a14 黄ばんだブリーフ



 いつもの学校からやっと帰宅し、疲れ切った体と心で玄関を開けると大勢の靴があった。中学生の通学用の靴だ。靴の種類や大きさから察するに女子のモノだろう。男子よりもファッション性がありそうな柔らかく色の薄いピンク色がかった通学用の白い靴が四くみほどある。


 ……誰だ?


 真っ先にそう思った。シオリの靴は玄関の隅にある。よく分かる何度も見た靴だ。それとは別に……さらに他の四そくの靴。

 ……。イヤな……予感がする……。そして、それは的中していた。「ただいま」と、家に上がるとリビングのほうには人気ひとけがない。ならば二階だ。二階のあの部屋に、この靴の主たちはほぼ間違いなく居る。


 そう思って身構えると、洋風の上がり框の脇にある階段へと進んで二階に向かった。階段を半分まで上がったところで話し声が聞こえてきた。更に階段を上がっていくと会話の音量が大きくなる。二階に辿り着けば、話し声の出所はすぐにわかった。

 百色と詩織が使っている男女の愛部屋。正確には詩織と百色の二人部屋だが、この際、序列はどうでもよかった。


「アはは~、だからさぁ~ぁ」

「えー。でもね~ぇ」


 やはり部屋から能天気な女子たちの黄色い声が聴こえてくる。思春期の女子達による男子禁制の色彩にんだ会話。弾む談笑の内容には聞き耳を立てている余裕はない。中学生の背負う荷物はとにかく重い。登校時と下校時の荷物はことほど重かった。肩に食い込む重量。歩くことに疲れた脚。その全てが早く部屋に入らせろと言っている。それ以上に、暑苦しい黒い学ランの制服を一刻も早く脱ぎ去りたかった。


「~~~ん~~~、……なら次はァ~……」


 中で何をやっているのかは知らないが、帰宅したばかりの男子にとってはどうでもいい。それでも女子しかいない空間に飛び込むには果てしない勇気が必要なのも、また事実だ。ましてここには百色しか男はいない。

 こんな無防備な状態で部屋にでも入ってしまえば、たちまち女子の集団に囲まれて好奇心の餌食にされてしまうのがオチだった。


 百色は息を吸い込んだ。ドアの前で深く深呼吸し、覚悟を決めてドアノブに手を近づけた時。


「……じゃあ、トイレ借りるね」

「うん。いいよー。わたしたちもスグに決めておくから~」


 同じタイミングでドアが開いた。内側へと引き込まれたドアは百色の手からドアノブを遠ざけ、代わりに久しぶりに見る同級生の女子の姿を召喚させる。


「……え……?」

「……ぅあ……?」


 驚く声と間抜けな声……。丸くなる女子の目と後退る男子の目が部屋と廊下の間で重なった。


「……ぁ……? タ、タマちゃ……ん……?」


 違った。

 目の前の少女の雰囲気から百色は、出くわした女子が幼馴染みのタマミだと思っていた。百色の四人目の幼馴染みであるサトウタマミ。しかし、それは違っていた。

 部屋から出てきた少女はサトウタマミと非常に雰囲気がそっくりな同じ小学校出身の同級生、石里いしさと玲奈れなだった。


「……な、七紀くん……?」

「い、石里さん?」


 タマミと同じく小柄で大人しい性格をした短髪黒髪の小動物系少女の石里玲奈。その少女が狼狽えながら、突然出会ってしまった少年を見て怯えている。


「……っぁ……ごめん。……て、ど、どうしたの?」


 どこか様子のおかしい玲奈を見ると、玲奈もわなわなと百色から視線を逸らした。そして玲奈の震えている体の一部に目が留まると、それが何となく気になって凝視してしまった。

 それは玲奈の右手。

 百色から見ると左側に当たる。そのセーラー服姿の玲奈の右手に不可解なものがあった。白い、布だ。白い綿めんのような材質の布の端が玲奈の小さな握り拳から見えている。

 なんだ? この布は?

