a6 最初の教室



「おはよー」

「うーす」

「コラっ、うすじゃない。ちゃんとあいさつしろ!」

「おはようございまーす」


 教師と生徒の、早くも朝の挨拶が飛び交う校門の風景。その流れに百色たちも自然に加わって校庭に入った。


「じゃあここでお別れだけど」

「シオちゃんはB組だったよね」

「わたしとタマミはC組」

「わたしがDで、アンタはFだっけ。モモは」


 下駄箱の前で、ガリ勉風のメガネをかけた三つ編みのミドリが訊いてきたので、頷いた。小学校は一学年で2クラスしかなかったのだが、中学に上がってからは、一学年でAからFまである6学級クラスの大所帯になっていた。


「……なんでよりによってドンケツなんだか。もうちょっと勉強、頑張ったら?」

「クラス分けって成績順で決まるのか?」

「たぶんそうじゃない? 南さんがA組だもん」


 ミドリが、いつの間にか百色の後ろに立っていた少女を見る。みなみしおり。小学校の卒業時にはトップの成績を取っていた筈のおっとりしたおおらかな少女。


「芳野さんも成績は良かったと思うけど」

「わたしはテストだけはよかったから」


 特に仲がいいわけでもない女子同士の会話……。小学校では、同じクラスになっても違うクラスになっても格別、接点があったわけではない女子たち。


「……そこ……シオリの位置ばしょなんだけどね」

「泉さんがいられる場所は七紀君の隣だけって前は……」

「邪魔なの」

「ミドリっ」

「消えて。南栞さん?」

「ミドリ!」


 同じ幼馴染みの女子たちから止められて、仕方なく冷たい視線だけを栞に向ける。


「わたしたちとモモの関係を知らないあなたじゃないでしょ? 南さん。自重してよ」

「わたしと七紀君の関係のほうは知ってる?」

「…………っィ、……このっ」


 掴みかかる前に、ただ一人の男である百色が、みどりと栞の間に入って遮った。


「モ、モモ……」

「はやく教室いこう。チャイム鳴っちゃうよ」

「シオリとそいつとどっちが大事なの?」

「……ぇぇっ?……」

「どっちを取るのッ?」

「……ぁ……ぅ」

「そうやって、また黙りこんで逃げるんだ。卑怯な男ッ」


 言われて棒立ちになったまま、それでもメガネの三つ編みを見た。


「……な、なによ」

「……また言わなくちゃいけないのか?」

「当たり前でしょ! 表六が」

「なら、もう一度言うからちゃんと聞いてくれ。お前ら全員オレの女だ」


 七紀の断言を聞いて、正面と後ろの女子たちは思わず目を丸くする。


「お、お前らの裸は全員おれのモノだ。だから黙ってオレについて来い!って、……これで……いいか?」


「……い、いいわけないでしょ……変態男……」


 ミもフタもない中一男子の強欲を聞いて、なのに気になって百色を見上げる。


「そ、それって、わ、わたしのことも……?」

「当たり前だろ。お前の体もオレのモンだ。だからちゃんと襲ってやるから。それまでキレイに大事にしてろ。ってオレそう言ったじゃないか」


「……う、うん……」


 頷き、急に黙ってしおらしくなったメガネ女子と、やつれてため息だけを吐く男子。そこに丁度、間を見計らって仁王立ちの女子の声はやって来た。


「ほんとッ……いい加減にして欲しいんですけど。お二人さん?」


 本来の正妻ヒロインが、上履きに履き替えた下駄箱の廊下の真ん中で、両者を見やる。

「シ、シオリ……」

「……お、オレもワルいの?」

「当然でしょ。女ったらし」


 二年生や三年生の上級生たちが、六人に怪訝な視線を送っては朝の流れに乗って去って行く。新学期早々、上級生たちに睨まれては敵わない。


「さっさと行こう。目立ち過ぎだよ。オレたち」


 一年生の教室は本校舎の二階にあった。今いるこの中央口の下駄箱は校舎の真ん中にあり、下駄箱から北に続くまだ見慣れない廊下の脇にある階段を上がって二階に出て右手側へ歩いていくと、今度は左へ曲がる角の先から一年生の教室が連なる北側の廊下に出るという朝の道順。


「ホントだ。恥ずかしい。先生が来るまでまだ時間があるから行こっか」


 下駄箱の壁にある大時計は8時25分を指している。担任が教室にやって来て始まる「朝の時間」は8時45分からの開始だった。それまでにクラスの全員が席についていなければならなかった。


「一時限じかん目ってなんだっけ」

「しらないわよ。わたしたちだって自分のことで一杯」


 歩き出した六人。


「ね。七紀くん」


 そこで後ろから声がして振り返った。あの時と同じ……、制服を選んでいた時と変わらない落ち着いた声の少女。


「……七紀くんたち……さっきハメ撮りがどうのって言ってたけど」

「み、南さんはそんな言葉を使っちゃダメっ」


 それでも優等生の少女は、少年を真面目に見る。


「……ハメ撮りってあれでしょ? 女の子と男の子がその、シテるところをカメラで撮るっていう……」

「南さん!」

「私だって知らないわけじゃないもの」

「み、南さん……」

「リベンジポルノって言葉……お母さんからも言われてる。女の子の体はすごく大事だからって」

「……うん」

「なんでしたい方の男の子の七紀くんが頷いてるの?」


 襲う側と襲われる側。男と女の関係は、常にこの力関係で語られるというのに……。


「七紀くんが撮りたいって言ったら私だって……」

「そうなっちゃうからダメなんだってッ」


 男が説得しても、女は誘惑の力を理解してくれない。


「……ここ……F組だよね」


 いつの間にか、二階の廊下を曲がると最初の教室として出てくる1年F組の教室の前まで来ていた。


「私は一番奥のA組だから……」

「あ……うん。それじゃあ……」


 また……と言うのはおかしい。そして帰りに会おう、とも明日の朝にまた会おうという約束も、やはりこの二人ではおかしかった。


「また、一緒に会えるといいね」


 それだけを言って、小学校時代の優等生は廊下の先へと消えていった。それを目で見送って、やっと百色も自分の教室のドアを開けると、中に入って席に着いた。


「おはよう」


 そういって声を掛けてきたのは、やっと腰を下ろした七紀百色の隣の席。隣の席に座っていたのは当然、隣の少女。


 これから一年間の中学校生活を共に送る……、短いショートカットの髪が似合うなみだしずくだった。



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