a22 買い物



 涙家でのお泊りイベントも無事に終わったゴールデンウィークが明けてから、数日が経ったある日の学校帰りにスーパーに立ち寄った。

 スーパーカブキ。

 この地方では圧倒的なシェアを誇る生鮮スーパーマーケットの名前だ。カブキ系列のスーパーは特売をウリにしており、朝刊にチラシがはさまれてある日などは集客量が尋常ではないことで有名だった。


 時刻は夕暮れ前。制服姿の百色と詩織は二人で、近所にあるスーパーカブキ鉢栖河はちすが店に入るとカゴとカートを取って入り口すぐの野菜売り場青果コーナーに向かった。

今朝、詩織の母親から買って来て欲しい物を書かれたメモを渡されて、今は詩織が睨んでいる。


「えーっとねぇ。買わなくちゃいけないモノはニンジン、玉ねぎ、ネギ、キュウリ、ジャガイモ、大根、ハム、豆腐、納豆、海苔に合挽ミンチ、卵、豚肉、鶏もも肉、牛乳、食パン……え、これスゴイあるんだけど。お母さん」


 黙々とメモの内容を読み上げながら詩織が先を進む。カートを押して歩くのは百色の役目だ。

スーパーの中に入るとすぐに鼻につくのは青果のニオいだ。百色はやはりこの野菜と果物が入り混じった青いニオイが好きではない。


「じゃあ、まずはアレとこれとそれと」


 適確に指示を出していって、カートの上と下に乗せた赤色のカゴに母親から頼まれた物を放り込んでいく。セーラー服の少女と詰め襟の少年が仲睦まじく二人して買い物をしている姿はまさに新婚夫婦。


「この量、本当に買ってくの?」

「しょうがないでしょ。頼まれたんだから」


 メモに書いてあった品物の名前をボールペンで半数まで「済み」の線を引いていくと、カゴが一つ埋まってしまった。

 あともう一つのカゴで、残り半分の要求しょうひんを全て収集しなければならない。


「おばさん、もうちょっと考えてくれないかなぁ」

「わかった。そう言っておく」

「やめてください。ぼく、死んじゃう」


 そう家庭的に。社会的にではなく家庭的に抹殺されてしまう。泉家の実権を握る詩織の母親を怒らせると、百色でさえ例外ではない。


「アイスを買うっていうのは?」

「ナシ」

「あ、ポテトチップスの新製品」

「粉砕するわよ」


 よそ見をする百色の物欲を悉くことごと握り潰しながら、陳列棚を物色する詩織は調味料などを取っていく。塩、醤油はオーダーに無かったが、カレールーやミートソースは要求されていた。あとは麻婆豆腐や青椒肉絲などの中華料理用のソース類。

 このメモの内容で、これから一週間の献立メニューはなんとなくだが想像はつく。


「弁当用の食材がないけど大丈夫かな。冷凍食品も書いてないけど」


 中学生の弁当用の食材は、特にその消費量が半端ではない。


「メモにないってことは、家にはあるって事じゃないの?」


 暢気に言った百色が、陳列棚の谷から出ようとして奥を見た時……。


「……ぁ……」


 小さく言って、百色は立ち止まった。そこは精肉コーナー。スーパーの最後列であるT字路の突き当る場所。夕飯前の食材を買い込もうと客足が引っ切りなしに激しく往来している三大コーナーの一つだ。


「ねぇ、きょうのバンゴハンなにー?」

「ハンバーグよ」

「やったー」


 そんな、どこにでもある日常的な家族の会話が聞こえてくる。


(……ハンバーグ……)


 百色は、精肉売り場の陳列棚を見た。牛肉、豚肉、鶏肉。ハム、ソーセージ、ウインナー、ハンバーグ。加工肉に生肉。その他にも焼き肉用やステーキ用、しゃぶしゃぶ用など様々な赤色の肉の部位がパック詰めにされて陳列されている。

 ……解体された……肉。

 百色は凝視した。……解体された肉が並べられている。人間に食べられるために。それを美味しそうにカゴに入れてレジに向かい金を払っていく人々……。この肉の塊りになった食材を……カゴに入れ、レジに持って行き、買って、そして家で料理して食べるのだ。そして食べきれなくなったら、食べ残してあっさりと捨てる。

 よく見る光景だ。何を不思議に思う事があるだろう?

 どうやってこの肉が、このスーパーで肉の塊りにされて並べてあるのかも想像せずに、ただ無邪気に空腹に任せて夕飯のことしか考えていない「何の罪もない子供」と家族。


 何の罪もない……子供? 何の罪もない命?

 よく聞く言葉を、鼻で笑った百色は手に取った。陳列棚の下から二段目にあった200gの肉のパックを。挽肉ミンチだ。合挽ミンチ。

 肉をミンチにして売っている商品。それを他の客も手に取って満足して買っていく。


 ミンチにされた……肉。白の脂身と赤の赤身肉が混ざったミミズが絡まったようなキレイなモンブラン状の中身がトレーのラップから見えている。


(そう言えば……涙さんでは「いただきます」て言ったっけ?)


 言った覚えのない。忘れてはならない言葉を今さらながらに思い出した。あの涙家の夕食時でも、この食材は使ったはずだ。百色の家ではカレーの肉は挽肉を使う。


(……この肉って、どうやって生み出してるんだろうな?)


 どうやって……生み出してると思う?

 どうやって……どこからこの肉は切り卸されてここにパック詰めされてあるのか? この切り取られた肉は何の動物から切り取られたのか? それを人間がどうやって、ここまで加工ミンチにしたのか?

 百色はいつも不思議だった。スーパーに来ると常に「数え切れないほどの食材」が用意されている。この食材はどうやって集められているのか? どこから獲ってきたのか? どれだけの量が、今もこの日本中のスーパーに並べられているのか?

 百色はいつもそんな事を考えてしまう。これだけの量を

 この食材にされた肉の塊りは……もしかして過去では生きていたことがあるのか? 生きていた物を……殺したのか? そんな事をして、これほど大量の食材にくにしてならべているのか?

 美味しく食べられる為に? ……百色は、スーパーに来るといつもそんな事を考えてしまう。

これだけの量をもしかしても、他のどこかの人間が殺して用意していたら……、そんな人間たち自分たちが……こんな世界で、のうのうと生きていていいのだろうか?


 お物思いに耽る百色が意識を戻すと、いつの間にか持っていた精肉のパックが、ミンチから豚の切り落しに変わっていた事に気付く。

 このブタを殺して肉にしたのは……、いったいどこの誰なのだろう?


 そして今度、殺されるのは……もしかしてきっと自分の番なのではないだろうか? 『命を奪って喰って生きる完全に罪しかない子供』として……。

 百色はスーパーに来るといつもそんな事を思っていた。


「また……考えてるの?」


 セーラー服の少女が訊いてきた。見ると手に持っているのは「頭の無いバナメイエビ」のパック。


「この海老、いつも頭がないよな」

「そんなこと考えてるのはヒャッくんだけだよ」


 そして反対の手からも取り出す。


「今日はブロッコリーも茹でちゃおう!」


 殺すために。野菜でさえ命である事を知っていながら、百色の幼馴染の詩織は美味しそうに茹でると言った。

 ……だから選んだのだ。百色のこれほど面倒くさい心を最も理解しているのは、目の前のこの少女なのだから。



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