 だが、その三角形らしい布の形や妙な厚さや質感には、どこかしら見覚えがあった。あの……布は……。あの布はもしかして百色のブリー……?


「なに持ってるの? 石里さん」


 言おうとした時……百色の鳩尾みぞおちの部分に、小さな肌色が丸められて微かに触れた。


「……ぇ?……」


 鳩尾の部分に触れてきたのは小さな肌色の握りこぶし。その握り拳が百色の黒い学ランの胸部の黄金のボタンの間に添えられて当てられている。


「……え? 石里さん?」


 百色が、身長差から覗く、玲奈の大人し気な前髪で瞳が隠れているのを見ようとした時。


「……ッッッハァァッッッ!」

「……ァハぁっっ、、?」


 大人しい少女の合気の声で、百色の鳩尾は穿たれて震えた。全身に広がった衝撃で、直立するための足の神経系が即座に断たれ、ドタンとその場に崩れ落ちると、百色は5の字になって床に倒れ込んだ。


「…………ぁは?……っぁ?……っァ?……ァばッ?」


 倒れ込んだ床の上で、ワケも分からず自分の状態がどうなったのかも確認できないまま、口の端からよだれを垂らしていく。突然の衝撃の所為で力の入らなくなった太モモ、膝や肘の先からは辛うじて動く指先と手。腹からくる息苦しさに悶えながら足をもどかしく動かしても、醜くモガく事しかできない無様。とっさに首だけを動かして今の状態を知ろうとするも意識は朦朧する。

 息が……できない。

 混濁した思考の中で、吐き気と胃液だけがせり上がってくる苦悶が渦巻きだす。どこかで体の内部を正常に戻そうと試みるが、その為に支えとなる手と足が上手く動かない。


「……ぁ?……ァ?……ぃった……ぃ……なぃを?」


 倒れた床から顔だけを上げて、何事もなく立っている玲奈を見た。『小さく前へならへ』の構えで握り拳を無造作に前に突き出している小柄な少女。

 その少女の構えを一目見て百色は悟った。


(これは……、これはもしかしてマンガでよく見る……発勁はっけいッ?)


 驚愕の暗技を繰り出した、か細い白煙を燻らせる少女の小さな握り拳。そのなめらかなは間違いなくマンガでよく目にするあの中国拳法の発勁を発動させていた。


「……い、石里さん……? なん……で……?」


 なぜ自分に発勁などを喰らわせたのか? いや、それ以上に、そもそもなぜ君は発勁などという技が使えるのか?

 そんな疑問をよそに、立ち尽くす玲奈は、倒れた百色にも目もくれずにこう呟いた。


「……追ってこないで……」


 それだけを言い残して歩き始めると、足早に階段を駆け下りていく。そして、一階のある距離でバタンとドアを閉める音が聞こえた。

 それは恐らく距離からいって、この家のトイレのドア……。


(……なんで? どうして……?)


 一階のドアへと消え去っていった玲奈は「布」を持っていた。布を持ったままトイレに駆け込んだのだ。そしてその布は……百色の記憶が確かなら……。あの布は……、あの白い布は、間違いなく百色が愛用している最近股間の黄色いシミが気になってきた三枚目のブリーフ。


「……あ~あ、見ィつかちゃったぁ~」


 ワラワラと集まってきた女子の嗤う靴下たちが、倒れた視界に入る。林立する可愛い靴下たちの向こうには、荒らされ漁られた百色の下着たちの無惨な姿があった。

 ……っあ、……ああ……!

 全てを悟った百色は目を閉じた。頭上では、見られてはいけない光景を見られた女子達の猟奇的な悪意が覆いかぶさってくる。

 百色は切実に思った。女子に聞きたい。男のブリーフなんか持って、トイレでいったい何をする気なのだ?と。



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