないよね?」


 まさかとは思うが、泉家での会話でもそんな話は聞いた事がない。


「茹でておけば、後でつまめるでしょ?」


 そういう事か。詩織の言葉に納得して百色は頷く。

 夕飯に使わない食材は全て冷蔵庫に詰め込んで手を洗い直すと、流しに行って脇に置いたブロッコリーを流水で洗った。緑色が水を弾くブロッコリーをひっくり返して、蕾笠カサの裏側の部分に水を貯めさせる。


「洗った?」

「ああ。マナ板、使うよ」


 詩織と場所を代わって。水を切ったブロッコリーを白い生板まないたの上に置いた。手に取った包丁を水にさらすと太いくきの部分に刃を当てて最初の斬れ込みを入れていく。


「ブロッコリーが……死んでいくな……」


 料理ころしをしながら、百色は声に出して言った。ただの野菜でしかない傘型の緑色野菜であるブロッコリーの笠とみきを二つに両断させる為に銀色の包丁を握ってとしていく。

 最初は黄緑色のみきの皮の部分。そこに斬り込みを入れて力を込めて両断させていく。ほら、包丁の刃がブロッコリーの幹に食い込んだ。そこから相当に深い斬り込みを入れるように目指す。

 人間の指だったらとっくに切断されている斬面の深さ……。

 包丁でグイグイと方向を変えながら亀裂を深めていく刃を、どんどんとブロッコリーの太幹に沈めていく。まだ三分の一。やっと半分。そしてとうとう四分の三まで来たところ。あと一押しで、ブロッコリーのくきは右と左に真っ二つに両断されるだろう。笠の可食部と……いらない根元の部分を切り分けて……。


「……痛いか?」


 百色は言う。


「……痛いのか? ブロッコリー?」


 死人の目をして百色は言う。


「……フンっッ!!」


 幹の硬い部分の終わりで切断が止まった文化包丁のミネに手を添えて、力任せに押し込んだ! パキン、と遂にブロッコリーは緑色の笠といらない幹とに両断される。


「ーーーーーーーーーーーあーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 ブロッコリーの叫び。ブロッコリーをまな板の上でついに両断してしまった百色には、それが聞こえている……。

 カサと茎に両断された無惨なブロッコリーの叫ぶ声が。

 野菜が……叫ぶ?

 精進料理の仏教でも菜食主義の間でも命ではないと決めつけられる憐れな植物の野菜が?


 野菜に命はないのだろう? だったら別にいいのではないか? これぐらい想像しても? なぜこれを想像しない? 自分の指が切られたら、これぐらいは反応しないのか? 自分の指はダメで?ブロッコリーならいいのか? 野菜だから? 植物だから? しかし植物も? 実は「声を出さないだけ」で痛みを感じているなどはあるのではないのか? ただ声に出せないだけでッ? 声に出さなければ? 何も考えずともよいのかッ?

 いつも切られて喰われていく野菜たちも……実は料理の最中には絶叫をしている! などという事は?

 ……。

 笠と茎に分けたブロッコリーの笠の部分に更に包丁を入れて、蕾の笠を小分けに切り分ける。細い茎と茎をプチョンプチョンと切っていく。

 そしてコンロにはグツグツと火にかけられ沸騰している鍋のお湯がある。この煮えたぎる鍋の湯に……入れるぞ?

 包丁で切断された緑色のブロッコリーを……? 小分けにされた一口大の大きさに強制的にされた野菜……。これを茹でる。

 このグツグツの鍋の中に放り込む。そしてホクホクと湯気を上げて出来上がるのだ。キレイに茹であがったブロッコリーがッ。

 ……美味しそうだろう?

 斬られて? 切断されて? 沸騰する湯に放り込まれて出来あがる。

 ……火傷か? ああ、ヤケドだな? 火傷ヤケドじゃないか? このブロッコリーの死因はなんだろうな? 刃物による刺傷なのか? それとも茹でたことによる火傷? それでも、どうでもいいことだろう?

 どうせ……美味しく食べられればそれで幸せなのだろうからなッ?


〝美味しく食べてやるから、死んでくれませんか?〟


 それとも?


〝美味しく食べてもらえて、きっと食材コイツも幸せだろう〟


 このどちらか、か? 自分が誰かを差別して虐待するのは楽しくて心が美味しくて仕方がないから、お前らは差別されながら虐待されて死ぬのが本望だろう?

 ……。

 そんなフザケた言葉が、料理をする百色の思考の中で何度も何度も浮かび上がる。その度に、百色の凶器はしを持つ手は握力を増した。


「ふざけるな……」


 鍋の中で茹でられていくブロッコリーを菜箸で掻き混ぜながら言う。


「ふざけんなよ。お前らッ」


 誰に言うでもなく百色は怒りに任せて茹であがったブロッコリーを流しのザルに打ちげた。


「ブロッコリー茹でた? じゃあ次はこれね」


 エプロンの詩織が今度は玉ねぎと人参とジャガイモをまな板の上に乗せる。皮を剥ぐ時間が来たのだ。そしてまた斬り刻む時間。

 百色は命を殺していく……。植物とはいえ、誰も深く考えない野菜の命を……。


「これが終わったら……ア~ン、してあげる」


 新妻のように詩織が言う。


〝ハイ、おとうさんごはんですよ〟

〝うん、ありがとうシオちゃん〟

〝ちがうでしょ。ここはシオちゃんじゃなくておかあさん!〟


 怒られた……懐かしい……ママゴトの記憶。 あの吐き気がするほどの呪われた瞬間が、大人の証として確実に近づいていた。



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